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レポート「小規模保育の魅力と可能性」①

保育に関わっている方はご存知かなと思いますが、2015年の「子ども・子育て支援新制度」でスタートし、いま注目されている “小規模保育園” という新しい保育園のかたちがあります。

小規模保育園は0〜2歳児を対象に、定員6〜19名の子どもの保育を預かる保育園です。少人数だからこそ「一人ひとりに寄り添った保育ができる」といった点から、保育士にも人気が高い(働きたいという声が多い)と言われています。一方で、もともとは待機児童対策として最近始まったということもあり、保活中の親世代を除いては、まだまだ認知がされていない面もあるように感じます。

僕自身、「子育てを始めたばかりの親世代を支える場」としてもすごく興味があるものの、

・本質的に、子どもにとって良い環境と言えるのか(0〜5歳が通う保育園と比べても)

・「3歳になったとき転園しないといけない」という条件は、どのくらい保護者の負担となるのか(あるいは、負担となると思われてしまうか)

・少人数の保育士で運営される中で、負担をうまくチームとしてコントロールできるのか

など、疑問もいろいろと拭えていない状態でした。

そんな中、先日4/8の日曜日に、全国小規模保育協議会(小規模保育事業者の集まり)の関西連絡会のイベントで、汐見稔幸先生(元白梅学園大学学長)を招いた講演と意見交換会があったので参加してきました。

汐見先生は、この4月から施行された『保育所保育指針』の改定にもかかわっていて、日本でいま乳幼児保育のことを聞くならこの方!とも言えると思います。僕は生で話を聴くのは初めてでしたが、150人を軽く超える保育者(保育士・事業主・行政の方など)の前で、とてもフランクに、でもグッと惹きつける話をしてくださり、2時間近い講演はあっという間に過ぎていきました。

以下、メモより書き起こさせて頂きながら、簡単に振り返ってみます。


<保育の夢語り人より>

3月で白梅学園大学を退いた汐見先生。新たな肩書きを “保育の夢語り人” とされた上で、乳幼児教育の前提について熱弁されます。(ここの冒頭が一番長く、おもしろかったです。)

1997年が世界では境目となり、教育の重点が保育・幼児教育へ移りました。OECDが立てた共通目標のトップは「国家目標として乳幼児期の教育を最重要視すること」です。でもこれを、日本は実現できていません。

なぜ乳幼児教育が重要なのか?今たくさんの記事や書籍が出ていますが、汐見先生のポイントの1つ目は、考える力を養うことにあるようでした。

そもそも考える力は、考えたことがない限り身につかない。あらゆる力は、それを使ったことがなければ身につけることができません。汐見先生はこれを前提に置いた上で、「スキルとして転用できない力と、転用可能な力がある」と指摘します。

りんごの皮をむく力は、むいた経験がないと身につきません。これが転用できない力(≒ 認知能力)。一方で、転用できる力もあります。粘り強さ、やり抜く力、人に聞く力、おもしろくないことをおもしろくできる力など(≒ 非認知能力)。これを子どものときに、あそびで身につけます。あるいは大人の仕事を手伝う中で、身につけます。
だから子どもをもっと遊ばせないといけません。自分でどうやってやるかを考えて、工夫する。頑張ったら何とかなったという経験がないと、大人になって頑張ることはできないんです。

小学生以降の義務教育で重要視されるアクティブ・ラーニング(生徒が能動的に学んでいく学習方法)も、まさにこの力を継続して育てようという試みなのかな、と思います。


ここで紹介されたのが、「集団の大きさによって大脳皮質の厚みが変わる(大きいほど、厚くなる)」という研究。人間の特徴は互いの関係性をつくることにあり、さまざまな個性をもった人間を上手にまとめていくことが、実はいちばん難しいのだそうです(ただし大きすぎても認識しきれません。人が認識できるのは150人が限度、と言うのは「ダンバー数」として僕も聞いたことがあります。)

人と人との関係性をつくっていく力は、まさに非認知能力です。6歳義務教育と決められた時代、0〜5歳児は「地域で勝手に育っていた」と汐見先生は言われていましたが、おそらく今僕らが想像する以上に、地域の中に多様な人がいて、そこでみんなに育てられる時代だったのかなと思います。

しかし今は、そこまで豊かな人間関係を育める場が、地域にはありません。(自分の子どもも、保育園や幼稚園以外で、家族じゃない人間と関われる機会はそれほどないのが現状です。)

しかしこれからの子どもは、むしろ今の大人たち以上に考える力が必要になっていきます。だから国として、社会で人材を育てないといけない。今後、世界の流れで見るならば日本も3歳からの義務教育になっていくでしょう。
そのとき、0・1・2歳という義務教育外で重要な部分を保育園が担うなら、「そこで何をする?」という点に議論の中心も移るかもしれません。実際、この10年で1〜2歳で保育園に通う子どもは26%→42%に急増していて、今後50%を超えていくでしょう。子どもが減るからこそ、逆に乳幼児保育はますます重要になります。

社会で求められる能力が、今大きく変わってきていることは確かだと思います。実際、すでにそれを敏感に察知して動いている若い世代を見ると、自分たちよりずっと優秀だなと僕は感じています。教育が変われば、この傾向はもっと分かりやすく現れてくるのではと思います。

そのベースが0・1・2歳の保育に詰まっていることは、保育関係者が今、改めて認識をすべきところなのかなと感じました。


<日本の保育の常識と非常識>

いよいよ本題。汐見先生は、ここで「自分たちがやっていることが、もしかしたら正当なことではないかも?ということを、保育者は常に自問しないといけない」という指摘を最初にされました。

