ボヘミアン

THE SHOW MUST GO ON

 映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットしています。

 世間では第三次QUEENブームと言われるようになっていますし、今の世代にもその偉大な功績が広く認知されるようになったのかなと感じています。

 因みに私はフレディ死後のQUEENファンです。コンサート参加はQUEEN+ポール・ロジャースのさいたまスーパーアリーナから(これ以上書くとよくあるファンのマウンティングみたいになるからやめよう。「私は85年の武道館から行っている」とか言われそうだし)。

 QUEENの魅力、なんてのは多くの人が語っていますし、好きな人はそれぞれに言い分があると思うのでここでは書きません。
 ではなぜこれを書き起こしたかというと。

 映画には少し物足りないものを感じたから、です。

 私もフレディの伝記映画が作られているという話を聞いて以来、ずっと楽しみに公開を待っていました。そしていよいよ待ちわびた公開日になったのですが。

 煽り文句が「ラスト21分の感動」。

 これを聞いたら、ファンはもうだいたい検討がつく訳です。
 ああ、ラストシーンはライヴエイドだな、と。

 ライヴエイドに参加したアーティストは綺羅星の如く。そして持ち時間は20分だった、というのは音楽ファンにとっては周知の事実です。
 また、当時解散の危機も噂されていたQUEENが、その20分間のためにリハをし、準備を重ね、最高のパフォーマンスをしてボブ・ゲルドフに絶賛されたというのも知られた話です。

 ですから「あ、映画のラストはライヴエイドで、おそらくそのままエンドテロップが流れて『その後フレディは91年に45歳の若さで世を去った』みたいなのが出て終わる映画なんだろうな」とは想像がつく訳です。

 で、案の定そうなったのですが(あ、ネタバレしちゃった。しかし伝記映画だったり歴史映画みたいなオチがわかり切っているものに対してネタバレもナニもあったものじゃないと思うのだけど)。

 誤解なきようにお伝えしておきますが、私は非常に感動しました。良かった。素晴らしかった。それは間違いない。

 しかしライヴエイドでフレディの命の炎が燃え尽きたような、そういう理解をされるととても悔しいのです。それだとフレディとQUEENの魅力が削がれてしまう、そんな印象を持ってしまうのです。

 ライヴエイドは1985年7月。映画「ボヘミアン・ラプソディ」の中ではフレディはその時、既に自らの病状を自覚していて「僕には残された時間が少ないんだ」と事前にメンバーに告白するシーンが描かれています。
 しかし実際にはライヴエイド後の1987年か88年にメンバーには伝えられたと言われています(ブライアン談)。

「自分が70歳のお爺ちゃんになるなんて想像つかないんだ」フレディ談

 ですから、ライヴエイドのステージでは(映画に大感動した方々には申し訳ないのですが)恐らくフレディやメンバーはこれが最後!的な思いは全く無かったと思われます。

 ただ、QUEENに解散とまではいかなくても破綻の危機があったのは事実です。
 
 73年のデビュー以来、第一線で活躍していたQUEENは常に先進的な挑戦を続け、次々にヒットを生み出していたのですが、しかし世間の流れはもっと早かった。

 ビートルズが世界を席巻し、69年ウッドストックでラブ&ピースが叫ばれた60年代。ジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンは共に70年に世を去り、ハード、プログレ、そしてグラムの仰々しいサウンドが人気を博している中でQUEENは現れた。

 それら「ロックの伝統」をぶっ壊すセックス・ピストルズのデビューとパンクブームが、70年代後半から巻き起こる(QUEENのメンバーはピストルズ嫌いだったみたいですね。そりゃそうだと思います)。
 その後メタルが生まれたりするなど、時代は刻々と動いていくわけですが、他のバンドが栄枯盛衰する中でもQUEENはずっとオリジナルメンバーのままで活動を続けた。

 80年代に入ったQUEENは『ホット・スペース』などの70年代からは大分路線を変えたアルバムを発表し、好意的なファンからは「また新しいことをやっている」と受け止められ、別のファンからは「終わった」と見られていた。

 その空気を知ってか知らずか、メンバーもそれぞれにソロ活動を開始し(フレディだけが抜けがけしたように映画内では語られていましたが、あれは事実ではない)、QUEENとしてライヴツアーをしながらも個人で動いていた。
 そしてアルバム『ザ・ワークス』を発表する。このタイトルからしてもある意味での集大成、一区切りをしたいという気持ちが伺えます。

 映画として見せるためには、駆け足になることは仕方ないのですが、結成当時は20代前半の若者だったメンバーも、80年代には30代の半ば、家族もいるし社会的な地位もある年頃になっている。落ち着いて自分の人生を考える年になっているわけです。
 「果たして、このままでいいのだろうか?」と。

 そういう雰囲気の中でのライヴエイドだった。
 QUEENは充分に準備してステージに挑み、新旧ヒット曲をとめどなく連発し、観客を熱狂させました(他のアーティストがどれだけ準備したかとかイマイチ分からないのですが、ピカイチのパフォーマンスを見せたのは間違いないみたいです。エルトン・ジョンが悔しがったとか)。

