この世界の

2017年4月23日NHK青山カルチャーセンター富野由悠季氏講座『富野監督と考えるアニメ映画の新時代』

おはようございます。

 時間に関係なくおはよう、と言っていますが、これは実写映画の世界の話で、撮影が何時あるか分からないので、その日初めて会ったらおはよう、と言います。それがアニメの業界でも使われているけど、そもそもアニメーターって朝いない

 今日はアニメ映画の話ですが、私にはおこがましい。何故なら私はほとんど!アニメを見ないから。これしか見てないってレベルです。新しい時代というテーマで話すのは……。今、現場で作っている、という目線で話します。若い人に向けて、これから仕事をする若者の参考になるように。……って、ここには若い人はいないみたいだけど。

 『君の名は。』『この世界の片隅に』は革新的だった。あと『ひるね姫』も加えていいでしょう。ヒットしているかは関係ありません。ヒットしたものが良いモノではないから!

 この三作品に共通しているのは?「俳優が声優をしている」。そういう問題ではない。「イデオロギーが薄い」。近い。作っている側にそういう「主義」がない。「女性が主人公」。それは瑣末な事。「リアリティがある」。これは正しい。『この世界の』のパンフで氷川(竜介)くんが「地続き感」という言葉で表している。『君の名は』にも多いし『ひるね姫』にもある。我々が今、観て理解できる構造になっている。『君の名は』は大林宣彦監督の『転校生』のパクリという話があるけど、それもあまり関係ない。ヒット作の内容は繰り返すものだし、東宝のゴリ押しがあったのかなと思う(笑)。主題歌だってRADWIMPSに乗せたのも上手かった。今の人が乗り易かったということ

 『この世界の』は原作がとってもヘンなもの。アレが嫌い、という人がいるのも解る。私は昨年の夏に、スタジオに置いてあったから迂闊にも3P読んでしまったら、最後まで読んでしまった。こうの(文代)さんは文学に近く、マンガ家ではない。他の作品は読む気になれない。読みにくいというのが理由ですが、それは長くなるので言いません。片渕さんと話した時に、「(『この世界の』は)世間から忘れられた作品だった」と話していた。私は好きな映画です。

 『ひるね姫』はSNSなどの小道具や、ハリウッド的な表現が多い今、違う使い方・表現を見せてくれた。僕はまだガラケーしか持っていないから、そういう小道具の映画の中での使い方を示してくれた。

 そういう「地続き感」は、「絵空事ではない」「リアルだよね」というところまで行っている。アニメとして、という切り取り方をしてはいけない。『この世界の』は最初10分くらいで、アニメ画を観ているという感覚が無くなってくる。あの画なのに。

 『君の名は』は物語的にはヘタな構造をしているけど、ヒットしている。アジアでも売れた。あれは今の心象を写している。要約すれば「共感性」。これが今、人との関係の中に無い。中国にも無くなってしまった。近代化が急過ぎた。

 中国は一つの国ではなく、共産党がなんとか一つの国にしている。だから共感性がなく、出身で張り合いが強いし、共産党が頑張らないといけない。その中で「君の名は?」と言ってみたいよね、という共感性を求める心象がある。

孫文は「中国は砂のようなもの。強く握ると指の間から溢れる」と話している。緩やかに握り、一国としての体裁を成しているのが今の共産党と言える。

 (『ひるね姫』のサブタイトルの)「夢の中のワタシ」というのは、人が霊長類になっていく所以になった、と『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ他、河出書房新社、2016)の冒頭にそうあった。なぜ、人が知恵を得られたか。それは虚構を信じることができるから、と。それは宗教でも言える。だから霊長類になった、と。この作品はリアリティという点で評価できる。