確かに日本はこれまで、教育についてのエビデンスの蓄積・研究をあまりしてこなかったため、何が効果的で何が効果的でないか、それぞれの個別体験に引っ張られて判断しがちだと言われています。(これについては、例えば中室牧子さんも『学力の経済学』という本で書かれています。)

今回、汐見先生からは3つの非常識の指摘がありました。

① 集団規模が日本は大きい

国はこれまで、0・1・2歳の子どもが過ごす環境を一切決めてきませんでした。昭和23年に保育園をスタートさせたときの最低基準「1人あたり3.3㎡(2畳)」を未だに引きずっている。改めて今、子どもたちが安心できる、生きるって楽しいという経験を存分にさせてあげられる環境づくりを、自分たちで考えていかないといけません。

これについては、ある保育園で訳あって、一時的に民家の中での保育を行った事例が挙げられました。当初は「こんなところで保育ができるわけがない」と保育士が反発。しかし実際に “おうち保育” が始まると、子どもたちが見事に落ち着いたというのです。結果的に園内の事故なども激減したとのこと。

子どもは自分の身の丈で環境を把握しています。多くの卒園児は、小学生になってから保育園に来ると「こんなに狭かったっけー?」と言います。体が大人の1/3なら面積は1/9、体積は1/27。だだっ広いところは、大人以上に不安になるものです。
保育園は、生活の場所です。食事をしたりする場所はリビング、おもちゃがあったりする場所は作業場。リビングにちゃんと全員が座れるテーブルがありますか?ソファがありますか?無いとしたらなぜ?自分が生活できるか、考えましょう。

子どもも大人と一緒で、一人になりたいとき、二人で静かに過ごしたいとき、騒ぎたいときがあり、状況に応じて場所を選ぶそうです。それはときに和室だったり、廊下だったりもする。確かに、大人にずっと見られて、広いところで疲れないわけがないですよね。(僕も集中するときは、狭い部屋の方が落ち着きます…)

実際に先ほどの “おうち保育” を経験した保育士たちが「戻りたくない」と主張したとの話ですから、よほど子どもたちに明らかな変化があったのでしょう。


そもそも、集団の規模を大きくする積極的な意味は本当にありますか?

汐見先生は集団心理が転じて、集団的無責任(自己責任感が薄くなる)と統率者のワンマンの可能性を指摘されていました。大きな集団は「上手くまとめないと維持できないから」という理由で、管理する側の都合になりがち。騒がしいときの「誰がしゃべってるの?」というような声かけは、いじめの温床になるという研究もあるそうです。

集団だと、みんなが言ってるからやる、という考えが育ちやすいが、やりたくなかったら「やりたくない」と言えることも大事です。

日本の近代教育の発端が「強い軍隊を育てるため」という目的がベースにあった、というのは聞いたことがありますが、汐見先生によると運動会もその一つとのこと。外国人の親御さんにいくら説明しても、理解してもらえなかった事例などを引き合いに出されていました。

② 同年齢集団と異年齢集団の違い

非常識の2つ目は、同年齢集団という異常性に気づいていない点。同年齢集団も管理する側の都合で生まれたもので、人類の歴史の中で過去に経験のない、特殊な社会だという認識をしてほしい、とのことです。

人間には「憧れる」という感覚が非常に重要。また「配慮する」ことから、「役立ち感」が育ちます。多様な人間とかかわることが大切で、例えば保育園が、地域の高齢者が絶えず出入りする場所になってほしいと思います。

最近は記事などで取り上げられることも増えてきましたが、海外では、異年齢保育を当たり前とする国も多いようです。汐見先生は、発達・安全上0歳は分け、1〜5歳が1グループなどの小グループの縦割りが良いのではという話をされていました。

③ 「元気で活発な子がよく育つ」という子ども観は?

「子どもは元気で明るい方がいい。」確かにこの考え、何となく一般的に認識されていることではないでしょうか。汐見先生は3点目として、ここに警鐘を鳴らしました。

一見活発に見えない子は、実は観察学習型なのかもしれません。活発なのは行動ではなく、心の働きであるべきです。

卒園児たちが小学校で全く落ち着かない(集中できない)様子を見て、「元気な子がいい、と無意識のうちに育ててしまったのかも…」そう反省したという園の事例がありました。もちろん活動が活発であるのも大事な能力ですが、一方で「没頭できる」「静かに過ごせる」のも同様に大切な能力なのだということです。

個人の性格が良いか悪いか、保育者は絶対に言ってはいけない!それぞれが原石です。たとえば時間がかかる子どもは、丁寧にやろうとできる子どもだと考えることができます。

これは非常に印象的な言葉でした。その子が持っている力は何なのか?どの力を伸ばしてあげられるのか?常に問い続けなさいということかな、と解釈しました。

「強さだけを大事にしてませんか?弱さへの共感も大切だよ」というのも、保育に関わらずすべての大人が負うべき言葉だなと思います。

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内容的には厳しい指摘がたくさんありますが、口調は終始穏やかで楽しく、聞いてすっと入ってくる温度感の言葉ばかりでした。

熱量に引きづられて長くなっていますが、②後編へつづきます。



(ちなみに、汐見先生が解説してる『保育所保育指針』解説書は以前に読書録noteにUPしました)


(文中で紹介した『学力の経済学』の読書録はこちら)


(twitter @masashis06

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