作文が嫌いだった話

この投稿で書いた『作文が嫌いだった』ということを深掘りしてみる。

子供の頃は字を書くことが何より嫌いだった。宿題は最後の最後まで残しておくし、本当にやらなければいけないってなったら、嫌いな食べ物を口に入れた時みたいにガーっと一気に片付ける。そんな感じだったように思う。

でも、今は文章を作ることが嫌いじゃない。むしろ楽しいと思っている。
楽しいことを仕事の一部にできている。大いに幸せだ。

でも、子供の時と今で何が違うのだろうか?それを考えてみる。

嫌いだった理由(多分)
・テーマを決めるのが面倒
・字数の制限が嫌(そんなに書けない)
・考えをまとめるのが面倒
・書くための準備・下調べが面倒
・期限を決められるのが嫌
・字が汚いから見られたくない
・上手く表現ができないから
・強制されると余計やりたくなくなる
・結果が得られないから(賞を取ったり褒められるなど)

こんなところだろうか?

じゃあ今は?
依頼だったら、テーマは決まってるし、あんまり短いとダメな気がするし、納期はあるし、下調べして、考えもまとめなきゃいけないし、表現が上手くできているとも思えないし、仕事だから投げられないし、褒められるわけじゃない。

あれ?嫌いな理由1個も解消してないじゃん。
字を書かなくて良いくらいか。
どうしよう。もしかしたら嫌いかもしれない。

自分に聞いてみる。「Q.何で好きなの?」

「A.何となく」

そうか。話が進まないからもうちょっと考えてみようか。

「仕事にできているから」
「表現力がついたから」

『やれる理由』なだけで『好きな理由』にはなり得ない。しっくりこない。

「自己表現」

何となく気になったワードが出た。掘ってみよう。

治療家として 教育者として 個人として
それぞれの役割は違っても、自分の意見を表に出す場所がある。
それが文章。

参考になったとか役に立ったと言ってもらえると嬉しい。

あーっとなんか浮かんだ。

「自由」

やらされてない。自分が書きたいから書いている。だから楽しい。

もっとあるな。考えろ。

自分が自由に楽しんでやったことに対して、相手に喜んでもらえる

これは嬉しい。もっとやろうと思える。もっと楽しく感じる。

これか?

相手に感謝された。喜んでもらえた。それが嬉しい。

今、どんな仕事も楽しめているのは根っこにこの想いがありそうだ。

『作文が嫌いだった理由』の何の答えになっていないような気もするけど。

嫌いな理由は何一つ解決していないけど、
相手が喜んでくれたら「何となく」好きになってくる。

でもそんなものかもしれない。

もし、何かに一生懸命に取り組んでいる人がいたらメチャメチャに喜んで感謝してみる。

どんなことでも、どんな結果でも。

そうしたら、多分次も一生懸命やってくれると思う。

宿題を頑張るお子さんとかに試してもらいたいなー。

教育者っぽい着地で終われた風なので終ろう

ではまた。

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