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一人旅。二本松城下町を巡る(1)

去年の書きかけの記事を年始の時間のあるタイミングで、書き上げたいと思います。 

GWの間の平日に東北本線に乗り、日本百名城にも選ばれている二本松の霞ヶ城公園に行ってきました。

10:05 二本松駅を降りると、二本松少年隊の銅像が出迎えてくれます。後にわかったのですが、二本松藩の剣術では相手を倒せる確率の高い"突き"を重視していたそうです。それを表した突き姿のようです。

二本松駅前 少年隊銅像

まずは駅前から徒歩3分ほどの二本松神社へ。秋祭りである二本松提灯祭りの壁画がありました。地元の人から愛される祭りなんですね。暗闇の中、無数の提灯で飾られた山車がマチを練り歩く姿はとても迫力があり、荘厳です。

提灯祭りの壁画

10:15 二本松神社は、1872年に二本松神社に改名するまでは、御両社という名前だったそうです。領民の守護神である熊野様と二本松藩主の丹羽家の守護神である八幡様を祭ってあるため、御両社だそう。二本松初代藩主の丹羽光重公は、敬神愛民の精神から、右側(上座)に熊野様、左側(下座)に八幡様を祀ったそうです。さすが、名君と名高い光重公です。

二本松神社

 二本松神社の前には奥州街道が通っていて、最上や伊達などの東北雄藩が、参勤交代の無事を祈るような場所でもあったんだろうなと思いました。

二本松城郭全図

 石段を上ると、両脇に狛犬が鎮座しています。参拝者を睨みつけるのではなく、胸を張り上を見上げる護国タイプのストロング狛犬です。割と新しそうだなと思って裏側の寄進者を確認すると、意外に昭和十五年(1940)でした。耐久性のある石が使われているんですね。東京の諏訪キンさんの還暦祝いの寄進で、石工は阿部興作。キンさんは、戦争の色合いが濃くなる時代にどんな祈りを狛犬に込めたのかなと想いが膨らみます。こういう歴史の表舞台に立たない人の思いを感じられるのが狛犬の醍醐味の一つです。是非裏面の刻印を見てください。

階段途中の狛犬
狛犬 阿像
狛犬 云像
寄贈者・石工

 階段を上った先の隋神門には三つ巴紋と丹羽家の直違紋|すじかいもん|もしくは、違い棒の旗が飾られています。数ある家紋の中でもシンプルでわかりやすい家紋。ツイッターの名称変更でも話題になった家紋です。カッコイイ。

隋神門
丹羽家家紋 直違紋

拝殿の前の門にも直違紋があり、拝殿の屋根の上にも直違紋があります。丹羽家の街づくりの功績が今でも引き継がれていて、素敵です。

二本松神社 拝殿前
二本松神社 拝殿

入口で説明されていた本殿の配置。奥(右側)の上座が地元の神様の熊野様。手前(左側)の下座が丹羽家の八幡様。愛民の心を感じます。

本殿 上座の奥が地元民の熊野様、下座の手前が丹羽家の神様である八幡様

11:00 神社の階段を下りて、地元のラーメンの名店若武者へ。ここは新進気鋭の福島中通りにある人気ラーメン店で結成された福島らーめん組の初代代表も務めた人気店です。地元の川俣シャモ、伊達鶏、会津地鶏をふんだん使ったあっさりも濃厚な鶏出汁の旨みの効いたスープが特徴です。福島県の鶏は焼いてもスープにしても美味しいです。

若武者入口
イチオシ!塩らーめん

11:20 若武者でおなか一杯になった後は、いよいよ二本松城へ向かいます。丹羽光重の時に建てられず、1832年に9代藩主丹羽長富の治世の時に念願の大手門(通称 坂下門)を建築しました。その大手門があったとされる久保丁坂を上ります。坂には、江戸後期に建築された美しい切り込みハギの石垣が今でも見られます。蒲生の野面積みから、加藤、丹羽の打ち込み、切り込みハギへ、石垣の変遷も二本松城の魅力です。

久保丁坂 石碑
綺麗な切り込みハギの石垣

坂の途中には福島県男女共生センターがあります。設計は幕張メッセの設計でも著名な槇文彦さんです。全体がシンプルなボックスの組み合わせで、上層階のタテのファサードが眼をひく建物。建築界のノーベル賞とも称されるプリツカー賞受賞者の作品が二本松で堪能できるのも初めて知りました。


福島県男女共生センター

次回は、2022年にオープンした二本松の歴史や文化の発信施設「二本松城報館」から、二本松城(霞ヶ城)を巡ります!

(その2)へ続く。

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