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すでに起きることがわかる問題を避けるべきか?

実行前から問題が起きることがほぼ確実なことが現実には存在します。

例えば、最近のビジネス系な話題ではICOでの問題。詐欺的な問題は起きえます。なぜなら、他の国で既に問題が起きている。同じ手口の詐欺的な行為は模倣できます。ならば日本でも起きるはず。

では、日本では海外の事例を踏まえてICOに過剰に規制をかけた状態で始めるのか?

問題は事前に避けるべき?


基本は、問題を避けなくていい。

殆どの人は、問題が予め分かっているなら避けた方がいいと思う人が多いと思います。

ただ、根底の信念を踏まえると話は別です。

例えばICOの場合。 基本は民間の自由にすべきです。他国で既に問題になっているからといって、法的な制限を予め国民に押し付ける方向性は間違いです。これは僕から見て間違いという意味ではなく民主国家として間違いです。

もちろん、人はバカではないので、予め問題に対する対処を考えておくことも可能です。真理と同様に安全神話は見つからないし存在しない。ミクロに見ると全てが複雑で不確定です。

できることとしては、ICOの場合は、予め広報を通じて「詐欺的なプロジェクトを避けるように」と国民に注意喚起することは可能です。民間の自由を保てます。


結果的に問題が起きるでしょう。それは結果論です。どうあるべきか?それを踏まえない組織や開発体制は、、、

哲学的ゾンビ

他人の信念の結果を模倣して、本質を模倣しない。

哲学的ゾンビ的です。本質がない。機能や表層だけを真似る。その先にあるのは思考しない人達の集まりと、マニュアル的に官僚性で動く没個性な組織です。

模倣がダメという意味ではありません。模倣しているモノやコト、意味は何なのか?自分達なりに思考しないと良くないよねって話です。

以上です。


ちなみに、核兵器とか原発とか人が大量に死ぬレベルのものは、そうではないです。そのレイヤー分けこそが、僕らの常識や道徳観と言えます。それも国家や環境で変わりますが、大抵は普遍的です。

人によっても違います。起業家とそれ以外では異なる。ミクロに見ればいろいろです。