初恋から10年後の切ない記憶

男にとって初めて接する異性は母親である。

私の母は息子を徹底的に全否定することが、息子が図に乗らずに教育的に良いことと信じているかのような育て方で、その接し方は79歳の今も続いている。彼女なりに真剣な様にも見えるし、単にそうしたいだけにもみえる。

ただ物心ついたときから僕は徹底的に女性に受け入れられないと深く傷ついていた。

元々、極端に内向的だった。その育てられ方との相乗効果だったのか、僕は基本女の子とまともに口をきけなかった。

ましてや、憧れている女の子とは一段とまともに口をきけないままいたずらに年齢を重ねていった。

父は心から褒めてくれて本当に心の救いだったが、小学校4年生の始業式の日に事故で死んでしまった。

母は環境を変えたかったようで、引っ越して、小学校5年生で転校した。

その時、多くの同級生の男子が同級生のある女子のことを熱心に話していて不思議だった。綺麗だけど、見た目ではそんなに目立つ子でもない。

それが転校して日々を過ごすうちに、僕も彼女のことを熱心に話したくなったけど、恥ずかしくて誰にも話せない。

彼女は小学生にして、作文に、亡くなったおばあさんのことを書いて発表すれば、涙を鼻からまで垂らしていたが、その心の動きの美しさに引き寄せられてしまう、そんな女の子だったからだ。スポーツも勉強も万能だった。

僕は一段と話をできないまま、ただ彼女と3年余りも同級生だった幸運には感謝していた。

中学生になり彼女は生徒会副会長になり、会長の男子がこれまた文武両道で、男から見てもカッコよく、二人は仲良さそうだった。

僕はただただ憧れながら、何もできるわけもなかった。あることで僕が困ったときに、彼女が一生懸命助けてくれたことがあり、その親切心にも感謝した。なんて博愛精神のある人だと思った。

中学を卒業するときにもう彼女を見ることもないのだろうなと思うと落ちこんだが、何もしない、何もできない。僕はそんな意気地なしだった。

それから10年の月日が流れた。僕は4カ月間の入院生活を終えて退院したばかりだった。

駅で偶然、その彼女に会った。

「久しぶり」

何故かその時は僕も自然に話しかけることができた。

電車の中で話が弾み、一時間以上話をした。

彼女は早稲田大学の学生になっていて、中国語を専攻していた。賢い彼女は35年以上前に中国の発展を予想していたのかもしれない。

大手出版社でバイトもしているとのことだった。

人生で最も天に昇る気持ちを味わった。それから二日間くらいずっと天にも昇る気持ちだった。

どうしてもまた会って話をしたくなり、彼女の家に公衆電話から電話をするために公衆電話に10回以上入ったり出たりを繰り返し、最後にようやくダイヤルを回そうとしたとき、指に力が入りすぎて、突き指気味に人差し指を突っ込み爪が欠けた。

意外なことに彼女はあっさり、会ってくれて、喫茶店で延々5時間くらい話した。

ただただ、話すだけだった。なぜなら僕は漸く女性と少しは話せるようになったが、20歳の誕生日直前から4カ月間も入院して、多くの人の死に接し、自分の人生も悲観し、健康で明るい将来を持っている彼女につきあってくれとかとてもいえるような人間でないと固く信じていたからだ。

だから、僕はダラダラと話すことしかできなかった。

彼女は驚くほど、僕のことをよく覚えていて、詳細に話してくれた。

なんでそんなに覚えているのか、不思議で質問すると

「だって、私の日記に中村君はよく登場していたんだよ」

この時の衝撃はそれから34年たった今も鮮明に覚えている。

『母からの徹底否定教育でたたき込まれたほど僕は女性に興味を持たれない人間でもなかったんだ!』

ただ、僕はダラダラ話すことしかできなかった。僕は多分、早死にするやばい人間に過ぎない。彼女は光り輝いていた。一体、僕にこれ以上何を望めるというのだろう?

それから彼女をもう一度誘い出す勇気もでないまままた時間が数カ月たった。

電車の車両の一番端っこに座って、隣の車両を眺めていると、なんと、その彼女がいた。彼女は車両の真ん中の方にいたのに、彼女も僕に気が付いてこちらの車両まで来てくれた。

スキーの帰りだということで重い荷物をたくさん持って。うまく持てずに引きずって。

僕はまた天にも昇る気持ちで話をした。僕はスキーに行けるような体でもなかった。彼女は僕とは別の明るい世界を生きていると思いながらも、話すだけで嬉しかった。

駅で降りて、階段を登るとき、彼女は荷物を重そうに持ち上げていた。僕は何度も、僕が持つよと言った。何度も、何度も、何度も

彼女は自分で持つからいいと言ってきかない。

そうこうするうちに、階段の上まで来てしまった。

僕が彼女のことで一番後悔して思い出すのは、この時何で無理矢理でも彼女の荷物を手に取って、運んであげられなかったのかということだ。

その後、彼女を一度も見かけていない。


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