理学療法士の僕が『居るのはつらいよ〜ケアとセラピーについての覚書〜』を読んで、臨床を振り返る

どうも、まさまさです。

このnoteは、『居るのはつらいよ〜ケアとセラピーについての覚書〜』を読んで、臨床現場で感じたことを書く。
ケアとセラピーは比重は違えど、両方必要なのではないか…と思ったから。

最初に

ケアとセラピーについて、臨床心理士東畑開人さんがデイケアの現場の具体的な現象から抽象化し、言語化した本がコチラ。

居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書

この本では、

ケアとは、傷つけないことである。
ニーズを満たし、支え、依存を引き受ける。そうすることで、安全を確保し、生存を可能にする。平衡を取り戻し、日常を支える。

セラピーとは、傷つきに向き合うことである。
ニーズの変更のために、介入し、自立を目指す。すると、人は非日常のなかで葛藤し、そして成長する。

と書かれている。

僕の体験

僕は今、月に複数回だが、有料老人ホームのようなところに出向いている。
そこでの場面から感じたことを書く。

ノックして部屋にお邪魔するなり、Aさんはガバっと起き上がった。
そして、「苦しいの…」と言っている。

僕は、バイタルチェックを行う。
この苦しいは病院に行かないとやばいやつなのか?
そうではないやつなのか?
をチェックする。

大丈夫だろう…。

と判断し『苦しいですね…』と返事してみた。

苦しいを聴いていると、苦しい以外の言葉が少しずつ出てくる。

あなたの話を聴きたいから、安心して話して欲しい。

そんな想いが届くように、相槌で応答する。

話は続く…。

『そうでしたか〜。それは悲しかったですね…。 寂しかったですね…。』

そして、自分の話はしない。

沈黙を耐える。

ある程度、話が終わりに差し掛かって来た。

ここまでが、ある意味ケアだったなのかもしれない。
相手のneedsが何であったのか具体的にはわからないが、出てくる言葉が少なくなってきた…。

僕は、隣に座って、肩に触れる。

苦しいではなく、悲しい出来事を経験し、寂しい気持ちを抱えていたように思う。

ここからはセラピーだ。自立を目指すのだ。

Aさんは歩行が不安定なのだ。フラフラとお散歩にでかけてしまう。
もう少し歩行が安定してくると、スタッフも安心して見守ってくれると思うのだが、残念ながら今はよく止められている…。

苦しいと言ってきたAさんに対して、カーテンをあけて、僕は話しかけた。

『Aさん、すごいいい天気ですよ。
気持ちよさそうですね…一緒にお散歩しませんか?』

と、手をつないだ。

苦しいと言っていたAさんと手をつないで、外へ。


Aさん:あぁ〜ムワッとする…暑いわ。 あら、キレイなお花。

:お花好きなんですか? 趣味はなんですか?

Aさん:編み物が好きなの。作ったやつは全部友達にあげるの。


今度は、編み物でも教えてもらおうかな…。

まとめ

ケアとセラピーを考えた時、いきなりセラピーはないのではないか?
ケアがなされた上にセラピーが始まる。

大きく分けると、ケアが得意な人とセラピーが得意な人と分かれるかもしれないが、セラピーが得意だからと言って、セラピーしかできない人に、人が安心してセラピーを求められるだろうか…。

あのたった数分のやりとりだけど、ケアとセラピーについて、考える機会に恵まれたことを感謝し、このnoteを終えたい。

気になった人は、ぜひ読んでみて欲しい。

居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書

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