見出し画像

1月27日大河原邦男氏講演 メカニックデザイナーの仕事論

 ……関係者多し。タツノコ、カドカワ、サンライズ、光文社など。アート系学校の生徒にも席が用意されている。

メカデザイナーの大河原です。

 英語ではメカニカルデザイナー。タツノコだとメカニック、サンライズだとメカニカルと呼ばれてます。ウィークデーなのに皆さん大丈夫?生活の役に立つ話ではありませんよ(笑)。

 じつは一昨日、日野市から財務調査が入りまして。若い女性の調査官。「仕事たくさんしているのに、稼ぎが少ないですね」。大きなお世話だって。

 まずは自己紹介。昭和22年、当時の稲城村生まれ。当時はまだ舗装されていない川崎街道を使って登校してました。家は11代続いている古い家。ウィキでは父は機械関係の仕事と書いてあるけれどあれは嘘で、農業です。母は福島の相馬の生まれ。毎年馬追祭りに行っていて。武者甲冑を着た思い出があります。

 兄は國學院に進学し、自分は美術系に行きたかった。小学校の時、図工の江川先生が当時珍しいレジンを使った授業をしていた。それでモノづくりの魅力を知った。また近くに米軍の基地があって、朝鮮戦争の時に物資の輸送などで米軍機をよく見ていた。P‐38とか。高校の時は学校が嫌いで、よくよみうりランドでサボっていました。

 大学は親が行けと言ったので、多摩美がいいかなと思ったけど、八王子に東京造形大学ができて、一期生というのはいいな、と思って進学。だけど同期に横尾忠則がいて、これはヤバイと二年生で転科した。

 卒業後は、紳士服のオンワードに就職しました。デザインをしていたと言われるけど、やったのは企画。つまんなかったので、一年で子供服の木村担に転職。けど、営業に配置替えになった。

 その時出会った女性と結婚するのですが、、結婚するってのに仕事辞めちゃって(笑)。で、結婚式の時に無職じゃカッコ悪いので、何か仕事はないかと探していたら、新聞広告でタツノコプロが若干名募集とあったんです。

 その時に採用されたのは、三人でした。当時は運転免許持ってたら制作進行で原画回収させられるんだけど、それは嫌だなあと言っていたら、背景に回された。

 そこで課長だった中村光毅さんに出会った。で、もう入ってすぐに、独立したら一緒に仕事しようって言われた。76年、オフィス・メカマンに。登記手続きとかは全部自分でやりました。けど、一年で辞めた。中村さんのほうがたくさん仕事をしているのに、給料が同じだったんです。いたたまれなくなって。

 ここで、アニメの作り方の話をします。当時はおもちゃ会社が企画から参加してます。

「もううちにないから、ネットで拾ってきました」。

 当時は五つの班作って、順番に担当して一年間四クールを回す。シリーズ構成は一人、シナリオは三人。コンテは四人くらいでローテーション。で、それら演出チームからゲストメカの発注が来る。

 メカをデザインする、というのは、アニメだと人・動物以外の全てのものをデザインする。それをアニメーターに伝えるために、情報は少なくする。

 基本的な図形を積み重ねて作ります。アール(曲線)を逆に使えば尖ったデザインで、悪役っぽく、みたいな。他にもパーツを使い分けてデザインの方向性を示す。プロダクトデザインというのはおよそ無個性なもので、生産効率を突き詰めるとそうなる。対してメカニカルデザインは、無駄なパーツでも取り付けたりして個性を作る。それがキャラクタライズだと思います。

 タツノコは給料安かった(笑)。けど儲かってたみたいで、二泊三日の社員旅行とか行ったりしました。

 入社して半年でガッチャマン。そこでタイプロゴのデザインをやらせてくれた。注文は「飛んでるような」。それだけでカタカナの名前をデザインしたら採用された。それがデザインの初仕事でした。

  で、メカの内部図解とゲストメカを描いた。メインは中村さんが描いてました。

 背景メカも描いてましたね。当時は武蔵美の人たちがバイトで来ていたんだけど、あの人たちはメカを書くのが苦手で。自分がよく描いてました。

 ガッチャマンが終わったら、背景に戻らせてくれるって約束だったのに、そのあとキャシャーン、ポリマーとメカものが続いて。ゴータムからは全てのメカを描いてました。

 「ゴータムは最初の段階ではロボットの登場はなかった。けどスポンサーから出せって言われて。けどインパクトのあるロボがデザインできました」

 この頃から内緒でサンライズの仕事をやるようになって。ダイターンからは全てのデザインをやりました。けど、ダイターンはもう少し神経を使ったデザインにすればよかったなぁ(笑)。

