熱量には差がある
個々で熱量があり、それを超えると、、、、
スポーツの決勝常連校がある。
そうなると都道府県では、1、2を争うスポーツトップ校だ。
メジャーな種目に関わらず、多くの選手があつまる。
皆んな優勝を目指して。
相当数の選手がいる場合は皆んなとは限らない。
レギュラー定着。レギュラーになれるかなれないか。レギュラーになれない。
高校野球の甲子園は少しは見た事るだろう。
プレーするレギュラー。出番待ちのベンチ。応援席で応援する部員。そして、パブリックブューイングの学校で応援する部員。
誰もが甲子園でのプレーを夢見てスタートする。
だけど、中にはここまで。とレギュラーを諦めたり、レギュラーになれるようなプレー出来ないけど諦めずに自主練習しまくったり。
全員が同じ熱量ではないと言う事。
レギュラーより練習する、ベンチ外の生徒。
公式練習時間と内容は、レギュラーだろうと誰であろうと同じだ。
その中で熱量によって差が生まれる。
甲子園の先、プロ志望や進学や社会人野球に独立リーグ。高校生で引退。
『自分はここまで。』
レギュラーになりたいけど、これ以上自主練もできない。あの人達より動けない。
その逆もしかり。
上手い、下手、とこれだけでは片付けられない。
レギュラーがベンチ外に、ベンチ外で良いと言う選手に『もっとやろう!やらなきゃダメだよ。』なんて言っても熱量が違う。
巻き込まないといけないけども、熱量の差があったら『他人に自分の努力量を無理強いしてはいけない。』ということ。
熱量の差があったら、言えば良い。『自分はこのままでここまでで良い。だけど共に過ごしたいから側でみている。』と。
一つのチームとして、仲間として、共存し仲間として共に住む事としてその場にいる。
それでも良いと思う。
後は、レギュラーと言うのを正義としたら側で観ている生徒が『やっぱり自分も!』と動き出さなきゃいけない、動き出すのを待つしかないのだ。
レギュラーという目標へ向けて、どう自分の心が動いたか?
そして、その自主トレは自分に合ってるのか?人に言われてからか?それとも、自分で「このままではダメだ」と塾のような場所へ通うか。
熱量は差がある。
だけど、目的と目標が定まっていたら。
実力差はあっても熱量や向かうところが同じになる。
そこから先は、本人が選択する事である。
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