僕は嫌だ

プロ失格というあんたは私の何を知る?

 今年の新日本プロレス1・4東京ドーム興行「レッスルキングダム12」には約35000人もの観客が集まり、今のプロレス人気を示す結果になりましたね。
 10年ほど前はテレビ放映でもほぼリングだけが写っていて、集客が厳しいのかなと思っていましたが、ブシモによる戦略が効果を示した結果だと思います。

 試合内容も素晴らしかった。メインイベントであるIWGPタイトル戦のオカダ・カズチカ対内藤戦は、内藤が夏のG-1クライマックスを制して以来、ずっと盛り上げてきていたもので、待ちに待った!という感じでの一戦でした。

 やはりプロレスは因縁であったり、リングに上がるまでのドラマ(いわゆる「ブック」)が大事。リングの下と上でのストーリーがプロレスを成り立たせている。
 勿論、レスラーたちの技術も重要です。特にチャンピオンのオカダはその恵まれた体格と身体能力もさることながら、ドロップキックやトゥームストン・パイルドライバーなど、言うなれば目新しくない、古典的な技をダイナミックに魅せることができるその意味でオカダはスタンダードなプロレスの王道を歩んでいる(ビジュアルや言動はハデですが)。

これだけ高いドロップキック。191センチの身体が宙を舞う。

 また、今年はアイドルの松井珠理奈が大会アンバサダーとして大活躍。彼女は昨年のドラマ『豆腐プロレス』以来、すっかりプロレスファンになったそうで、近年流行りの「プ女子」の代表みたいです。プロレス大賞特別賞も獲ったし。

 この『豆腐プロレス』、全く歩み寄ることが無さそうなプロレスファンとアイドルファンが実は親和性が強いということに着眼した、という点でウマいなあと思います。

女子プロレスの例を見ても、プロレスとアイドルは近い

 プロレスは前述したようにドラマ、ギミックが大事。そしてAKBに代表される現代のアイドルも、「ガチ」を強調しているように、下積み、売れない時代から這い上がっていくストーリー、集団の中から頭角を現してセンターにのし上がっていくストーリーを楽しむものです。だから自分が推しているアイドルがテレビで注目されると「世間に知られてしまった」という複雑な心境を示し、ブレイクすると次に推した未だ表に出てきていないアイドルを探したりするのですが。

 こういうアイドルファンと、ブックがあるのを知りつつ「ガチ」としてそれを楽しむプロレスファンは元来、近しいものだったのかなと思います。そこをリエゾンした着目点。

 (ついでに言うとヒーローのストーリー、敵があり、苦難の末勝ち上がってくというモノに親しんでいるアニメファンも『タイガーマスクW』で引き込んでいるのもウマいなと思う)

 プロレスラーもアイドルも、リングもしくはステージの上で全力でパフォーマンスを示し、それに観客は熱狂する。その気持ちには差異は無いのだと思います。

 ただ、ここまで長々と書いてきてやっと本題に入るのですが、年末年始でもう一つ私が注目したのが、NHK紅白歌合戦での欅坂46の過呼吸事件です。

 私は過呼吸事件の真偽だとか、そういう憶測で話をすることには興味がありません(乃木坂46橋本奈々未の卒業・引退の時にも「あれは出来すぎている、台本があるんじゃないか」なんていう話がありましたが、自分が理解できないことについて、すぐに裏で話ができているなんて考えるのは、陰謀論に近い思考パターンだと思います。分析しようという思考を放棄している)。
 私が気になったのは、その後の報道などでついて回った「プロ失格」という言葉です。

 「口パクでダンスしているだけなのに倒れるなんてプロ失格」。

 とまあ、こんなコト言われちゃったり。

「しかし今回の紅白一番のアクシデントといえば、欅坂46の娘さん達の過呼吸ドミノ失神であろう。確かに運動量は多いかもしれないが、メリハリ強めの志村けんの「変なおじさん」といった佇まいの、あの程度の踊りで過呼吸とは、口パクで声も出していないのに。不可解オブ・ザ・イヤー2017は、駆け込みでキミたちに決定だ」(週刊文春1・18日号)

 文春のこの記事もなかなか強烈。

 事実、口パクであることを槍玉に挙げて罵倒する発言はネット上でも多い(特にAKBグループやジャニーズに対して)。

 しかし、口パクがどういう問題になるのだろう、と私は思ってしまう。
 なぜ口パクをするのか。歌手が歌いたくないから、ということはないだろうし(ヘタかどうかは別として)、やはり観客にベストなモノを届けるために最善の方法として口パクを選択しているからではないでしょうか。

 英国のバンド、クィーンは多重録音した重厚なサウンドが魅力ですが、初期はレコードとライブでの音の差がバカにされていた。特に大ヒットした「ボヘミアン・ラプソディ」は途中のコーラスパートをライブで表現するのが困難でした。
 そこで「だったらそのままレコード流してしまおう」と考えて、曲の途中でステージが暗転、レコードの音が流れてその後再び曲の演奏が始まる、というスタイルにした。
 その後、世界最高のライブバンドと称えられるようになったのは周智の事実です。

 プロならば客を満足させなければ、というのは間違いない。だが、客が何に満足しているのか、というのは外部からは分からない。何で魅了してくれるのか、というのは金を払ってチケットを買った観客が、ライブが終わって出てきた時に「次も来よう」と感じているのかどうかによるのだと思う。

