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AIサービスには経済学者が必要

三人称世界(社会)では「合理的な判断」を妥当な意思決定と判断されます。 例えば、最近で話題になったのは武田薬品の数兆円レベルの買収。

あれは、同じような企業買収したケースを経験しているCEOで、事前に合理的と判断できそうな証拠を集めているから株主など関係者に買収の合理性を説明できたと思います。

もしCEOが合理的な根拠を述べずに「何となく」とか「好きな会社だから」という理由で買収しようとしている場合、却下されます。当たり前な話です。

客観的に妥当な意思決定をする場合、合理性が必要になることが多いです。

では合理性とはどういう意味なのか?


合理性とは曖昧な言葉です。

曖昧なので、断言できません。でも確かに三人称世界では「合理的」と言われる判断、意思決定が存在している。この現象は何なのか?

この話題に絡めて、色々書きます。


合理的ではない状態を表す言葉に何があるか?

非合理

論理に合っていないこと

不合理

論理の要素が欠けていること

反合理

論理と真逆を行くこと


これ、大雑把に書きましたが、ネットや本で調べるともっと色々と出てくるので面白いです。

例えば、反合理と言えば、フリードリヒハイエクです。

オーストリア・ウィーン生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表する自由主義の思想家。ノーベル経済学賞の受賞者。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは母方の従兄にあたる。

哲学者っぽい方なんですが、もっと分かりやすい箇所で引用すると、

実際においては市場の参加者の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、参加者達が自らの利益や選考に基づいて判断を下す市場こそがもっとも効率のよい経済運営の担い手であると説いた。

かなり大雑把な解説ですが、この通りですね。よく言われる「リベラル」という感じ。

例えば、最近の日本では「水道は民営化した方が良いかどうか?」などが話題でしたが、ハイエクだと民営化した方が良いとなります。

何故なら、水道事業に参加する市場の登場人物、つまり変数の予測が難しいので、参加者各々が意思決定して動いた方が効率が良い。

という感じ。

かなり極端とも言えますが、どちらかと言えば僕もこのスタンスです。

政府によって完全に統制されたアルゴリズムよりも、個人に自由を与える形の局所的最適化アルゴリズムの方が社会の在り方としては望ましいと思っています。

別な言い方では、その個人に最適化されたアルゴリズムには自由が存在します。


これは、僕が作っているAIスケジュール管理の機能の「AIによる自動予定調整」でもそのスタンスで設計しています。

現状の自動予定調整のアルゴリズムは、端末毎に事前学習したAIが候補日の中から、「どの候補がユーザにとってあるべき候補日なのか」を計算して、投票する形式です。投票はボルダ方式を利用して点数を投票します。点数は5段階です。 事前学習の中身は基本的には自分の過去のスケジュールです。中央のAIが全てを管理する設計にはしていません。

引用した箇所と同様の設計です。

実際においては市場の参加者の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、参加者達が自らの利益や選考に基づいて判断を下す市場こそがもっとも効率のよい経済運営の担い手であると説いた。

*ちなみに、引用箇所に「利益や選考」とありますが、僕が書いているコードは「利益や選考」ではなく、「慣習、習慣」が「特徴、選好」を作るという仮説を元にプログラミングしています。

あと、もう少し「投票」などについて詳しく説明したのも前に書いたので、そのリンクを貼っておきます。(ちなみに投票も経済学視点で語られることが多いです。)


合理的だと他人と確認する行為

少し話題を変えます。

「形容詞」で表現する事象、対象物の定義はハイコンテクストであることが多いです。

「形容詞」とは絶対的なものがありません。そのものを表すので、観察者と対象物(事象)との関係性で成り立ちます。美学や哲学の範囲です。

例えば、「シンプル」「美しい」「簡単」などです。これらは、全て主観です。

そして、今回書いている「合理的だ」という事象ですが、これも形容詞的です。何故なら経済的な意味での合理的とは、範囲や時間によって合理的の意味が異なります。合理性は、観察者と事象との関係性で生まれている。

つまり事前の変数を共有しあってこそ、合理的と判断できる訳で、一方的に「これは合理的だ」と判断することはできません。自分にとっての合理的と、他人にとっての合理的は異なります。

現実社会では、その範囲や時間をハイコンテクストに共有した状態で「合理的だね」と表現することが多い。

例えば水道事業の民営化も、どの範囲でどの期間まで民営化するかによって意味が異なります。つまり「自由化のパラメータ」です。

自由化のパラメータを共有せずに「水道事業の民営化」という大雑把な括りで議論が始まると、コミュニケーションが難しい状態になります。


自由化のパラメータが共有されていない状態。この状態は議論する上では合理的とは言えない状態だと言えます。

つまり「不合理」な状態です。

最初にも書きましたが、「不合理」とは論理の要素が欠けていることです。

この「不合理」な状態は、マスメディアのニュース記事のタイトルだけを読んでいると起きやすい。最近だと既にあげた例である水道事業の民営化が分かりやすい例です。

実際、今回の水道民営化の条件ですが、丸々譲渡する訳ではありません。ですが、そういう解釈をしている人が多い。


意思決定の外部化

「合理的だね」と良く使う言葉だと思いますが、少し俯瞰して「どういった条件での合理的なのか?」も考えるといいと思います。


この投稿は、ただの言葉遊びっぽいと感じる方もいるとは思いますが、実際のところ意思決定に関わる問題ですし、答えもありません。

そして「個人としてどうあるべきか?を考えること」とは、主観的な解釈が入る行為でもあり、もっと言えば生き様の問題とも言えます。

そして、それを明示的にする行為、数式などに落とし込む行為。これは意思決定の外部化と言え、AIサービスにとっては避けては通れない問題でもあります。


AIが判断する合理的とはどういう意味なのか?

AIサービスは意思決定のデザイン次第です。そして、意思決定とは何か?

この投稿では、その一旦を書きました。

ビッグデータ、AIなど話題になって一段落している?とも思いますが、実際のサービスに生かす場合、デザインは必須で、それは三人称での納得感を作り出すことが必須だと考えています。

なぜなら三人称世界での納得感という文脈では「合理的」とは重要な要素と言えるからです。


このままいけば、AIによって意思決定の外部化が可能です。いきなり全ての外部化はできませんが、段階的な外部化は起きるとは思います。

なぜなら、それを実行する僕らのような起業家、プログラマ、デザイナ、それを広めるジャーナリスト、マスメディアがいるからです。

僕らは、社会的に何をしているのか? 何を実現したいのか?

AIサービスは、面白いと思いませんか?


最後に宣伝。

以上です。