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5. Neues Leben, neuer Wind −新しい生活、新しい風−

ご無沙汰しております、僕です。
だいぶ更新が遅くなりましたね…その間に僕はと言うと、

  • 7シーズン在籍したStuttgart Rebelsを退団し、6月中旬に日本へ本帰国

  • 7月に3年ちょい遠距離恋愛していたパートナーと挙式

  • 9月から新しい仕事を開始

  • 横浜を本拠地とする『横浜GRITS』のスクールディレクターとしても、活動を開始

と言った感じで、いつの間にか日本に活動拠点を戻しました。

ドイツでの7シーズン(約6年半)の滞在は、何にも変えられない経験となりました。25歳の時にチャレンジした自分を褒めてやりたいです(笑)
その時の記事は、こちらから↓

決してホッケー自体をやめるということはなく、子供たち向けのホッケー体験会やスクールの企画・運営、時々現場で指導するというのを主軸に変えたというだけで、今でも週1は氷に乗っています。

防具はドイツの時から変わらず。防具バッグが変わったぐらい

子供たちに教える時に、自分が出来ないプレーを要求するのはナンセンスだと考えるので、技術的なことも引き続き学んでいくつもりです。
(要するに、ホッケーキャンプが開催されたら、可能な限り選手として参加しに行くスタイルは変えない。笑)

さて、色んな事を突っ込みたい人は沢山いらっしゃると思いますが、全トピックを書くと長くなるので、直近で手伝っている話題について書きます。

横浜を本拠地とする『横浜GRITS』のスクールディレクターとしても、活動を開始

仰々しい肩書きがついてしまいましたが、やることとしては『子供向けアイスホッケー・スクールの企画、開催』をメインで行う、8割裏方の仕事をやります。
しかし、野望としては以下の事も考えています。

  • アジアリーグ各チームのジュニアチーム指導者との情報交換

  • ジュニアチーム同士による交流戦の企画・開催

  • ユースチームの設立

  • アイスホッケー関係者とのコネクション作り

チームから言われている業務以外のことを堂々と書いているあたり、何だか悪巧みをしているような気分にはなりますね(笑) ただ、あくまでも野望であって、実現可能かどうかは何とも言えません…
もちろん、本業(転職先の仕事)を疎かにすることなく、スタッフもデュアルキャリアのスタイルを貫くので、どっちも中途半端にする気はサラサラありません。

まだスクール自体も2回ほどしかしていないので、ノウハウが充分にあるわけではないです。
なので、全国にいるジュニアチームの指導者皆さんが僕のお手本になるお師匠様になります。
学ぶためにも、お金を貯めて、勉強遠征もしたいと思います。(んなこと言ってたら。パートナーに怒られるかな…笑)

とは言え、なんでも屋になる

実際の話をすれば、横浜GRITSの運営スタッフの多くはボランティアによって支えられています。
チケット販売、SNS、マーケティング、渉外部門…改めて、皆さんの支えがあって、前を進めているのだと、中に入ったからこそ分かりました。
なので、僕自身も持っている技術を使えるものは、GRITSに使っています。例えば、写真。

試合再開時に行われるフェイス・オフ
ゴール前の混戦

実は見出しの写真も、この写真も、僕が撮りました。
学生時代はベンチにも入れない控え選手でしたが、チームの要望に応える形で、カメラ片手に試合に出ている写真を撮り続けました。
知らない間に写真の構図なども上手くなってしまいました。カメラも自前で買ったぐらい、沼にもハマりました(笑)
そんな技術もGRITSからしたら必要だったらしく、代打カメラマンとして、ホーム開幕戦2試合を撮りました。歴史的な連勝を自分の手で撮った結果、思わぬとこで全国デビューもしました。

日経デジタルで使われた写真

あの日本経済新聞の電子版で書かれた記事の写真に使われました。(記事の見出しや内容については、ノーコメントとします笑)
自分でも驚きました。まさか、こんな形で自分の写真が使われるとは思ってもいませんでした。この時ばかりは、写真やっていて良かったと思いました(笑)

これからの自分は?

では、今の自分が目指す方向とは何か。
仕事もスクールディレクターもこなして、次は何を目指すのか。
それは色んなところでお話ししているので、それはまた別のとこで書こうかと…

以上、通勤時間が片道1時間半ぐらいになり、暇を持て余してしまったので、読書とnote執筆に励もうと思ったマサルでした!ほな!

ここでサポートして頂いたものは、ドイツでのジュニア指導ならびに選手としての活動費として使わせて頂きます。 皆様からのサポートに応えられるように、日々精進して参りますので、よろしくお願いいたします。