”居る”ことについて

GWに『居るのはつらいよ』の読書会をして改めて自身の居る場所について少し考えました。

最近、
① 自分のいたい“居る”ことができる場所といないといけない場所は両立するのか
②複数の“居る”場所をつくりにはどうしたらよいのか
と問いが浮かんでいます。

※本を読んでない方には“居る”のニュアンスが伝わりにくいと思いますが、何もしていなくてもそこの場所・コミュニティに安心感をもって存在できるという風に捉えていただければと思います。

① 自分の“居る”ことができる場所といないといけない場所は両立するのか

私は私の“居る”ことができる場所が多いことに感謝をしております。
昨年は転勤で東京へ行き、今年は転勤で再び大阪へ戻り多くの方と会う機会がありました。

特に昨年はボランティア等で関わっているNPOが私の“居る”を許容してくれる主な場所でした。
子どもの居場所だけでなく疲れたサラリーマンたちが人として大事なものを学びながら休息する空間でもあったかと思います。

再び、大阪に帰ることになっても大学院時代に関わっていた古巣のNPOなどから手伝いに来てよとお声がかかったり、大学院の同期から大学院での研究会などに誘われたり、会社の同期から大阪帰還祝いをしてもらったりと多くの居場所があることに助かっています。

また、私は社会人ですので多くの時間を会社にいないと生活が成り立ちません。
上記のように私は“居る”と感じる場所はほぼライフワークに関するところで、あまり働く場所を“居る”とは感じたことはありません。世の中に必要なものをせっせと作っているような感覚です。
※会社が嫌とかそういことではありません。(笑)

一方で、会社に居ると安心する。会社の人たちとずっと過ごしていて楽しいとそういう同期もいたりします。

従来の日本社会は会社(働く場所)がハブとなり、交友関係や社内結婚などパートナーと出会う場所など、居場所として重要な機能を果たしてきました。

働く場所を“居る”と捉えるかその他の思いを持ちながら働くかは人それぞれだと思いますが、それはどこに違いがでるのか。


② 複数の“居る”場所をつくりにはどうしたらよいのか

もう一つの問いで複数の“居る”をつくるにはどうしたらいいのか。

必ずしも複数の“居る”をつくる必要はないと思いますが、一つしか居場所がないとそこへ依存してしまったり、精神衛生上よくなかったりします。

また、会社の同期や大学院の同期からもどうやってボランティアや外とのつがりをつくるのか聞かれることが多々あります。

個人的には自身の視野を広げるためにも複数の“居る”場所をつくることがおすすめです。
余談ですが、普段子どもと関わっていると自分の“居る”場所や相談相手をつくるのがとても上手な子もいます。そういった子は、こまめに相談してくれる、自分の感情を言葉で表してくれる、などの共通点がありました。


個人的もこの“居る”場所というのは社会関係資本という大事な人生の資産になるもので、これを多くの人が持てることが共生社会につながるとも考えています。
以上のような問いを引き続き考えていきたいです。

(本文中の内容は私個人の見解であり、所属する組織の見解とは一切関係ございません)

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