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NHKの話(1):僕の「NHK受信料」拒否宣言

「受信料」という言葉に騙されてはならない。受信している対価ではない。支払い拒否をしているというと「タダ見(泥棒の一種)」をしている卑怯者と言われることがある。
しかし、卑怯者は本来の使命を忘れて「この国を戦争のできる国」へと向かわせている「NHK」の方である。


戦前(ラジオの時代)からこの組織は、『国営放送』として「民意(笑)」を構成していた。
大学に入ること本多勝一と言う嫌な男の「受信料拒否の理論」を読んだのが始まりである。僕は一回も受信契約をしていない。「見ないから」という訳ではない。その頃は嫌な男とは知らず神様のおように崇め奉っていた。
本来NHKと言う組織は、全ての「経費」を国民から受け取ることであらゆる権威や企業から独立して世の中の腐敗や戦争を起こそうとする企業の思惑を浮き彫りにして、戦争が二度と起こらないようにするための組織なのだ。

しかし、戦後少し立った時点で東西の綱引きの中で政治的な道具となってしまう。驚くべきことに戦後当初のNHKは社会党に偏向していると批判されたこともあるのだ。

この記事では、1996年当時にwebを始めた頃の文章から引いてきています。よかったらこちらから御覧ください。もう20年も前の文章だし、この一連の記事は転載しても仕方ないかとも思ったけど、遺言代わりに記事にすることにした。

【NHK受信料支払い拒否宣言】

2000年9月1日版を元に(コメント)を追加しました。2022年9月9日


【その1】

そもそも、NHKは第二次世界大戦の反省からうまれた物です。

三権が分立して、その上で、国家権力を監視する『国民の目』として機能する事を期待された物です。

そもそも、メディアは権力を監視するという性格を持っています。
しかしながら、他の各種メディアが広告収入に依存すると言う経営形態を取るために、否応なく企業の利益を重視する物になりがちです。
つまり、スポンサーと視聴者の二人を主人に持つのです。
しかしながら、NHKはその財源を全面的に国民から求めることによって、本当の意味で国民が主人になるメディアとなる物です(だから商標名は注意深く避けられます)

【その2】

しかしながら、戦後の民主主義はこの素晴らしい考え方を全くなしくずしにしてしまったのです(民主主義という仕組み自身が問題を起こしているのです)

トップ人事権が時の政権にあり、各種許可、認可を行政が握っています。
その為に今やNHKは政権を主人とした一種の広報マシンに成り下がってしまったのです(これはすべてのメディアに言えることですが、メディアはスポンサーという主人がいるのである意味仕方のないことです)

本来、『政治権力が内在する危険性を厳しく批判して、中立(憲法に忠実)である事が義務つけられているNHK』は、その義務を果たしていません。

NHKはそのような義無違反を行っているのだから受信料は当然払わなくても良い物です。
逆に、そのような状況だからこそ、払ってはいけないのです。


なぜ、税金のように強制的に取り立てないのか。
なぜ、『国営放送』として税金を使って運営しないのか。
この2点をじっくり考えてみれば、NHKという仕組みが何を目指す物だったのか良く分かると思います。

つまり、国家権力を批判的に捉える事ができるメディアとなる事が目指されていたのです。 そして、主人は受信料を支払う「一人一人の国民」なのです。「企業や官僚・政治家」を監視することが期待されているのです。

【その3】

受信料と言うのは確かに『受信』と名付けられているからあたかも他の有料放送のように放送を見る事への対価の様に印象つけられています。
しかしながら、憲法とNHKの設立の経緯を考えてみればそのような物ではないと考える事ができます。

本質的には二度と戦争を招かないように『権力を批判する目=公平なメディア#NHK』を作るための参加料だと言えます。

天下り先を作っているとしか見えない周辺事業の拡大、大河ドラマ、紅白歌合戦、競争を伴わないハイビジョンの開発、いずれもこのような観点から見たらまったく必要のない物です。

そもそも、NHKのトップ人事、事業の監査、認可等を通じてのコントロールはすべて時の政権が握っています。そのような制度の元できちんとした国民の利益が守られるとは思えません。


私達は税金を払い、その税金の使い道を政治家に依託しています。
その政治家選ぶための手段として選挙権を持ちます。

それと同じように考えるなら、少なくともNHKのトップを選ぶのは受信料を払っている人間のはずです。NHKのトップ、運営者の公選制度がない限り(制度的な保証がない限り)どうにもなりません。