 『この世界の』は日本映画史上初めて「近代」を描いた。今までは、イデオロギー・プロパガンダがまずあった。明治ってこうだよね、みたいになってしまう。司馬遼太郎が幕末を書いたら、明治は明るいものにならざるを得ない。テロリストが横行していた時代ですよ、幕末・明治は。しかし、その(明るくていい明治)というイメージに支配されている。『この世界の』のこうのさんという文学志向の強い人と、片渕さんというファンタジストと、あと関西の風土を知っている人たちが描いたもの。ロケハンしただけの甘っちょろいものではなく、空気感に溢れている。背景一枚一枚は腹が立つくらいヘタなんだけど。あの時の広島の空気がある。

 今、実写の方が道具的なギミックになってしまう。あの絵だからリアルになり、観客はそう受け止める。カットのデッサンが狂ってたり見えるけど、それは欠点にはなっていない。当時はこういう空気だったのではないか、というのを見せてもらった。今後、実写はあの映画ほどにはなれない。実写が即ちリアルにはならない。実写のリアルは小道具とか大道具とかCGとか、そっちに行ってしまう

 この三作品でアニメに一区切りがついた。ジブリ作品も過去のもの、歴史になった私もね。第一世代のジャパニメーションがこれで説明しやすくなった。基本的にはリミテッドで、マンガ画で、子供じみているよね、と。そして、これでやっとリアルなものを作れるようになった。自分もそれを作っているつもりでいた……ガンダムは映画的な手法でしかつくれなかったけど、今まで映画としては見てもらえなかった。悔しいね

SF・特撮は映画的なモノを理解していない人が作っています。

 1954年『ゴジラ』を13才で観て、嫌だった。ゴジラのシーンと役者のシーンと背景の質感が合っていない。戦闘機にはヒモがついているし。これがずっとそうだった。『モスラまでは我慢した。モスラは羽ばたいているけど、あれは蛾の羽ばたき方じゃないし。それをマッハで飛んでいるから、と言い訳にしやがって。特撮は子供じみたものでいい、となっていた。特撮を好きな監督が一人もいなかった。世界の映画史的にも特撮はあるけど、評価されていない

「特撮の父」レイ・ハリーハウゼン(1920~2013)。ストップモーションアニメの手法で数々の傑作を生み出す。1992年にアカデミー特別賞受賞。

 それが変わったのが1977年『スター・ウォーズ』と2009年『アバター』。革新的だった。特撮を「映画的に撮る」「物語を組む」というのは、ルーカスとかキャメロンとかというヘンな人がやった。あの人たちが子供のころから持っていた、フラストレーションをぶち込んだ。「もっとカッコ良く」「ロケットはこうでないと」「俺の見たかったのはこういうのなんだ!」と。『アバター』だって、話は何十年も前から考えられていたことだし。私は『スター・ウォーズ』が出た時にはガンダムの脚本を書いていたのに。スポンサーの意向に従って作らされていた。まだバンダイじゃないよ(笑)。

 悔しかったのはライトセーバー。あれで鍔ぜり合いやったら、人死ぬぜ(笑)

 あ、『君の名は』の悪口言うの忘れてた(笑)

 去年の映画(『ローグ・ワン』)でも鍔ぜり合いをやっていたけど、今は許せる。子供じみたものだからけど、芸能ってそういうもの。リアルではない。けどそれでいい。なんでライトセーバーをまだ使っているんだろうね?映画的な表現?演劇的なものに支配されていたのかもしれないし、映画だからいい、となっていたのかもしれない。

映画は、映画の中で飛躍できること、そして物語の量で攻めることができる。

 プロパガンダは一つの考えを押し出してくる。ソ連の映画でエキストラ何万人というのがあった。物語に関係ないのに、軍隊が協力して、空撮でバーっと。それをスゴイ、さすがソ連と周りは言っていたけど、私は凄いと思わなかった。映画はキスシーンをアップで撮ることができる。それをロングで撮ったら見てられないし。ただ、周囲の景色を変えて印象を変えることはできるが、それはデジタルだから技術的に出来ること。物語とは関係ない。大河ドラマもOPでよくやるけど。あ、NHKの悪口ではないです(会場、笑)。