 そして富野大監督のガンダム。

 モチーフは侍です。けど、ほとんど自分の手を離れてデザインが完成した。サンライズは安彦さんの言うことは聞かないといけない会社だから、安彦さんがクリンアップしたのを使った。

 ガンダムは自分のデザインが元。で、ガンキャノンは安彦さんが企画段階で書いたもの。ガンタンクはどうでもいい(笑)。サンライズは三メカが好きで、三つ目のメカは、ということになって適当に(笑)。

 で、敵メカは商品化しないわけです。主役は色々な文句が入って変えられてしまったから、敵はガンダムよりカッコいいものをデザインしてやろう、と思ってザクを描きました。ザクを作って一週間くらいですぐ制作がスタートしました。

 ボトムズは……ダグラムの反省からなんです。

「ダグラムの第一話、かがんだダグラムは、あれ、おもちゃやプラモだと、よっぽど改造しないとできない格好」

 大きさも中途半端で、9~10m。アニメーターによって大きさがマチマチになってしまった。

 なので、ミクロマンを載せてモックアップを自作してみたら、スコープドッグの大きさができた。けど、これがスポンサーから大不評

 分割アーマーデザインは、ガンダムのころから変わってません。このデザインができていたのに、ダグラムが意外に好評で放送が伸びたので、ボトムズはスタートが遅れました。

 大きさは間違っていなかった。今、高橋監督が書いている小説もアニメになって欲しいなあ。

 倉田工房にも実物を見に行きましたよ、一分の一。

 バイファムはOPが好き。内容も好きです。

「RX78はエアインテークが五個あってメンドくさかったから、バイファムでは二つにしました」

 バイファムとボトムズは同時期だったので、描き分けが大変でした。


発注……監督の意向に合わせること

 幾つか出すと、監督からメモと共に修正要望とかが来て、変更していきます。

 SEEDのメカデザインは、当時小学生の監督のお子さんがOKなら採用でした。羽根が多いやつが多くて大変でしたね。

 ヤッターマンは1978年版と2008年版があるのですが「一見したら同じだけど、よく見たら30年進化しているデザイン」という依頼を受けてリデザインしました。

2008年版。1978年版と比べて欲しい。

 ヤッターマンのメカはほぼ直しがないので、お金にならなくても描いていて面白いですね。

 ビルドファイターズはガンプラは売れたので、その勢いを逃しちゃだめとすぐに続編トライをやりましたが、最終回しか登場しないカミキバーニングをキット化したのは度胸があるなあと思いましたね

 トライオン3はガオガイガーとダブルゼータを足しました。合体前のバラバラのデザインは余ったら使おう、くらいの気持ちで作りました。スタッフの密着度が高いアニメでしたね。キット化する予定もあったので。

 アジアでも今は時差なしで放送されるので、アジアでも人気があります。


アニメ以外の仕事

 南魚沼キリザイロボ。ジオング入ってます。

 バイエル製薬の新潟限定のCMに使った除草剤のロボ、イノーバトリオ。CMはサンライズが制作してます(笑)。 プリパラは、りぼんやハートを使ったデザインの依頼は少ないので、楽しかったです。

「ワダアッコーメカはプロダクションから最初怖すぎるので直してと言われたので直したら、最初の怖いのがいいと言われた」

 消防車もデザインしました。

 描く道具は溝引き定規を使ってます。アナログなんです。

 イラストは、安彦さんがいっぱい描くから、サンライズから描かされるようになった。

 絵が下手なので、工房で物を作るほうが好きです。デスクスタンドとか、ライトとか。機銃型コンパスを作りましたがこれが使い辛くて。カッターも同じ(笑)。

稲城プロジェクト。「お台場のガンダムがなくなったら、南武線稲城長沼駅のガンダム見に来てください」


仕事は、発注を受けたらすぐ手をつける。

 手をつけてから、しばらくほっておく。そして再思考して、直してから納品。

 同時に五件くらいの仕事を並行してやっているので、再思考する時間が大事なんです。

 スケジュールを守るのも大事です。今まで期限までにできなかったことはありません。断ることもありません。そうやってできた仕事に、クライアントが納得しなかったら、次から仕事が来ないだけ。だから全て受けます。作業し続ければおおかたの問題は解決すると思います。

 仕事の目標は、夢を感じていただくこと、そしてそのタネを蒔くこと、と思っています。

 アニメは夕食時に流れていたものです。お母さんが料理をしていて、子供達だけでテレビに向かっている。だから子供に悪影響を与えるような、気持ちの悪いのは描かないようにしました。 

