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『帰らざる日々』に関する個人的な話

 過去の日本映画では、現在のシネコンで上映される1本立てではなく、2本立てで上映される(名画座や地方の映画館では3本立てなんてこともあった)ことが多かった。筆者が実家のある秋田県にまだいたころ、何かと理由をつけて部活をサボっては親戚の家に泊めてもらい、秋田市の映画館のハシゴをよくしていた。ある日は午前中に市川崑監督の『火の鳥』を秋田東宝スカラ座で、夕方にはプレイタウンビルにあった秋田東映パラスで舛田利雄&松本零士監督の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』を観た。本当はその後、秋田東宝でジョン・バダム監督の『サタデー・ナイト・フィーバー』とジョーン・ダーリング監督の『ファースト・ラブ』を観るつもりだったが、終わるのが深夜になってしまうので、さすがに『さらば~』で打ち止めにした(当時の田舎はかなりいい加減で大らかだった)。で、午後に観たのは秋田日活で澤田幸弘&石井聰亙監督の『高校大パニック』と藤田敏八監督の『帰らざる日々』の2本立てだった。当初は『高校大パニック』目当てだったのだが、『高校~』の後に観た、正直まったく期待していなかった『帰らざる日々』にいたく感動して、大好きな1本になった。当時、大ヒットまではいかなかったが、『帰らざる日々』は高い評価を受けた。その後、名画座やテレビ放送で観て、DVDも買って、Amazonプライムの配信でも最近観直した。
 1971年11月、日活が『団地妻 昼下りの情事』と『色暦大奥秘話』で開始したロマンポルノ路線。その7年後の1978年8月に一般映画路線として公開したのが『高校大パニック』と『帰らざる日々』の2本立てで、1979年8月には藤田敏八監督の『十八歳、海へ』と曾根中生監督の『スーパーGUNレディ ワニ分署』、1980年8月には曾根中生&松本零士監督の『元祖大四畳半大物語』と小澤啓一監督の『鉄騎兵、跳んだ』と続いていく。
 中岡京平の城戸賞受賞作『夏の栄光』を藤田敏八監督が映画化したのが『帰らざる日々』。永島敏行演じる脚本家志望の青年・辰雄が父親が交通事故に巻き込まれて亡くなり、その葬式に出席するために帰郷するところから始まる。列車の中で丹波義隆演じる同級生の田岡と再会したことをきっかけに、辰雄は1972年7月~8月の高校3年の夏を回想していく。当時、辰雄は浅野真弓演じる年上の女性・真紀子を好きになったことから、江藤潤演じる彼女のいとこである土木科の隆三と出会い、友情を深めていく。さらに、辰雄と中学の同級生だった竹田かほり演じる由美との再会など、青春の日々が現在と交錯しながら展開する。実は、辰雄と隆三の出会いからある事故が起こるまでが1か月という短い期間で、交通事故を起こした相手が意外な人物だったことが、ラストの感動へとつながっていく仕組みだ。永島敏行と高品正広が実写版『ドカベン』で共演しているのを知っているとニヤリとさせられるし、浅野を始め、日活ロマンポルノで人気のあった竹田、加山麗子、日夏たよりといった女優陣の共演も当時は目にまぶしかった。そして、朝丘雪路、中村敦夫、吉行和子、小松方正、中尾彬、草薙幸二郎といったベテラン陣の演技でがっしりと固め、アリスの「帰らざる日々」「つむじ風」を効果的に使った石川鷹彦の音楽も印象に残る。当時、助監督として就いていたのが根岸吉太郎、上垣保朗両監督というのも時代を感じさせる。
 筆者が現在から過去を回想していく形の青春映画が好きになったのも、アリスの曲を本格的に聴くようになったのも、『帰らざる日々』がおそらくきっかけだと思う。2本立ての映画でまったく期待していなかった作品が大好きな1本になるなんて……。映画は人の評判に左右されず、実際に自分の目で観ることが大事なのだと思う。秋田市の映画館(もちろん実家近くの大曲市の映画館も)でハシゴして観た数々の映画体験が現在の自分を作っているのは言うまでもない。そんなきっかけをくれた7歳年上の兄には本当に感謝しかない。

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