 その満足度が高ければリピーターは増えるし、興味を持って新しく足を運ぶ者も増えてくるでしょう。1・4東京ドームの成功はその結果ではないでしょうか。

 逆に、客が満足のいくパフォーマンスではなければ、客の足は遠のく。それだけのこと。
 よくあの芸能人は性格が悪いから、悪いウワサがあるから干された、なんてのもネットに書き込まれたりしますが、そんな情緒的な理由で干されることはないんじゃないでしょうか(そのほうが分かり易いのだけど)。

 富野監督は時折作品の放送中に、自分の作品を「失敗作」と発言したりします。それは自身が満足できる作品になっていない、ということを吐露してしまっているわけですが、それでも視聴者は楽しみに観ているし、放送後に傑作と謳われるものだって多い。
 それがプロの仕事だと思います。
 
 プロレスラーはリングで観客を魅了している。そしてアイドルはステージで。 

 しかし満足のいかない(と勝手に思い込んまれている)パフォーマンスだと「金を払ってもらっているのに」「やる気がないならやめろ」「やりたいからやってるんだろ」という発言が出てくる。

 ある種ブラック企業の論理みたいな。社員のパフォーマンスに高い期待をして、その基準に達しないとこんなコトをよく上司が言ってくる。
 ブラック企業にはアレルギー反応する人が、芸能人にはそれと同じ論理のことを押し付けている。つくづく思うけど、日本はサービスを受ける側には最高で、サービスを提供する側には最低の国だな、と。

 改めて欅坂がステージ上で倒れたのは「プロ失格」でしょうか?

 そもそも倒れたと言っても歌い切った後だし、画面上ではふらついているところしか写っていない。その点では「プロとして」の仕事は果たしている。
 
 二時間もコンサートが始まらないバンドやステージ上でウ○コしちゃったアーティストもいる。彼らはプロ失格?(あまり大物バンドと比べてしまうと「アイドル風情が大物面している」とブーメランになってしまいそうだけど)

 皆が欲しがっている、見たがるガンダムを作ればそれはプロの仕事か?富野監督がまたアムロとシャアの話を作ればプロなのか?
 おそらくファンは、そしてサンライズは30年それを監督に求めてきている。
 しかし、だからこそ監督はGレコを作った。アムロ出せばそりゃ客は集まる。しかしそれはしない。しなくても「見たい!」人がいて、また「面白そうだ」と思ってくれる人が集まる。それがプロではないでしょうか。

「Gレコはガンダムと思っているヤツらには絶対解らない」。

 とは言え、監督も「ファンのみを相手にしていてはダメ」と言っている。
 以前、岡田斗司夫がGレコを評して、「有名料理屋のオヤジが持ち上げられて、不味くなったのに気づかない。食べに来ている人はそれを指摘しないといけない」と言っていましたが、それはある意味で的を得ている。

 しかし、この指摘する客は料理屋の常連で、オヤジと信頼関係がある人でなければならない、と私は思います。
 イキナリ入ってきた客に「ココの味ヘンですね」なんて言われるのは、オヤジにも他のそこの味が好きな客にも不本意でしょう。

 料理を作る人と食べる人という両者だけの関係ならいいですが、エンターテイメントである限り、一対多数の関係はどうしようもない。

 しかし真に「プロ」なら、エゴイスティックに自分の主張を通すことが、それを評価してくれる人を満足させてくれることだということを知っている

平手友梨奈「(大人は信用できない、という発言の真意を聞かれて)……私が言っている「大人は信用できない」っていうのは……なんて言えばいいのかな、事務的だったり作業的だったり、『とりあえずやってます』って感じが大っ嫌いなだけなんです(振付の)TAKAHIRO先生とかスタッフの方々みたいな本気の熱を持った生き方をしている人たちのことじゃなくて……」
(クイックジャパンVol.135)

 平手友梨奈の発言からは、子供じみた真摯さが感じられます。
 仮に「事務的に、作業的に」仕事をこなすのが「プロ」ならば、そしてステージで倒れるまではせず、そこそこのパフォーマンスで済ますのが「プロ」ならば、彼女はそれを拒否するのでしょう。
 
 彼女のそういう態度・表情は「厨二病的」とも評されます。
 彼女のパフォーマンスは「大人たちが忘れてしまった大切なヒリヒリとした感情を思い起こさせてくれる」ようだ、と聞かれて彼女はこう応えています。

「そうなんです!本当にそうなんですよ。みんな忘れているだけ。誰もが絶対に心のどこかにそういう感情をしまいこんでいると思うんです。私、別にかっこいいとか可愛いとか思われたいから欅坂をやっているわけじゃなくて……。人間のできることなら覗かれたくない感情やなかなか素直に表に出せないなにかを表現したいんです。(中略)ダサくていいんです。逆にダサかったり気持ち悪いほうがいいのかもしれない」(前掲書)

 ……夏の全国ツアー最終日、幕張メッセでのステージでは「会場が二度と使えなくなっちゃう」ような演出をしたかったという平手、16歳。
 多くの客が喜んでいるはずの数々のガンダム作品を「自分以外は全てクソ」と言い放ち、今もGレコの完成に向かっていっている富野監督、76歳。

 以前話しましたが、欅坂46は中高生の子供たちに熱狂的に支持されている。富野監督の作品は言わずもがなです。

 プロがどうかを問うことができるのは、ファンでもない他者ではなく、ファンでもなく、表現する彼ら自身が、自らに問うことのみ許される、そういうものなのではないでしょうか。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?