ソ連映画『戦争と平和』(1967年)は、エキストラ12万人以上、上映時間6時間半という大作。ソ連軍の全面協力、ソ連の国家事業として製作され、史上最も制作費のかかった映画(現在の価格で7億ドル?)とも言われる。

 映画は、新しいモノを作る必要はない。歌舞伎と同じ。話は同じで役者が違うだけなのに、着飾って見に行く。だから新しいことは必要ない。ガンダムも時代劇なんです。新奇なモノを作ると作者の肩入れが出てしまう。Gレコについてはガンダムではない、と言ってきたのですけど。自分は芸能嫌いだから新しいモノを作りたがってしまうし(笑)。

 日本アカデミー賞が『シン・ゴジラ』と『この世界の』だったことに、会長(岡田裕介)が「このジャンルが柱になった。これからは作画とかの賞も作らないと」と言った。やっとかよ、と。あの人たちは根本的に映画というものを知っていなかった。映画とアニメ・特撮を分けていた。けど、これから時代劇を撮ったらデジタル処理するだろうけど、それは特撮?時代劇だろ、と。映画ってモノを一般論としてもう一度考えたほうがいいのでは、と思う。

 今はゆるキャラがたくさんあるし、みんな動画を撮っていて(敢えてyoutubeとは言わない)、アニメも一般化している。それらから受ける印象は強いと思うが、それに慣れると、簡便に済ましてしまい、リアルに考えることができなくなる。今の国会議員もそうだよね。けど、その時代にアニメ作品が集まり、地続きなモノを作っている。プロデューサーとか製作側にそういう気持ちがあったとは思えないが、そういう「リアリズムの消失」に危機感があったのかもしれないし、こういう人が出てきてくれたのは嬉しい。自分ができなかったのは悔しいが。ガンダムという作品が世間を写す鏡になっていたかもしれない。それを観て育った人たちが、今の作品を作ってくれているのかもしれない。

質疑応答

Q、Gレコの映画は?

 進行しているのは、一本目の1時間40分、二本目にもOKは出ている。けど、客が入らないと作らせませんとも。宣伝してもらって、せめて『君の名は』の三十分の一も入ってくれればOK出るから。

Q、「映画」とは?

 躍動感とドラマ、たくさん詰まった構成要素。1カットごとに自由に次のカットを繋げる。そこに物語の見せ方が無限にある。キャラと景色の関係をレイアウトで表現できる。1カットでもドラマを作れる。舞台では一瞬で変わることはできない。しかしライブ感はある。デジタル時代では、自分の思いだけで狭く作りすぎている。『ローグ・ワン』も、あんなもんだよねー、みたいになってしまう。スターウォーズのEP4は砂漠でロケットという考えもつかなかった組み合わせをしていた。しかし今、なんでもできるデジタルなのに、ルーティーンで決まりきった画を撮ってしまう。その画が、ドラマ的に必要なのかどうかを判断できる監督がいなくなっている。それが映画の面白さなのに。

 デスクの上だけで完結する世界にするな、と。

Q、ロミックス受賞おめでとうございます。ところで『けものフレンズ』を知ってますか?今ムーブメントになっていますが、CGで作ることはお考えですか?

 イタリアに行ったら、ちょっと前までコミケみたいだったのに、文部大臣が出てきた。楽しかった。『けものフレンズ』は知らない。CGで作るのには体力的にキツい。考え始めたら、面倒くさいことを考えてしまうので。あと、作品は一年・二年経ってから評価しなさい。

Q、私たちは何を見ていくべきか?