 そこでライヴバンドとしての自信を取り戻したメンバーは、翌86年ニュー・アルバム『カインド・オブ・マジック』を作成、世界ツアーに旅立ちます。
 ライヴエイドと同じウェンブリースタジアムのコンサートで2日間15万人を動員、ネブワースパークでは30万人という記録を打ち立てます(ウェンブリーでのコンサートはDVDされていますが、フレディのパフォーマーとしての真骨頂だと思います)。

(ロジャー曰く「一番後ろの列の客まで煽れるヤツはフレディしかいない」)

 しかし、結果的にはこれが最後のツアーになります。

 この時期にフレディは病状をメンバーに告白、今後はツアーをしないことにし、アルバム制作に注力します。88年から制作が始まったアルバム『ザ・ミラクル』は89年5月にリリース。
 ジャケットでは4人の顔が一つに重なり、作詞・作曲のクレジットは全てQUEENで統一されました。

 『ザ・ミラクル』からは5曲がシングルカットされます。
 「ブレイクスルー」「アイ・ウォント・イット・オール」「ザ・ミラクル」など、どれも完成度が高く、またそれぞれが際立っていて、70年代のゴッタ煮のような頃のQUEENサウンドを彷彿とさせます。

私はイチオシのアルバム

 しかし世間はそれを良しとしなかった。アルバムは「分かり易いロック=商業的」と批判を受けてしまう。その点はボン・ジョヴィと近いところがあるかもしれません。
 言うなれば「ダサかった」。確かに、アラフォーになったオッサン達がロックやっていたら、若者はあまり惹かれないのかもしれません。ロックは若者のモンだぞ、と。

 『ザ・ミラクル』発売後すぐに制作に入ったアルバムであり、フレディ生前最後となる『イニュエンドゥ』は91年2月。ベッドから起き上がることもできず、体調が良い時だけメンバーに集まってもらって作ったというアルバムですが、しかしそこに収録された歌声はこれから命が潰える人が歌っているとは思えないものでした。

 QUEENを日本に最初に紹介した人であり、最も交流があった人物である元ミュージック・ライフ編集長の東郷かおる子さんによるライナーノーツから引用します。

「一大パノラマのように広大なそして繊細で華麗なサウンド、ヴォーカルは私達が長い間、待ち焦がれていたクィーンの姿そのものなのだ。……(中略)……失礼ながら彼等にまだ、これほどの余力があったとは思っていなかった。いや、余力ではなく、この新作でのクィーンは新たに新しい時代に向かって行こうとする漲るような力強ささえ感じられるではないか!」(「イニュエンドゥ」ライナーノーツより)

 その後、フレディに対する賞賛が続くのですが、そこからは今、死に瀕している人であるというイメージは全く浮かびません。
 しかし事実、この年の11月、フレディは世を去る。

 (「I'M GOING SLIGHTLY MAD 僕は少しずつ狂っていく」)

 余談ですが『イニュエンドゥ』に収録されている「輝ける日々」のPVでは、やせ衰えながらも、なお力強く歌うフレディが映し出されています。その終局、「I still love you...」と唱え華麗な仕草で画面から消えるフレディが、生前最後の彼の映像です。

生前最後のフレディ

 この「輝ける日々」、ポール・ロジャースを加えて行われた2005年の世界ツアーではこの曲に合わせてステージのスクリーンに75年4月の初来日の時の映像が使われています。

 私自身、日本での公演なのでサービスなのかな、と思ったのですが世界中どこのコンサートでも同じ映像が使われていたようです。彼等の日本に対する思い、そしてそれを重ねた「輝ける日々」への気持ちを感じ取れます(会場で販売されていたパンフレットの裏表紙にはカタカナで「クィーン」と大書されていたし)。

 長々と書いてしまっていますが、でもQUEENの伝説は終わりません。

 例えば81年に発売されたベストアルバム『グレイテストヒッツ』は全世界2500万枚以上のセールス、イギリスチャートイン553週(!)という記録を誇り、次のベストアルバム『グレイテストヒッツⅡ』が発売された段階でまだランクインしていたという。

 フレディ死後に残された音源から造られたアルバム『メイド・イン・ヘヴン』もセールス2000万枚以上を記録しています。

2004年に日本で発売されたアルバム『ジュエルズ』は年間洋楽チャート1位、累計170万枚を売り上げた。因みに同年のシングルチャート1位は平井堅「瞳をとじて」で83.4万枚。

 ……伝記映画であれば、あのシーンで終わるのは仕方がないことだと思います。ニキ・ラウダとジェームズ・ハントの戦いを描いたロン・ハワード監督の「RUSH」も、あそこであのように終わるのは既定路線だった。

 しかしQUEENの伝説は映画で描かれた後も続き、そして現在進行形でもあります。
 ライヴエイド以後も、そして病魔に侵されて以後も、堂々と我が道を歩み抜いたフレディの姿を、これを機に多くの人に知ってもらいたい。

 そんな気持ちで、この文章を書かせてもらいました。

 最後に残ったメンバーで発表された、現在において最後の曲である「NO-ONE BUT YOU」の一節を。

「良い奴ばかりが若死にしていく あまりにも高く羽ばたいていて、太陽に近づきたからさ それでも人生は続いていく 君はもういないのに (中略) 思えば大したものだったよ やるべきことを全部やった 君は世間の度胆を抜いて 最後まで自分を貫いた」(『グレイテストヒッツⅢ』ライナーノーツより)


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