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エリーゼのために

最近、ここ一週間くらい頭の片隅にあって離れないメロディがある。
誰かに話せば、共感してもらえば、ふっと軽く消えてしまいそうだけど、それも少しもったいない気がして独り占めしていた。
それに、最初は一人でペリッと剥がそうとしたんだけど、なんというか、左手で背中を洗うみたいに、上手く手が届かないのだ。


それがぺたりと頭に引っ付いたのは、バイトの仕事で電話をかけた時だった。


「はい、今紙とペンを持ってきますので、少しお待ちいただけますか?」

ゆっくりと、品のある、どこか寂しげな声の女性がそう言って、保留音を流した。


♫〜♪〜♫〜♪〜♫〜♪〜♫〜♪〜♫〜♪〜♫〜♪〜♫〜♪〜♫〜♪〜


不意に頭に流れてきたそのメロディは強烈に懐かしい、大好きな寂しい言葉だった。

エリーゼのために。ベートーヴェンの代表曲だ。
エリーゼの机の引き出しから見つかったとされるこの曲は、当時ベートーヴェンが愛していた彼女へ送ったものだった。

そのメロディを聴きながら、ふと、そういえば、最近全然聞かなくなったな。と思った。
僕が懐かしさを覚えたのがその証拠で、確かに昔はよく聞いていた気がするけど、今はめっきり聞かなくなっていた。
なぜ、聞かなくなったのか。気になって気になってしょうがなくなった。

(みなさんはどうですか? 僕は昔はよくどこからか流れていたこの曲をよく覚えているのですが、テレビだったのか、保留音なのか、最近聞かなくなった気がしませんか?)

記憶を辿ると、どうやら小学校低学年の時のように思う。音楽の授業だったのか。やっぱり、電話の保留音かな。いや、テレビで流れていたのかも。

すると急に、懐かしい記憶が蘇った。
好きだった人に、大好きだと言ったことがある。そして、言われたことも。

長くはなかった。僕の好きも、あの子の好きも、いつの間にか消えていた。消えたと思ってふと思い返したら、淋しくなるのだ。ごめんよ、と言いたくなるのだ。君だけずっとそこに居たんだね。

どうやら消えたわけではないのかな、忘れてしまっていたんだろうか。
僕が、保留音を聞くまで思い出せなかったように。

エリーゼを想って作った曲はどこか明るく、どこか寂しそうである。20代から始った難聴は次第にヴェートーヴェンを苦しめる。自分の、エリーゼの、大好きも、遂に耳には届かなくなって。。。忘れていく愛の中で、微かに耳に響く、大好きが淋しくて、悲しい。



ぷつ、ガチャ




途端にメロディが切れ、現実に戻される。


「もしもし、すいませんね、お待たせして。」

先ほどの女性の声だ。

「いえいえ、全然大丈夫ですよ。紙とペンはご用意できましたか。」

「はい?すいません、なんとおっしゃいましたか?」

「紙とペンです。ご用意されましたでしょうか。」

「あ、紙とペンね。用意しましたよ。すいませんね、最近耳が遠くて、、物忘れも激しいものですから、こうして何かに書いておかないと。」

僕は、少し淋しい気持ちになってこう続けた。


「いえ、大丈夫ですよ。僕もよく、忘れますから。」



ーおわりー



そういえば、「エリーゼのために」というタイトルは、もともとは「テレーゼのために」だったそうだ。ヴェートーヴェンの読みにくい字をどうにか読み間違えてエリーゼのためにとなったらしいが、僕にはエリーゼのためにの方がしっくりくる。誰かが読み間違えたついでだ。今夜は僕たちも読み間違えてみよう。あの日、あの場所に置いてきた言葉を探しに。

アナタのために

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