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言葉にできないんですけど、これだけは伝えたくて…『ありがとうございました』〜木村泰子さんが教えてくれたこと〜

やぁ。
まさまさです。

#コルクラボ のゲスト会に木村泰子さんが来てくださった。

木村先生は対談が始まってしばらくすると、サディの質問を遮ってこういった。

ちょっとまって。言いたいこと先に言わせて…。
コルクラボって最高の雰囲気やね。
こういう空気の中で集まっていて、一緒の空気が吸えて幸せ。

なんだか嬉しくなったことを思い出す。

話を聴いた後、木村先生のもとへ行き。

木村さん。
『ありがとうございました』
今は、なんだか言葉にできないんですが、それだけは伝えたくて…。

と言ってきた。

その「なんだか言葉にできないんですが…」を今日は紐解いて行きたい。
木村先生の話を聴いていて、ところどころ泣けて来た理由を知りたい。
だから、noteを書く。

ー*ー*ー*ー*ー*ー

木村先生は言った。

約束は1つ。ルールではありません、約束です。
『自分にされていやなことは、しない・言わない』
そして、約束は破られるもの。
ルールは破ると、説教や罰ゲームが待っているが、約束は、自分のためにやり直しをするチャンスだけが待っている。

そして、学びに必要なものは

*人を大切にする。
*自分の考えをもつ。
*自分を表現する。
*チャレンジする力。

人と人が正対するから、学びになる。
対等でない場所に学びは成立しません。

刺さった部分だ。
さらに、主体性と自主性の話のあたりで、ハンカチで涙を拭ったのを覚えている。

Q:主体性という言葉を使わずに主体性を説明してください。

当てられたコルクラボメンバーのまいまいは

自分の人生の選択権・主導権を他人に渡さないこと。
そして、そこに納得があること。

と言った。
僕も、似たようなことを思った。

逆に、自主性とはなんだろうか。

1つのゴールに向かって、自らで進むことができる力。
前提にあるのは、指示や命令である。

ここで、戦争の特攻隊は、主体的ではなく自主的だったんだろうという話もでた。

話を聴きながら、僕の脳裏に浮かんだことは、最近まで勤めていた病院での出来事だった。(今はニートだよ。)
僕は、医療療養病床というところで働いていた。
1週間に1人は亡くなっていく。
入院している方々は医療依存度が高く、自宅に帰れなかったり、医療が手薄な施設には行けない人たち、とされていた。

そんな方々に関われせていただく日々の中で、感じることがあった。

・なんでベッドで寝かされたまんまなんだろう。
・なんで点滴だけで生きているんだろう。生かされているんだろうか?
・自分の最期の瞬間は、自分で決めることができないんだろうか?
・患者という立場の人間は医師や看護師に許可してもらわないと、何もしたらあかんのかな?

認知症や脳卒中の後遺症で言葉を失う人がいたりする。
健常者と呼ばれる私達と、コミュニケーションを取ることが難しくなる。

『どうしたいですか?』『どうしますか?』
って聞いても、主張できなかったり、言葉では説明できない状態になったりする。
でも、嫌なことをされると、抵抗するし、不機嫌になったりする。
当たり前のことだ。
関わる側の立場からいうと、相手のことをわかろうとする人とは、コミュニケーションは取れる。

認知症の症状があったり、介護抵抗があったり、生命を延長している栄養の管を抜いたりすると、拘束といって身体結ばれたりすることや向精神薬という薬を飲まされたりすることがあった。
その結果、関節が固まっていき、関節拘縮という状態になる方々がいた。
褥瘡といって、皮膚に穴があいたりする人がいた。意思疎通ができなくなったり、寝たきりになって行く方々がいた。

仕方ないって言う人もいるだろう。
でも、僕は、もうすぐ人生を終える可能性が高い人に対して、それをしている医療というものがわからなくなっていった。

僕は、自分の生死について、生き方について、死に方についての選択権・主導権が奪われている現実がつらかった。
それを思い出して、泣いていたんだと思った。

ちなみに、大切なことだから言っておく。
医療従事者や家族は悪気があって、そうしているのではない。
みんな一生懸命働いているし、家族も一生懸命である。

加えて言う。
組織というものには、理念やビジョンというものがある。
途中から入った職員も、以前からある理念やビジョンに向かって働く。
ただ、主体的に理念やビジョンに向かって、動くというよりか、自主的に(指示命令に従って)動くことを求められがちなように感じる。

僕は、理念やビジョンは知っていたし、賛同して転職した。
しかし、日々の中で『なんかへん!』と思うことが多かった。

でも、それを学び合う関係性が築けなかったのだろう。
自分の意見を主張すると、『君は間違っている!』と言われたことや『君の言っていることは素晴らしい。でもね・・・』と言われたことも思い出す。

対等ではなかったのだろう…。
そう思う。

木村先生が校長をしていた大空小学校では、その都度『どうしたん?』『何が変?』『どう思うんの?』『なんで?』と、対話を開始する文化が醸成されていた。
なぜ醸成されているのか?
それは、たった一つの約束があるからだろう。
『自分のされて嫌なことはしない・いわない』
その約束は破られるもので、破っても、自分のためにやり直しをするチャンスがあるからだろう。

木村先生に、涙を浮かべながら『いろんな思いがあって、今は言葉にはできないんですけど、ありがとうございました。』といった時、木村先生はこう返事をくださった。

『「反省なんてせんでええ」過去は振り返っても、ええことなんてないんや。どつぼにはまってしまうだけやで。やり直すチャンスは前にしかないよ。』

やり直すチャンスは、前にしかない。
そうだ、やり直しをしよう。
僕には、やり直しを見守ってくれる友、支えてくれる友、応援してくれる友はたくさんいるからね。
今は、28才、独身、彼女なし、仕事なしの社会的地位、底辺ニートやけど、やり直しをしよう!

おしまい。

最後まで読んでくれた人。
ありがとう。

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