意識の揺らぎを味わい、潜在意識を育む日々。

35歳を迎える前、これまでの10年をとことん振り返っていた。
気づけば、あまりにも遠くにきたという実感があるからだ。10年前と全く違う今がここに。成功と失敗は、そこに時間軸を足せばパラドックスになりうることなので、出た結果に対して何が成功で何が失敗かを自ら評価することはしないようにしている。成功は試練でもあり、失敗は改善のチャンスでもあるからだ。しかし、多くの人はこの成功と失敗という瞬間的な結果に意識が揺れる。

かつての僕もそうだった。
自分がそうだったからといって、多くの人がそうだということを前提で書くことは些か失礼なことだが、世の中は意識の揺らぎに振り回されすぎているように思えてならない。現状の結果だけをみて、成功か失敗かを考え、自らの意識を揺るがせ、思考を巡らせたり、レトリックで語ってみたり。ましてや大きな方向性を変えるなどということは、僕からすれば無意味なことだと思っている。また同じように意識の揺らぎは都度おきる。そのたび、なにか意味を探して悩んだり、最もらしい講釈を見つけたしたりながら、方向性を変えている間に、同じところをグルグルまわって人生が終わってしまうことを僕は恐れている。意識の揺らぎよりも、もっと大切なことがあるじゃないかと自らに鼓舞する。

大切なのことは潜在意識を育てること。
僕は世界についてこう捉えている。世界とは一人ひとりの潜在意識と人智を超えたエネルギーが和合して現象化した状態であると。きちんと言語化するとこういう表現になってしまうが、もう少し簡単に言うと、思ったことは世界化するということだ。それは良いことも悪いことも。いやいや、そんな簡単なことではないでしょう。そう思うかもしれないが、思うから簡単なことではなくなってくる。そう思ったままに。事例については、また今度振り返ることにしよう。

ただ言えることは、僕は自分の人生経験を通じてそのことを実感している。
10年前の自分が思い描いていたあらゆることが、今ここにある。同時に、人智を超えた天のはたらきとしか表現しようがないことも確かにここに存在している。もちろん喜ばしいことばかりではない。しかし、悲しいことばかりでもない。そして、僕はこれから人生の新たなステージへと入っていく流れを肌で感じている。今回のヨーロッパはそのための潜在意識を育てるための修行でもある。意識の揺らぎをしっかりと味わいながら、人と会う以外は、日本にいるときと同じ日常業務を回し、一方で修行らしくいつもよりストイックな日々を過ごし、その間にあるいくつかの商談をスパイスとして心から楽しんでいる。

35歳からの10年間。これから始まるとてもエキサイティングな時間を、今日も描き続けている。

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