【その4】

残念ながら、今のNHKには政権を批判的に見る力は有りません。
『森総理大臣』の釈明記者会見の指南書を作ったのはNHKの元記者クラブの男だったと言います(書いた当時の時代を感じます)。
受信料を払っている人間達は身銭を切ってこのような政権の広報を聞かされているのです。
今、経済は落ち込み、国のポテンシャルは最低になっています。そんな時代を作った責任の一因はきちんと政権を監視しなかったメディア、それを育てて来た私達に有ると思います。
受信料を払わない人間は『国賊』では有りません。今の時代に大して危機を感じるのは当然の事です。
インターネットの掲示板を見たり、僕のwebに対しての投書を見たりすると様々な意見が有る事を実感します(パソコン通信時代でした)
そして、議論が深まり、様々な立場からの意見を知る事はとても為になります。

私は、自信を持って受信料の拒否をしています。

【その5】

法律を守る守らないと言う議論からしたら、私は22年間放送法を始めとする一連のNHKに受信料を払う事を一方的に義務つけている法律を破って来ました(もう40年以上になります)

同じようにNHKは不偏不党で公共の福祉を増進する、憲法を遵守すると義務つけられていながら、それを守ってこなかったのです。
受信料と言う形でお金を集めながら、お金を払った人間に何らその使い道の是非をとう事を行う仕組みを作ろうとはしませんでした。

確かに、現在のNHKのあり方はNHKのトップにとっては実に都合が良い物でしょう。

毎月大金が入って来て、その使い方は自由に決められる。
どんなばかな使い方をしても、時の権力者に胡麻をする事を忘れなければ何も問題にはならない。

【その6】

母子家族で、本当に生活に困っている人間からも毎月金を搾り取り、NHKの会長はいつも良い服を着て、うまい物食って、大きな家にすむ。(推測)
こんな事は僕はおかしいと思う。
『みなさんのNHK』という言葉は心地よく響くかも知れないが、ただの空虚な言葉にしか聞こえない。
『NHKは皆様の受信料で成り立っています』というが、その金額をきめるのも、運営するのも全く勝手にきめているではないか。少なくとも制度的な保証が全くない。そして弱者に対しての優しさがない。

余談だが、『日本人の質問』という番組名は止めてもらいたい(昔こういう名前の番組がありました)
もうひとつ、犯罪に関しての実名報道は止めてもらいたい(汚職や公的な立場を利用した犯罪は当然除きます。犯罪は社会の歪みを写す鏡です。犯罪を犯した側のヒトであっても、同じ国民なのです)。

【その7】

NHKの社員も多くいると思うし、取引先も多く、多岐に渡ります。
軍事予算を拡大したいとか、そのために福祉を切り捨てしたいとか、思っている人たちには、今の状態が良いと感じられるだろうから、それはそれで良い。

NHKの受信料を払ってもらいたいと思う人間も多くいるから、そう言う意見がインターネット上に存在する事もかまわない。それはそれで良いと思う。

ただ、良く考えていただきたい。

戦前の大政翼賛会の行った犯罪を。
それを二度と起こさないためにはどうしたら良いか真剣に考えていただきたい。

単に法律を守る守らないのレベルの議論をしたら、支払い拒否を行っている人間は全て犯罪者で、非難されても何も言えない。

道路で制限速度以上の速度を出している犯罪者と同じくらいいけない人だ。

最近のインターネット状況は権力に対しての監視を行う事が可能となって来ているような気がする。
NHKに担わされている役割はインターネットで肩代わりできるかも知れない(当時はネットから収益を上げる方法が考えつかれていなかった。隔世の感を感じます。と言う僕もyouyubeを収益化しているし、お金いただければ嬉しい。しかし誰かにしっぽ振って金もらいたくはない)

【その8】

では具体的にはどうしたらいいか

1)NHKのトップの公選
2)経営監視委員会(行われている様々な活動の監視)の委員の公選
3)各種の行政に対しての独立性(郵政、通産等からの許認可を受けないための仕組みの確立) この3つは必須だと思う。

(公選というところは難しいものです。今や公選という名前の独裁が成り立ってしまうからです)

メディアはそれ自身で大きな権力になります。
同時に集められた金額はそれ自身が大きな権力になります。

自分達の生活をよくするために出した金額が自分達の首を絞める事にならないようにしたい物です。

もし、この条件が満たされたら月2万円くらいまでなら払う。
いままで22年間払ってこなかった受信料を払ったってかまわない)大きく出たな)。

自律して、権力と向かいあえるメディアと言う物はそれだけの価値は有る。




そうそう、NHK会長選挙が実現した暁には、齋藤真也に一票入れて下さい(うん、僕は慈悲深き帝王になりたい.....…多くの独裁者と同じ様に)


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。