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ガンダムで見る戦争 2017年11月11日(於さいたま市プラザノース)

 こんにちは。はるばる大宮までご苦労様です。たくさん来ていただいてありがとう。
 今日は先日完成した「ガンダムTHE ORIGIN 第5章 激突ルウム会戦」の映像を見ていただきながらお話をします。それを元にテーマを考えました。この「ガンダムで見る戦争」というテーマ、受けが悪かったんです。こういう御時世ですからね。けれどもガンダムは戦争の話ですので、このテーマでと無理を言って通させてもらいましたが、しかめつらしい話にはしないように思っています。

 オリジンのOVAは第6章までありますが、ファーストガンダムの前史、プレヒストリー。コミックの六巻分が6巻のアニメになりました。
 今六本目を作ってます。5月に公開だそうです。ブルーレイの仕込みとかで、もう今月の下旬にはアフレコです。年明け早々にダビング。早いね。色々やることがあって早い。大ヅメです。今原画のチェックをしてます。自分もアニメーターだから。ぜひ見て欲しいですね。

 どうして前史を描いたのか。
 ファーストを漫画で書き直すという作業をしている時に、はたと困ることがあって、ここに至るまでを描かないといけないかなと思った。それで編集さんに頼んで過去を書かせてもらった。「一巻だけでいいから」と言っていたら23巻中6巻も使ってしまった(笑)。
 しかし描いていて腑に落ちる所がたくさんあった。ファーストとはこういう話だったのか、と。戦争の話というのが全面に来るけれども、戦争とはそもそもなんなんだ、と。そして今の世の中をどう見るべきなのだろうか、と考えさせられた。
 みなさんにも考えてもらいたい。
 自分で言うのもなんですが、なんらかのテーマをもって描いています。社会性・問題意識を持って。売れるかなあ、というのはあんまり考えてません。負け惜しみではなくて(笑)。

 共通してるのがある種の社会性。そこで、最近『原点』(2017年3月、岩波書店)という自伝みたいな本を出したんです。岩波書店です。『広辞苑』出している所。僕らの世代だと岩波といったら立派。有頂天になりました。わーいって。あ、余計な話ですね(笑)。
 表紙がアムロで裏がシャア。イヤだったんですけど(笑)。それだとこの本をどこに置くか本屋が悩んで。アニメの所に置かれていたりして。探すとどっかにあります(笑)。

 そこに大学をクビになったことも書いてあります。学生時代は社会的な理由で学生が騒いでいた時代で。その時の大きなテーマはベトナム戦争でした。日本はベトナム戦争に協力してる。それが恥ずかしい。戦争を止めさせることは難しいが、協力を止めさせることはできるのではないか、と。
 戦争をなんとかしたい、反対したいという意識でした。それは世界的にも広まっていたし、自分たちもそれに乗ろう、何かしようという気持ちはありました。無謀なことをしていた時代でした。今も自分の仕事の中にそういう社会的なところがあるというのはその名残りだと思います。名残り……その連続の中にあるという意識はあります。
 
 ガンダムの仕事を運命的だなあと感じるのは、これはそれまでのアニメの仕事とはちょっと違うという意識は当時からあって。その意識は作り終えても色褪せることもなかった。漫画で描いてみて再確認することができました。

 ガンダム作品は延々と作られていますが、そのほとんどに無知であるというのには自信があります。ほとんど知らないし、知っているのはファーストだけで、一番大事なのもファーストです。
 今回描いたその前史の中でなにが大事なのか。それはシャアがなぜこの物語に存在しているのか、です。それをほっといておけなくなった。
 何故シャアという人がこんなになってしまったのか。だからシャアがまだ小学生くらいの時から話が始まります。第5章ではもう軍人になっている。セイラは女医のタマゴになっている。その中でコロニー落としが起こり、大変な災難が起こる。亡くなられた永井一郎さんのナレーションで人類の半数を死に至らしめた、と非常に怖いことを言われる。ただこの序盤の大事件は、今まで語られてこなかった。前史を書くにあたって、これを描く事は避けられません。

 何を言いたかったかというと「人類の半数」というのがどれだけ怖いかということを、映像にしたかった。コロニーという人工天体がある。それを落とした。それだけで破滅的な事態が起こった。これは私が考えたのではありません。富野由悠季が考えた。こんな非道いことを考えた(笑)
 設定では100億の人口があったという。だから50億人が死んだ。コロニーの中には住民が何人いるだろうとも考えました。窓を密閉して中の住人を毒ガスで殺した。そして落とした。これも私が考えてのではありませんよ。そのコロニーの中に何人いたのか。居住区の面積はどれくらいか。だいたい山手線の内側、マンハッタン島くらいの面積です。これは想像ができる。300~400万人くらいでしょう。そのくらいの人が犠牲になった。

 それだけでも恐ろしいのですが、死者の数が多ければ多いほど人は鈍感になってしまう。ユダヤ人が600万人殺されたのは恐ろしいことだけれども大きすぎて無頓着になる。それが座間で9人殺したらとんでもないことだ、になる。その方が人は理解るんです。しかし50億人となると理解らなくなる。先の大戦でも日本人は350万人くらい死んでいるけど理解らなくなる。大き過ぎて。

