190204_読書メモ_サマリー

【#読書メモ】もしアドラーが上司だったら

人が行動するための源泉となる「勇気」と、ぶつかる「課題」について書かれている良書。


【特に気になった言葉まとめ】


【目次】
第一章 自分を追い込んでも、やる気が続かないんです
第二章 失敗から目をそらすなんて、できません
第三章 カラ元気を出すのに疲れちゃいました……
第四章 やらなくちゃならない仕事が山積み
第五章 成績の悪い僕は劣っている。負けている
第六章 自分を追い込んで、やっとできるようになったんです
第七章 自分を勇気づける、次のステップとはなんだろう?
第八章 誰かを喜ばせようとしても、無視されたりバカにされるんです
第九章 自分の意見だけでなく、存在までも否定された……
第十章 目の前の人のため、が共同体感覚なんですか?
第十一章 あなたを信じていたのに……
第十二章 課長なのに、頑張らなくてもいいの?


【著者プロフィール】
小倉広
「人間力を高める」一般社団法人 人間塾 代表理事。「対立から合意へ」一般社団法人 日本コンセンサスビルディング協会 代表理事。「自分で考え、自分で動く人を育てる」 株式会社小倉広事務所 代表取締役。組織人事コンサルタント、アドラー派の心理カウンセラー。日本経済新聞社BIZアカデミー講師、日経ビジネス課長塾講師、SMBCコンサルティング講師。
※著者プロフィールは出版当時の情報。


【特に気になった言葉①】

●アドラー心理学は別名「勇気の心理学」とも呼ばれています。人は勇気があれば困難を克服しようと、努力や学習、協調など「有益」な行動を選択し、勇気が欠乏すると、困難から逃げ出して、より安易な道、他者への攻撃や他者のせいにする言い訳、さらには人間関係や困難からの逃避など「無益」な行動を選択する、と考えるのです。
●アドラー自身の体験に基づく勇気に関する重要な言葉が二つあります。「私は自分に価値があると思えるときにだけ勇気を持つことができる」「そして、私に価値があると思えるのは、私の行動が周囲の人たちにとって役に立っていると思えるときだけである」。この二つをつなげると以下のような意味になるでしょう。「人は周囲の人々へ貢献できていると実感したときに、自分には価値があると実感し、勇気を持てる

「1.貢献実感を持つ」→「2.価値があると思える」→「3.勇気を持つ」のステップの重要な1つ目は、自分のスキルマインドに加えて周辺環境の3つを揃える必要があるなと思ったポイント。自分がいいだけでも、環境がいいだけでも上手くいかない。



【特に気になった言葉②】

機能価値と存在価値をごちゃ混ぜにしない。ありのままの自分を受け止める。
●なら『Doing(やり方)』と『Being(あり方)』と言ってもいい。キミは『Doing』が上手でなくて『機能価値』をうまく発揮できていないだけだ」「でも、そんなものは経験と訓練と努力で、いかようにでも変えることはできる。焦る必要なんかない。ましてや、自己否定する必要なんかみじんもない。なのに、キミはそれだけのことなのに、なんと、キミの大切な、大切な『Being』つまりは『存在価値』までも否定してしまっている。『営業成績が悪い人は人間としてダメな存在、劣った存在だ』と自分で自分の人格までをも否定してしまっているんだ。それは大きな間違いだ」
会社での評価が高かろうが低かろうが、すなわち「機能価値」の高低をもとに「存在価値」が規定されるわけではない。

機能価値」と「存在価値」を切り離すことは重要だなと思いつつ、なかなか切り離すの難しそう。ただ、機能価値だけの関係性しか築けないと人生楽しくなさそうですよね。



【特に気になった言葉③】


●共同体感覚:自分のことと同じように相手のことを大切にすること
目先の共同体よりも、もっと大きな共同体を大切にする。
●部下に任せる、とうことは、前提条件として「他者信頼」と「自己信頼」が必要だ。それに伴う「所属感」も必要だろう。これこそが、まさにアドラーが提唱した「共同体感覚」そのものだ。「任せる」ということは「共同体感覚」の実験そのものであり、「勇気づけ」の実践そのものであるわけだ。
●任せられない上司は部下を信頼できず、自分を信頼できていません。任せることで失敗し、かつ自分が怠け者だと糾弾されるのではないか、と恐れるのです。逆に、任せられる上司とは、部下を信頼し、自分を信頼することができる上司です。

この「目先の共同体よりも、もっと大きな共同体を大切にする。」は、自分なりに解釈すると、部分最適でみるのでなく全体最適でみることなかと。例えると、目の前の仕事をすぐに終わらせるだけの短期的な視点か、同じ仕事ができる人を増やす中・長期的な視点でみるか。


おわりに

ライトなアドラー本2冊目。
そろそろ、難易度が高い本も読んでみようかな。



【その他に気になった言葉】

人はね、『自分には能力がある。自分には価値がある』そう思えたとき、つまり困難を克服する活力『勇気』で満たされると、放っておいても『もっと、もっと』とさらなる優越を目指すんだ。
無理やりポジティブに考えない。ネガティブな自分も、ただ見る。認める。そのうえで、ポジティブな側面の方を長く見る。歪曲してポジティブに見ない。
上下、優劣でものごとを考えている限り、永遠に心に平穏は訪れない。これをアドラー心理学では『縦の関係』と呼ぶんだ」
相手から見返りを求めずに、まずは自分から始める
人の目ばかり気にしている人は、自分のことしか考えてない人である。
「カップを洗うか洗わないかはリョウ君の課題。それにどう反応するかは、彼らの課題。こんな風に『それは誰の課題か?』を明らかにして、自分の課題だけに集中する、他人の課題を解決しない。アドラー心理学ではそれを『課題の分離』と呼ぶんだ」「他人の課題に踏み込むから対人関係がうまくいかない。そして、他人の課題を背負うから苦しくなる。できないことをやろうとするから苦しいんだ。キミはキミの課題だけを考えればいいんだよ!」
本来、相手が決めるべき相手の課題に土足で踏み込むことを「支配」と呼びます。また、逆に本来は自分が決めるべき自分の課題に、相手を土足で踏み込ませ、それを許容するばかりか、言い分に従ってしまうことを「服従」と言います。また、自分に対する相手の反応や顔色を過剰なまでに気にしすぎて、本意ではない行動を取ることもまた「服従」の一種と言えるでしょう。アドラー心理学では「支配」も「服従」も共に望ましくない行動である、と考えます。


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