映画 #沈没家族 を見てきた。
どうも、まさまさです
先日、#沈没家族 という映画を #コルクラボ の友人と一緒に、ポレポレ東中野で見てきました。その感想を書きたいと思います。
どんな映画?
シングルマザーになった穂子さん。
その息子「土」くん。
1990年代なかばの話。
土くんは僕より少し年下くらいだ。
穂子さんからの提案チラシ
「共同(?)保育参加者募集中」
これをきっかけに、様々な若者がひとつの“家”に寄り合い、子育てに奮闘した実践的共同保育。
その様子は「沈没家族」として取り上げられた。
「母はどうしてたったひとりでこの“家族”を始めたんだろう?」
土くんは、幼少期の自分の家族のカタチを、 20年の時を経て、たどる。
その様子が映画にまとめられている。
予告動画はこちら。
見たい人は、6/14までなので、早めに足を運んでね。
自分のため。自分が生きるため。希望をつないでいくため。
共同(?)の保育参加者募集中のチラシにある内容で、響いた文章がある。
わたしは土に会いたいから、土を産んだのです。ハウスに閉じこもってファミリーを思い、他者との交流のない生活でコドモも自分も見失うのはまっぴらごめんです。
この沈没家族のスタートは、穂子さんが穂子さんのために、始めたものであること。
それは、その後、沈没家族を出て、八丈島で暮らすことになるのも、また、穂子さんが穂子さんのために、生きるのびるために、希望をつないでいくために選択したことである。
自分の人生を生きる上で、他人とどこまで共存できるのか?
また、共同(?)保育参加者募集中のチラシから引用する。
共同保育の共同って一体なんだろう。それはどこまで可能なんだろう。コドモとオトナ、女と男、母親に対する社会のまなざし、などなど、コドモと付き合うことで考えさせられることはいろいろあります。
シングルマザーになる前の穂子さん。
ヤマくんという旦那さんがいた。
土くんには、ヤマくんという父親がいた。
土くんは言っていた。
「父親」って思ったことはないです。
ヤマくんはヤマくんです。
共同保育をしたい穂子さんの提案に、ヤマくんは混乱したようだ。
よくわからず、おもしろいと思えない自分。
それを受け入れられなかった自分。
そして、別れが訪れ、沈没家族はスタートした。
ヤマくんの心の中は…。
土くんの保育園・小学校の運動会。
世間の常識とされている家族ではない集団がそこにはある。
ヤマくんは土くんの実の親でありながら、自分より幅を効かせた他人の中に、お客さんのように入っていき、土くんを応援したようだった。
とても居心地が悪かったそうだ。
共同・共存と自分の心の意思決定と納得感。
ヤマくんはいった。
オレは逃げられないんだよ!
親は当事者で、沈没家族で暮らしている人は非当事者なのか?
なにに対する当事者なんだろうか…。
当事者性ってなんなのか?
ヤマくんの葛藤をみて、自分の人生を疑いなく生きることの、ある意味での残酷さのようなものを感じた。
共存するってなんだろう…。
共にある…ってなんだろう。
家族ってなんだろう?
なんだろうね…。
家族ってなんだろう。
家族について人について語りやすくなるキッカケになればうれしいと土くんはいっていた。
うまく書けないけど、このあたりでおしまいにしよう。
近々、両親に手紙でも書こうかな。
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です。
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