 しかし戦争を考える時はその数字の意味を理解らなければならない。だからコロニーの中の一人の青少年をピックアップして芝居をさせました。こういうのが何百組何千組といたでしょう。年寄りも子供も。シェルターに逃げていく人々の中には子供がぬいぐるみを抱いて逃げていく姿があります。そういうのを見ているのは痛いナァと思います。

 あと、落とす側の人間が「悪く思うなよ、戦争を早く終わらせるためだ」と言うシーンがあります。それはアメリカの言い分です。原爆を落とした時と同じ。それは落とされた側にしてみればとんでもないことですが、何百万の犠牲者の中では悪く思うな、という軽い言葉に変貌してしまう。

 戦争の恐ろしさは死体や廃墟や兵器を見るだけでは理解り難い。寧ろ日常生活が破壊されるという感覚から見る方が実感できる。去年『この世界の片隅に』という作品がありました。片渕さんという監督には会ったことはありませんが、多数の賞を獲得した。素晴らしいことだと思います。劇場で観ました。原作者のこうの文代さんは私も好きですが、若い人なのに、戦争をテーマに描かれている。露骨に戦争反対を描くではなく、市民生活の日常を、白血病で死ぬ女の人を描く。その日常から怖いナァという気持ちを描いている。
 それと寄って立つ所は同じです。

 水木しげるさんも昭和史という漫画を描いています。彼は戦争で片手を失っていますが、その漫画の中で重さを感じるのは赤紙が届くところ。割とのんべんだらりと生きていた人に赤紙が来る。来ちゃった、行かなきゃ、と。そういう日常の描写で描かれて、ニューギニアの地獄に行く。怖いのは「赤紙来たよ」という日常。
 ニューギニアは想像がつかなくて別世界になってしまう。人が理解できるのは日常。そこを大事にしないといけない。ファーストでも顕著なのは日常的な感覚で、それを大事にしているし、それが富野由悠季の言わんとしている核でもあります。

「数億のミネバを生み出してしまった」と泣いた直後に、「弱かった奴らが悪いのだ」と叫ぶドズル

 ドズル、あっさり自己合理化しています。アメリカの正義、というヤツです。
 愛する者のために、家族のために戦う。アメリカ映画でも多いですね。ここもアメリカの正義を意識して描いています。カッコイイんですけれども、その理屈は相手も同じ。北朝鮮の人にも愛する人、家族がある。同じです。だから戦う理由が成立して強い方が勝つ。
 日本は弱かったからいけない。その理屈は裏を返せば、強かったら勝てたのに、原爆をこっちが持って落とせたのに、という考えに繋がります。だから「そういう所」には正義とか人道とかは存在しないということを押さえないといけない。

 愛するということはそこに人がいれば誰しも成立する。だからソレが決定的な行動の基準、合理的なファクターにはならない。しかしソレを人は簡単に受け入れてしまう。そしてソレを持ち出してきて理由にするし、簡単にソレに感動してしまう。人間ってそういうものだ、というサンプルとしてドズルを使わせてもらいました。
 次にセイラです。彼女は悪魔的に変貌していく兄と対照的に、崩れていく日常の中で人を助けること、医師になることを目指しました。

「戦うのよ!」

 彼女は人の命を救うと言っていたのに、銃で人を殺してしまう。それは守ってやらねばならない人がいたからです。それも現実。暴力はいけないといっても、時に無力。結局は力なのか、というとそう単純ではない。

 このシーンの中で「憎しみ」というフレーズが出てきます。それが連鎖している。第4章のエンディングでも歌われていますが、憎しみの連鎖というものがある。
 ISの行動の原点は憎しみでした。イラク戦争で一方的にアメリカにやられた。よくわからないうちにゲリラだテロリストだと言われてグアンタナモに放り込まれて。囚人服をきせて虐待した。身に覚えがない人までも。そういう人の気持ちは計り知れない。日本人も殺されましたが、彼らがなぜ赤い服を着せられていたのか。これは囚人服。お前たちにされたことをしてやるぞ、と合理化している。それも連鎖。

 戦争は連鎖、コミュニケーションの不成立から生まれていくとも思います。その小さな萌芽のようなものが身近にもある。北朝鮮やヘイトスピーチなどです。
 関東大震災の時にも朝鮮人が虐殺された。その時の日本人は「朝鮮人は侵略されて日本人を恨んでいるかもしれない。それがあるとき噴出するかもしれない」という気持ちがあった。そこから連鎖していった。それが事実、大正時代に起こっている。北朝鮮からもそういう憎しみが吹き出す時を待っているかもしれない。

 化物のように増殖した憎しみが暴れださないように。憎しみは誰しも持っている。そういう感情の危ない部分に火を点けてしまう。それは気をつけていても起こってしまう。日本は未来永劫戦争しないと言っていたのに、戦争という影は存在する。正規軍の戦争ではなく憎しみが暴発したときに戦争になる。日頃から戦争というものを考え続けないといけない。自戒を込めて言っている。

 私は若い頃、戦争に反対しました。それは自慢話にはなりませんが、そこにもアメリカ帝国主義への憎しみがあった。歴史的な負の部分が濃縮しているのがアメリカだ、という思想があった。その考えが終焉した時に、大きな反省の対象になった。
 
 憎しみという大きな感情をどうコントロールしていくのか。それが戦争を防ぐことになるのではないか。ガンダムでは戦争をカッコよく描かないとお客さんが観てくれないのですが、敢えてそんなことを語らせてもらいました。


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