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あなただけが、なにも知らない#26

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 僕は涼真と、南海の一周忌を迎えた。
 あれからアパートに戻った僕は、しばらくして仕事を探し始めた。生活資金が底を付きかけていた理由の他に、自分が生きて行く動機が必要だった。
 また金を借りられる。そう涼真は大袈裟に喜んでいた。
 簡単な仕事だった。誰にでも出来るような簡単な仕事……。でも、僕には少しハードルが高い仕事。

 職場は自宅からは遠く、電車で一時間以上かけて通勤した。なるべく離れた場所で働きたかった。人と接する事が増えたけど以前の僕とは違い、あまり苦痛を感じはしない。それでも、歓迎会や上司からの誘いは相変わらず断っていた。
 涼真は、その店によく来てくれた。
「遠いから来なくてもいいよ」と言っても、「お前に会いに来ているんじゃない。あの可愛い子が目当てなの」と言って笑った。
 涼真は相変わらず僕に優しかった。僕たちは以前よりも会う回数が増え、不思議と僕もそれが嫌だとは思わなくなっていた。


 月末に、まとまった休みを取った。


 長く休んでいた朝の散歩も、今日はあの日のように行った。気になっていた外灯の多さも、気にならなくなった。すれ違う自転車は忙しそうに新聞を配っている。あの頃とは違う雰囲気に少し戸惑った。あの時見た雲の群れは、目的地に着いたのだろうか。

 大通りへ出て、僕は今来た道を引き返した。そのせいか虚しい気持ちが僕を襲う。
 道なら幾らでも戻れるのに、何ならスタート地点までだって戻れるのに、どうして時間を戻ることは出来ないんだ。戻したい時間なら、いくらでもあるのに……。

 帰宅すると、アパートの屋根に鳥は居なかった。

 大きい冷蔵庫を開け、中から缶コーヒーを取り出した。手に伝わる冷たさが、僕の心を温めようとしている。
 階段を上がる靴音がする。なかなか止まらないその音が、僕の家の前で止まった。僕はリュックを背負いドアを開けた。前には涼真が立っている。


「拓海。行くか!」
 朝早くから気分が高揚しているのが分かる。


「行こう!」
 僕の気持ちも同じだった。


 車の中から見る風景が、左の窓から忙しく流れている。耳障りな音も目障りな光も気にならなかった。高速道路から見る世界は相変わらず好きだった。久し振りのフェリーも、船内では涼真と何も話さず、船窓から外を眺めていた。
 あの時見逃した橋の真下も見ることが出来た。

 到着を知らせる汽笛が鳴った。


 少し緊張していた。あの日以来だった。
 まだ一年しか経っていないのに、島の風景は少し変わっている。車に揺られながら、あの家を想った。外の風は……冷い。

 樹の葉は、少し色付いている。葉が風に煽られ、前から僕の方に近づいてくる。辺りの草は自由に生い茂り、人の薫りに驚いたのか一斉に揺れた。
 海岸線を走り、潮の香りを受けながら、あの小さな脇道に入った。揺れる車体、唸るエンジン、舗装されていない駐車場。
 涼真は、あの時の様に車を止めた。ドアを開けたその瞬間、森の香りが僕達を包んだ。そんな気がした。駐車場から伸びる歩道を進んだ。靴の裏から伝わる振動が懐かしい。ログハウスの周りにも草が生い茂っている。
 階段を一段上がって見える古びた扉の把手は相変わらず綺麗だった。鼓動が速くなる。不安な気持ちが僕の胸を押した。


「開けるか!」
 涼真の場違いな明るい声。


 僕は扉を開けた。家の中に入ろうとする風に背中を押された。僕は足を踏ん張り、立ち止まった。
 あの声を待っていたんだ。
 いらっしゃい。そんな彼女の優しい声は、僕の心の中でだけ響いていた。


「変わんねぇな」
 涼真は天井を見上げ言った。


「天井は変わらないよ」
 僕はそんな冗談を言ってみた。


「いや、そうじゃなくて」と言って、涼真は笑った。


 天井だけではなく、僕が寝泊まりしたリビングも、彼女が食事の支度をしていたキッチンも、掃除道具も、すべて……何も変わっていなかった。
 僕の家にある冷蔵庫と似たそれは、中身が空になって、扉を開けても薄暗く、そこには触れる事の出来ない寂しさだけがあった。


「お前らここで一か月も何してたんだよ。やったのか?」


 そんな事を興味津々に聞いてくる涼真が可愛く思えた。


「やってないよ」と、とぼけて見せた。


 涼真は頭を抱えている。
 あの日から……、僕が海に入ったあの日から、胸の痛みは感じなくなっていた。
 リビングの隅にある小さな時計は動いていた。丁度彼女と二人で散歩をしている時間だった。


「散歩に行こう」僕は涼真を誘った。


 道の脇にはあの時の様に草花が咲いていた。隣に彼女が居ない分、心なしか草花は元気がないように見える。

 あの時の道。

 何も話さず、ただ二人で歩いた道。

 何気なく歩いていた道が今日は愛おしく想えた。


 涼真は何も話さず僕の後ろを付いて歩いていた。
 二手に分かれている道に着いた。僕は立ち止まる。あの時、薄暗かった細い道から吹きつける冷たい風が、優しく僕の頬を突いた様な、そんな気がした。


「海に行こう」そう言って、また僕は歩きだした。

 草が道を隠すように覆い、下の土が見にくかった。涼真を見た。僕の視線に気が付いたのか、笑った。


「着いた!」
 景色は何も変わっていなかった。


「ここは……」
 涼真は混和した表情を浮かべている。


「僕はここで死のうとした」全身が震えた。僕は続ける。「僕を助けようとして南海は……、南海はここで……死んだ」
 言葉にしたことで、その事実が僕の前にはっきりと現れ存在を主張し始めた。


 涼真は、何も言わなかった。

 ……つづく。by masato
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