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自己肯定感ってほんとにいる?見上げれば笑顔や余裕ないときほど親切になど

「私、自己肯定感低くて…」

「自分なんて」とか「どうせ無理」とか「みんなすごいな」とか思っちゃうこと、ありますよね。僕も人の目が気になったり自信がなかったり勇気が出なかったり、ありますあります。今は割と元気です。

さてさて、今日は朝から「自己肯定感」に関するコンテンツをよく見かけたんで、それについて。学びをシェアしつつ、僕が感じたこと思ったこと考えたことなんかも書き添えてます。

学びのおすそ分け|自己肯定感についていろいろ

今回、自己肯定感への見方や解釈にもいろいろあるんだなあと思いました。この先にある「いろんな自己肯定感」や「それぞれの自己肯定感」を読んで、あなたの心がちょっとでも軽くなったら嬉しいです。

最初に基本形

一応、前提として定義も紹介しておきますね。ウィキペディアのコピペですが。笑

自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり[1]、自尊心(英語: self-esteem)、自己存在感、自己効力感(英語: self-efficacy)、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられる言葉である。
現在、これらの言葉は多義的に用いられることが少なくなく、結果としてあらゆる肯定的な心理的要素を表現する包括的名称(umbrella term)となっているという指摘がある。
自己肯定感の訳語としては、self-positivity、self-affirmationなどを当てはめる試みがなされてきたが、近年ではself-affirmationが使用されている。

ひとまずこのくらいを押さえとけば良いでしょう。セルフアファメーションとなると「大丈夫」とか「できる」って言い聞かせてる感じがして自己効力感と重なる印象。なるほど、「包括的名称」って書いてますしね。

ではでは参りましょう。

見上げれば人は笑顔になる

人は上を向くと口まわりの筋肉が動いて笑顔に近い形になるんだそうです。自己肯定無理、自己否定気味ってときにサクッとできるプチテクニックとしてどうでしょうか。

今朝の東京は快晴。散歩しながら空を見てたら気分が良くなった感じがしました。写真でおすそ分け。

てかてか、「上を向いて歩こう」も「見上げてごらん夜の星を」も坂本九さんなんですね。どっちも上を向く歌。すごいなあ。ちょっと感動。

余裕がないときこそ他人に親切に

レジリエンスとは回復力のこと。余裕がないときこそ短時間でも他人に親切にすると良いそうです。すると、脳が「余裕あり」と錯覚して、状況が改善されたり、視野狭窄防止につながったりするんだとか。

これも自己肯定無理、自己否定気味ってときにさくっとできるプチテクですね。たぶん、道端のゴミを拾うでも良いし、電車で席を譲るでも良いし、コンビニの定員さんに「ありがとうございます」って言うでも良いはず。

自己満とか偽善とかって言葉がよぎっちゃった人も一旦は無視無視。「ちょっと良いことしたった」って勝手に思っときましょう。

もしかしたらですよ?余裕がないから親切にできないんじゃなくて、親切にしないから余裕がなくなってるのかもしれないですしね。

ちなみに心理学によると、1番モテるのは「親切な人」らしく、また愛を感じる瞬間1位は「人に助けられたとき」だそうです。

自己肯定感ってそもそもほんとにいるの?

最後はまさかの「自己肯定感ってほんとにいるの?」っていう、そもそも論なお話。

まずは、「自分ができるか」じゃなくて「人類ができるか」で考える。次に、自分がもし人類で1番無能だったとしても、有能な人の時間を1分でも捻出できるなら自分がやる価値ありと思ってやる。

これなら自己肯定感がなくても大丈夫じゃない?っていうロジカルなお話でした。無能でも有能な人の時間をつくる存在になれるから、なんでもやれば役に立てるよっていう。考えるのが好きな人には特にオススメの配信です。