 『サピエンス全史』は斜め読みしただけだけど、人は嫌が応でも前に進んでいく。生きていくしかない。最近は戦争も身近になっている。比較論では語れない。死なないように生きることがリアリズムだし、それが無責任だというのも分かっている。『この世界の』で重大なのは、それなりに生き延びてきた、ということ。野草を食べてでも。そういう知恵があった。今の人は生活すること、自活力が弱っている。どうしたら良いか。それはみんなで生きていくだけで、世代の違いとか言っていられない。今の日本は安定しているのか?死なないで済むことができるのか?そういうことを考えている。まずは皆さん、生き延びましょう。そして困っている人への寛容さを持ってもらいたい。現実は過酷なもの。それを分かってもらいたい。田舎を持たない自分には閉塞感もある。都会育ちの特権意識がどこまで続くのか、と思う。

Q、時代劇とは?

 チャンバラが成立すること、です。劇が、戦う二人がいないと成立しない。恋愛なら無理に遠距離とかにすることもできる。宇宙でチャンバラをさせることは凄い考えた。ミサイル戦はドラマにならない(画にはなりそう)。そして、チャンバラは繰り返し見れる。戦いは好きなんだ、人は。だから過去のをコピぺできる。

 Gレコは人類が絶滅寸前まで行ったことのある世界だから工業生産は皆、キャピタルタワーでやっている、地球上は再生の途中にある、という設定があって。だから、宇宙から地球を見るときに、地球の灯りを消した。アニメーターはそれでも描いてきてしまうから直させたんだけど、それが常識になっているんだよね。サンライズではガンダムしか作れない。ムーミンみたいな話とか打倒キティちゃんみたいな企画を上げたりしたのだけど、却下された。じゃあ独立しようかとも思ったけど、自分には経営ができなかったので。私には鈴木敏夫がいなかった。それに、鈴木敏夫とは絶縁しているし

 未来は悲惨。自然エネルギーの今後も疑わしい。太陽光パネルが山肌に並んでいる風景はあまり気持ちのいいものではない。今のままだと近未来を描いたら絶望しかなくなる。ハルマゲトンを描いたらダメ。だから1000年飛ばした。時代を語らない物語を見せようとした。けど、それを見て「どうしてこんな世界になったんだろう」「これはどうして出来たんだろう」という疑問を持ってくれる子供達が出てきてくれることに期待している

『キングゲイナー』では飼われることに慣れきった人々がやっとアイデンティティを取り戻すのには数百年かかった、ということを描いている。監督は、現状に疑問を抱かない、という状況は今も変わりない、と話している(画像は「飼う側」のアスハムとキッズ・ムント)。

 日本に外国人観光客を呼んで経済を活性化しようとしている。15年ぶりくらいにポンペイに行った。変わっていなかったけど、観光客が多くて見れなかった。こうやって人たちを呼び続けると、世界遺産とかどうなってしまうのか。経済的な行為が本当に良いのだろうか。ということに気づいて欲しい。そう思ってGレコを作った。

 私には政策はない。けれど、それを考える子供を育てることはできる。

Q、SNSで若い人と話すと、異世界とか現実感のないものに憧れがあり、思考を放棄してしまっていることが多い。ちょっとマシな人間になるには、どうしたらよいか。

 リアルに考えるのは必要だか、夢に逃げることも必要。それは社会性・知恵を身に付けること。ただそれだけでも上手くいかない。不倫しちゃってみたりね。フラストレーションから逃れるために人は宗教を信じる。虚構を信じることができる。学校にみずほの国とか付けちゃうのはビジネスだよね。この両方持っているのが人。だから想像力は凄い。ただ、便利・効率だけで考えていたらバカになる、と。それを叱ってやるべきだけど、そう言える大人は減っている。銃剣道なんて使うことあるの?時代錯誤だよね。生き延びるためには考えないといけない。知恵を見つける。ゲームとかはナンセンスなのに流行っているし会社は儲かっている。便利さは使い始めたらしょうがない。けど、ローマでUBERを使ったら便利だった(笑)。十年後にはしっぺ返しを喰らうかも、という想像力を持っていくことも、大事だよね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?