曇りのち晴。

皆さんあけましておめでとうございます。
2020年もどうぞ、よろしくお願いします。

2020年、さらに飛躍する年にするためにも、今までの自分の歩みを振り返っていきたいと思います。暇な時に読んでもらえれば幸いです。

【本編】

2019年11月8日、3年間曇り続けていた僕の人生が少し晴れた。この機会に僕の3年間を振り返ってみたいと考えたので、真剣に著していこうと思う。

遡ること6年前。中学1年生の私はある一つの夢をもった。その夢は消防官。僕の父が消防官であったからだ。その夢のきっかけというのも、毎年1月の上旬に開催される出初式というイベントに足を運んだときであった。(ちなみに出初式というのは消防士が訓練する様子を見せたり、消防車でパレードのようなものを行ったりする、江戸時代から続くイベントのことである)私は母と中学1年生の時に、父が消防官としてでる出初式に行き、父の仕事の凄さを体感し、自分もこんな消防官になりたいと本気で思った。消防官の父は本当にカッコ良かった、そして永遠の憧れの職業であった。この憧れから僕は、中学1年生ながら消防官になるという夢をもった。

そして、中学3年生になりどこの高校に行くなど、進路を考える期間になっても僕は消防官という夢を持ち続けていた。僕の進路の考えとしては、「どうせ消防官になるのだから、高校なんてどこでもいい。」という考えだった。しかし両親が、もしかしたら高校3年間で消防官になりたいという気持ちが変わるかもしれないからと言う理由で、大学にも進学することが可能な高校(指定校推薦枠を多く保持いている高校)を勧められた。僕は、本当にどこでも良かったので、その勧められた高校に通っている先輩に「そこの高校楽しいですか?」とだけ質問して「楽しい!!」と返答がきたので、僕はその高校に進学することにした。無事にその高校に合格し、高校生になることができた。特に、「楽しみだ。部活も頑張ろう!!」といった意気込みはなにもなかった。

2016年4月、僕の高校生活が始まった。ここからの高校3年間が僕の価値観、考え方を大きく変える3年間となった。1年生の時から多くの友達に恵まれ、入学する前に聞いた先輩の「楽しい!!」そのものだった。今、思い返しても本当に楽しかった。友達関係はこれ以上ないほど順調であった。でも、僕は「楽しい!!」ことばかりをして、「どうせ消防官になるから」という言い訳をし、とにかく楽な方向へ逃げていた。誰にも追いつかれないほどの速さで、逃げ続けていた(?)。自分でも楽なことばかりしていてもダメということはわかっていた。それでも、僕は楽な方へ逃げ続けた。そんな自分自身が嫌になり、この頃から少しずつ曇り始めてきたのではないかと、今振り返ってみて感じている。曇っているがどういうことかと言うと、「このまままでいいのか」と思っている自分と「楽しい!!」と楽な方向へ逃げるしまう自分、この自分自身との葛藤が曇っているということなんだろう(多分)。そんな曇った状況の中で僕は高校2年生の秋を迎えた。消防官になるための準備をしないといけない時期を迎えていた。この時に「本当に消防官になりたいのか」ということを自分自身に問いかけた。僕は「父の憧れ」が消えておらず、消防官を本格的に目指すことに決めた。そこで、僕は高校の他に、公務員を目指す学校に通い始めた。(公務員専門学校の高校生バージョン)そして僕は、高校3年生の9月23日に消防官の試験を受けるまで、真剣に勉強をした。本気の本気で。高校生活最後の文化祭もいかず、夏休みも全く遊ばず、全ての時間を消防官になるためにあてた。とにかく1つの夢を追いかけて、僕は走り続けた。でも、自分自身の曇りは晴れていなかった。

そして、9月28日の16時の結果発表で、僕は不合格という結果で浪人が決定した。その日の夜、僕は友達からの励ましのメッセージを読んで号泣してしまった。この時に本気で挑んだんだなと同時に、本当に悔しい思いが込み上げてきた。僕は、その時期から来年ももう一度挑戦しようという決意をした。本当に悔しかったし、本当に叶えたい夢だったので、なんの疑いもなく、来年も消防官を目指した。でも、僕は一度休みたい、高校生活最後にいい思い出を作っていきたいという思いから、消防官になるための勉強は一旦停止した。勉強を一旦停止していた期間も僕は消防官になりたいという思いはあった。この時僕の心の中は、さらに曇っていった気がした。

そして、約半年が経過した2019年3月の下旬、友達が個々の道へ進む時期に、僕も消防官になるための勉強を始めようとした。しかし、思うように勉強が進まない、去年勉強していた時のような熱量がでない。僕は次第に学校にも行かなくなり、完全に立ち止まってしまった。その時に僕は、自分自身に「本当に叶えたい夢なのか」と問いかけた。その答えは正直迷わず「No」だった。もう消防官になりたいという思いは消えていたのだった。今は明確にわかっているが、その当時はこんな思いになった原因はなんでだったのかはわからなかった。自分でも、将来消防官になっている自分以外のことを想像することができなかった。この思いを両親に伝えたいのだが、両親はもう僕が消防官目指すものだと確信していたので、今更進路を変更するなんて言えるはずもなかった。それでも僕は、勇気を振り絞って両親に今の気持ちを打ち明け、なんとか大学受験に向けての環境をつくり始めた。この時の両親には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。消防官という夢を捨てる僕の気持ちを理解できないまま、両親はとりあえず大学受験をすることを許してくれた。しかし、3年間高校でまともに勉強をして来なかった僕が4月から勉強を始めたところで、大学なんていけるはずもなかった。自分自身そのような自覚もあったし、決して簡単にいけるものじゃないと自負していた。