 しかし、アニメは仕事の量に比べて給料が少ない。正社員は少ないし、契約社員がほとんど。これは好きだからもってるようなもの。多分この環境は変わらないだろうなあ。政府がアニメ専門のTVでも作ってお金出しまくればいいのにね。

 

 私の人生に、一番の貢献してくれたのは奥さんです。無職の私と結婚してくれただけでも凄い。四月にタツノコ入社して、その月内に新婚旅行に行っちゃうくらい適当な私です(笑)。

 そして、中村光毅さん。サンライズの山浦栄二さん。タツノコの吉田竜夫社長は、新入社員の私と天野喜孝をカウンターの寿司に連れて行ってくれたことを今でも覚えてます。

 通称オオトリの鳥海尽三さんと、コトリの鳥海永行さん(笑)。永行さんは、私の画をそのまま動かす、と言ってくれた。全然アニメ向けの画じゃなかったのに。ガッチャマン以後、日本のアニメメカのデザインが変わったのは、私がアニメ・マンガに興味がないまま画を描いていたからです(笑)

 そして星山博之さん、神田武幸さん、滝沢敏文さん、岸本吉功さん……。

 この人たちの期待を裏切らないように仕事をしてきた。必ず、自分を見つけてくれる人がいる。その人たちのために、仕事してきたんです。


Q、斜めから観た絵が多いのですが、三面図とかは描かないのですか?

三面図は寸法が……。絵が苦手だから、あまり描きたくないんです(笑)。安彦さんは描くのが大好きだけど。あまり絵を描かないでお金が欲しいですね。あと、アニメーターさんは斜めの絵がいいらしいです。形を掴み易いらしい。

Q、ガンダムの腰の黄色い四角はなに?

兵隊だから、軍服のポケットです。ちなみに私の描いたメカの内部図解はウソです。子供の時に見た図解をそのままにしてくれたらいいのに、今になって大人の頭で調べられてしまうから困ってしまってます。

Q、バイファムはバーニアがカッコいいですが、燃料とかは?

あれは圧縮空気です。当時、ロボットには一つギミックをつけていました。おもちゃを売るためにね。私は生活のために描いていただけですよ。

Q、どんなときにアイデアが浮かんできますか?

デザインするときは何も考えていませんね。打ち合せの段階でもうイメージが出来てきているので、家に帰ってクリンアップするだけです。苦しんだということはないです。形だけなら一日二日で作れる。

 パズルのピースがはまったように偶然にこの仕事につきました。だから次はどんな仕事が来るのかなと楽しみです。今、アニメを見て大人になった人が会社の企画とかをするようになっている。そこから仕事が来ると楽しい。死ぬまで楽しい仕事ですね。

Q、いつから、ものづくりを?

二十年くらい前かな。工房は金属加工する機械を入れるために作りました。マザーマシンを入れたり。旋盤とか。そういうのが好きなんですね。最近はメッキのためのキットも導入しました。機械をいじるのは楽しいですけど、あんまりプラモは作りません。

Q,仕事をしにくい監督はいますか?

メカのセンスが違う監督はいますが、我慢ですねえ。サンライズには二人の監督がいましたけど、監督の意向に沿うようにすることも大事です。メカはあくまで一部門なので。大人の付き合いも大事です。仕事ですから。

 笹川ひろしさんとも長い付き合いですが、タツノコの人は気持ちがいいですね。布ちゃん(布川郁司さん)とか。サンライズが仲悪いわけではないです(笑)。

Q、今のガンダムに対しては?

昔のアニメはだんだんとグレードアップパーツが出てきたんだけど、今は最初からフル装備なんだよね。だから線が多い。今のデザイナーは隙間が怖いのかな。詰め込んでしまっている。今のアニメーターも複雑なデザインを描きたいわけではない。タイムボカンも半年やって、半年休んだ。そのスタイルがいいとは思わないんだけど、アニメーターは大変。単純な形が怖いのかな、と思う。ビルドファイターズもそうだったけど、ガンダムにはデザイナーがたくさん参加している。目立つデザインにしたい、というのはあるかも。

 単純で魅力的で、ストーリーに沿ったデザインがいい。私くらいいなると仕事が来ないんです。プロデューサーがみんな年下になってしまって。特別なルートでも作らないといけないかなあ。仕事は全て、買い取られるので、今のデザインを見ても考えないようにしています。ただ、私より稼ぐな!人の軒先で稼ぎやがって、とは思ったり(笑)。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?