他に読んだ記事

とみんちゃんのツイートより。今日の朝イチで読んだ記事です。自己肯定感の話とはなんとなく違うかなって思ったんで分けました。

それに一般的に言えば男性にとって32歳って仕事をめっちゃ頑張れる時期。頑張れば頑張るほど成果が出てモテたりもするので、結婚や子どもは「あとで時間があるときに」って後回しにして仕事に全力投球できる。それで時間に余裕ができたときに、「やっぱり家族欲しいなぁ」と年下の女性と家族を持っちゃうとか。だから同年代の男性を見てると「イージーモードでうらやましいなぁ」と思っちゃいます、彼らも彼らで大変なのかもしれないですけど(笑)。

僕の話をすると、結婚願望が強かった時期もあれば、結婚願望がなかった時期もありました。で、今は?と言うと「どっちでも」な時期。

あるわけでもないし、ないわけでもない。強いわけでもないし、弱いわけでもない。そんな感覚です。単純に「ある」とか「ない」とかの話じゃないような気がしてる今日この頃です。

あくまで僕が望んでるのは、家族や友人も含めて、好きな人と楽しく暮らすこと。そこに結婚や出産もあったら楽しそうだよねってなればするかなって考えです、今は。

昨日の日記|グミちゃんとモーニングからのみちくさくらす

昨日はコミュニティマネージャー友達グミちゃんとのモーニングから。

いろいろ楽しみ!

昼からは『みちくさくらす』でお店番。ヘルマンハープの方が2階を予約してくださってたんで、お金を受け取って領収書をお渡しして、写真を撮らせてもらって、、と。

夜はひなたのみちくさごはんbySAMEYA。サメ肉ナシゴレン美味しかった!

と、昨日はそんな1日。ツイートしとくと振り返り日記つくりやすくて便利やなあ。

感情表現トレーニング|昨日の「さみしい」の続き

コミュニティライターとしてエモーショナルライティングを身につけるべく、ここんとこ感情表現のトレーニング中。てことで今日もちょっと。

最近、諸般の事情により「居る」ってことや「開いている」ってことについて考えるんですけど、昨日の「さみしい」話で思い出したことがあったんでメモがてら記録。

「離れていても安心する」
「隣にいるのにさみしい」

↑こういうときもありません?ラブソングにありそうなフレーズですが、、笑 となると、、ほんとに大事なものってなんなんでしょうか。

物理的に居ることじゃなくて心理的に居ること
物理的に開いていることじゃなくて心理的に開いていること

たぶんこれが大事なんだと思います。

「場づくりだ」、「拠点づくりだ」、「居場所づくりだ」って言ってスペース運営しても、ハードだけでソフトが伴ってなかったら、、最初は新鮮味があるし本性もバレてないし人も集まるでしょうが、次第に離脱します。

この辺、僕もやらかしたことあるんで、今は気をつけてます。ずっと丁寧にも難しいですけど、雑に適当になりすぎたら、コミュニティはちびりちびりと蝕まれていきます。「そして誰もいなくなった」ってなります。

とかとか考えると、ほんとの意味での「居る」とか「開いている」ってなんだろう、どういうことなんだろうって思わされます。

僕も拠点つきのコミュニティ運営してるくせに3拠点生活なんかしてるもんですから、その辺のケアやフォローを怠ると、、まあ退会者が増えます。汗

Facebookに会員グループと会員メッセンジャーの2つをつくってて、会員グループには毎日投稿を、会員メッセでは誰かが発言したら反応する。

っていう当たり前のことを当たり前にやるだけなんですけど、「オンラインでも一緒に楽しい時間を」とコミュニケーションの機会をつくってます。

コンペのプレゼンシートも毎日アップして添削してもらってて、、ほんと頭が上がりません、、、みんなありがとう。泣

あとがき|今後の予定

今日は、20時から恵比寿でながちゃん登壇の #オンコミュの価値 ってイベントへ。楽しみ!

明日は、朝のジェットスターで1日だけ愛媛に帰って地元・大洲で開催される『城下のMACHIBITO』へ。

で、あさってからはしばらく岡山です。日本酒会したり誕生日会したりしつつ、適当に毎日のように開けます。鍋したい。


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