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島根から東京へ。 東京から宇宙へ。 part1

 「I have a dream」

 上京して3ヶ月と少しが経った。ちょうど1年前のこの時期にこの言葉を強く胸に抱いていたことを最近思い出した。

 1年前のこの時期、ある大きな試験に向けて猛勉強していた。大学院入試だ。僕は大学進学で広島大学の工学部に進み、熱工学研究室という研究室でスマホやATMのタッチパネルに使われる透明導電膜(読んで字の通り、透明かつ電気を通す薄膜)を作製していた。

 僕の大学の工学部では(全国一般的にそうだと思われる)、学部卒で就職する人は少なく、7割以上が大学院の修士課程に進む。3年の春休みが終わりいよいよ周りがざわつきだした。


「お前どうすんの?」

「俺はこのまま大学院に進むわ。まだ、就職したくないし笑」

「俺はもう就活始めたよ。今日もエントリーシート出すわ。」

「まだ考えたくないなぁ、、面倒くさい。」


 僕も例に漏れず、周りと同じように自大の大学院に進学しようと思っていた。就活するのは面倒くさいし、大学院進んで後2年考えよう。友達とゲームして遊びながら笑って楽しんで。そんな毎日が楽しかったし、大学院に進んでもみんながいるし、なんか楽しそうだ。そんなことを考えてたある日何かが引っかかった。

「俺の人生ってこんなもん?」

すると昔の記憶がどんどん蘇って溢れた。


 「I have a dream」 


 僕には夢がある。そうだ、僕には夢がある。小さい頃から宇宙が好きだった。島根県で生まれた僕は小さい頃から夜空の星を見て育った。
幼稚園の頃、宇宙のことを考えて眠れないことがあった。宇宙ってどんなんだろう?って。
中学生の頃、JAXAが宇宙飛行士の応募をかけていた。僕は慌てて資料を取り寄せた。宇宙飛行士には自然科学系の大学を出て、2年以上の実務経験を積んでいないと応募できないので、中学生の僕が資料を取り寄せたところでどうしようもないのだが、その資料を読んでワクワクした。心が躍った。
高校生の頃、通っていた国語の塾の先生がある授業前にこうおっしゃった(おそらく覚えておられない)。「誰か、宇宙飛行士にならん?」僕はその先生に認めて欲しくて、心の中で「絶対なって認めさせてやる。」と思った。

 だから、受験では航空宇宙工学を勉強できる大学を受験した。しかし結果は ”不合格” 。1年浪人してもう一度挑戦するも夢叶わず広島大学の工学部に入学した。大学受験で2度挫折したのだ。僕の心は完全に折れ、小さい頃の夢なんて忘れていた、いや、考えないようにしていた。

 でも思い出してしまったのだ。そうだ、僕は宇宙を知りたい。あの頃のワクワクを思い出した時に僕はいてもたってもいられなくなっていた。

今のあなたにとって・・・・・・一番金ピカなことは何?

出典: 宇宙兄弟1巻

自分にとっての金ピカを追い求め、宇宙工学を学べる大学院を探し始めた。

しかし、ほとんどの大学院では入試でTOEIC の公式スコアの提出を求めており、団体受験しかしたことがない僕は願書提出までに受験し、スコアを提出することはできなかった。

「遅かったかぁ、、、」

そう諦めかけていた時、一つの大学が目に留まった。東京大学だ。東京大学は他の大学と違いTOEFL のスコア提出を求めていた。しかも、スコアを持っていない人は、入試当日に受験しそれを提出してもいいというのだ!

これだ!と思った僕はこの瞬間自大の大学院と東大院の受験を決意するのだった。

この時願書提出期限の2週間前。このあと知る悲劇にまだ気づいていなかった。。

–つづく–

#受験
#大学生
#エッセイ

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