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「小茄子のミョウバン漬け」のルール

先日、お店に小茄子の漬物が売っているを見た。前の記事で小茄子の漬物はお店には売っていないと書いたのだが、実際には売っているのである。
しかし、もはやそれは、僕の好きな小茄子の漬物ではない。ただ茄子を塩に漬けただけの残骸である。

シッカリと塩でもんで、ミョウバンを混ぜて重しを乘せる。


とにかく重くないといけない。茄子は皮が硬いから皮を塩とミョウバンで叩くのだ。その内側の空気に満ちた層にはシットリと味が入っていく。
僕はヘタごと食べる。妻は綺麗に除く。しかし、この美味しさは売っている小茄子の漬物では出ない。中はほぼ生なのだ。一晩程度で食べ頃なのだ。
これで600円、せいぜいで前日にとられた茄子である。棘が痛い。

植物は地面のうちから水に含まれたマイクとバイオームが登ってきて細胞に食べられると言う生命のモデルを考えている。
無論、光合成を行うが、細胞のうちに必要な代謝系を全て自前で用意するとは考えづらい。
発芽にしても重要なのは水とその種にとって重要なマイクロバイオームであると考えている。DNAが書き込まれた乾燥した「書物」を読み解いて生命を始めるには「マイクロバイオーム」が必要なのだ。

植物は常に「水を放散」して生を維持している。幹や根から切り離された瞬間から「死」が始まる。細胞は崩壊して、水が流れていく。
動物と違い植物は、乾燥によりあっという間に細胞の内側の「生命=立体構造を持ったタンパク・脂質」は失われる。
分子としては残るかもしれないが、生体活性は失われるのだ。だから美味しくない。

生命は、「食事」の中から数限りない「代謝物」を手に入れて身体の海に満たす。そう考えなければ、DNAにコーディングされたタンパク質の数の少なさ(ヒトゲノムで14000程度、大腸菌は1400)を説明できない。
食物連鎖という流れの中で「マイクロバイオーム」が自分の身体として使っている「生命=立体構造を持ったタンパク・脂質」をチョロマカシているのだ。

大事なのは食事が作られるプロセスである。
『ガンや難病、膠原病、リュウマチ・骨変形、生活習慣病と言われる検査値の異常と相関関係しかない致命的な臓器の損傷』これらの問題が顕著になるのはこの50年である。
医学は栄養素の数を数えるが、そこには答えはない。

伝統的な手法で素材から作られた食事は美味しいのだ。
その美味しさは、輪廻転生(食物連鎖)と言う生命を受け継ぐ過程で生まれる喜びなのだ。

宗教がかっておる(笑)。

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。