そんなある時、僕はある一人の友人がきっかけでAO入試の専門塾に入ることになった。AO入試なら僕を最大限にアピールすることができて、一般受験よりかは、まだ合格する可能性があるのではないかと考え、AO入試という受験制度を利用して大学を目指すことにしたからだ。今でも思うことだが、この友人がいなければ今の僕はいない。これは本当のことで、人生は何があるかわからないと本気で思えた瞬間だった。

その塾で僕の価値観、考え方が大きく変わった。みんな学校では夢なんて語れないと思うのだが、この塾は夢を語り、みんなが将来自分がやりたいことや、こんな社会を実現させたいなどを本気で考える場所だったのだ。互いに夢ややりたいことなどを聞き合うことで、その人の考え方などを知ることができ、自分の将来にも何かつなげることはできないかと考える。このプロセスを続けた結果が自分を変えたのだろう。

まぁ、そんなこんだで結論、僕は自分に自信を持つことができた。そして、大学の時から事業を立ち上げたいという思いまで出てきた。この塾のおかげで大学の過ごし方、大学に行く意味、自分が将来やりたいこと、全てを考えることができた。このように塾に行って本気で夢について考えているうちに、1つわかったことがあった。それは消防官になりたいという思いが消えた原因だ。僕は当初ただ「父への憧れ」だけで消防官になりたいと思っていた。

自分が消防官になって、自分にしかできないこととはなにか。

自分が消防官になって、その街をどんな街にしたいか。

自分が消防官になって、市民とどのような関係を築いていきたいか。

自分が消防官になって、みんなにどんな思いになってほしいのか。

このようなことを全く考えず、僕はただの憧れだけで消防官になりたいと言っていた。つまり、この消防官という夢はただの自己満足に過ぎなかったのだ。自己満足の夢は自分次第ですぐ辞めることができるし、消防官になった後、自分がどのように過ごしていけば良いかわからなくなるだろう。誰が考えてもわかるが、こんな自己満足の夢は一時的なものでしかないのだ。したがって、長続きしない夢になるというわけだ。確かに、中学1年からなりたいといい続けていた。そうすると長続きしている夢にも思える。でも、僕はどこかで「消防官になる」という言葉を逃げるための言葉としていたのかもしれない。今となっては本当に大きな反省だ。

塾に通う生活は順調に進んでいた。2019年で一番良かったことにあげれるほど、素晴らしい出会いが多くあった。塾に通って僕の価値観、考え方が大きく変わったことも、もちろん良かったことだが、それよりももっと良かったことがこの塾の人たちとの出会いだ。この出会いは言語化できないほど、本当に素晴らしいものだった。この出会った人たちとしんどい受験期を切磋琢磨しあい、本気で挑んでいった。

僕は、2019年8月3日(大学に行くと決めてから約3ヶ月)慶應大学総合政策学部に受験した。結果は不合格。この結果はもちろん悔しかったが、やり抜くことができた自分にまずは褒めた。その後、関西学院大学、立命館大学を受験し、無事に関西学院大学に合格することができた。本当に安心した。両親も僕のこの結果に納得してくれたそうで、安心させることができて良かった。

自分のやりたいこと。そして、将来実現させたい社会。これを本気で思い描き、そのために大学に行く。僕は人生で初めて本気で本当の夢を持つことができた。そして、次はその夢を掴むための環境へ行く。僕はこの時、今までずっと曇っていた気持ちが晴れた。自分と本気で向き合って、逃げずに最後までやり抜くことができたからだと今振り返ってみてそう感じている。

終盤にかかるが、この文章で僕が伝えたいことは「やり抜くことの大切さ」である。やはり、やり抜けず嫌なことから逃げると自分の気持ちが曇っていくと僕は思う。僕はずっと逃げていた。だから、曇っていたのだ。自分と向き合い、目標に向かって最後までやり抜くことは、雲を吹き飛ばす風となって晴れをもたらしてくれる。晴れるまで本当に苦しいこともある。僕自身も、これからまた曇って苦しい時間を過ごすこともあるだろう。それでも自分と向き合って、やり抜き、風を吹かせてなんとしても晴れをもたらす。

もし、今自分が嫌なことから逃げてしまっているな。と感じる人はもう一度、その目標を本気で達成したいのかを考え、達成したいのならば本気でやり抜くべきだ。そして、晴れをもたらそう。

2019年、僕は全てにおいてやり抜くことができたと感じている。本当に2019年の自分は大好きだ。また、やり抜くことができたのも周りの環境が良かったからだ。友達が支えてくれたから、志を高く継続して努力することができたことは間違いない。本当に感謝したいと思う。ありがとう。

2020年の目標としては、「giveできる人になる」。プレゼントをすることもそうだが、僕が一番giveしたいもの、それは「将来への可能性」だ。自分もそうだったが、将来明るいものなんて何一つ見えていなかった。今、多くの人は自分の夢を本気で持つ前に諦めている気がする。諦めて行動に移していないことが多いと感じる。だから、夢を持っている人は少ないように見えるのかとも考えられる。とにかく、今の自分は自分が思っているより遥かに多くの可能性があるんだということを伝え、「将来の可能性」というものを与えたい。

話は少しずれてしまったが、最後に。

「向き合って、最後までやり抜くことは曇りを吹き飛ばす風となり、晴れをもたらす」

ありがとうございました。マサタ



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