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そんなことよりきいてくれよ1ヨ

あまりに懐かしくてびっくりである。
みんなチャンネル登録しよう。

明日は牛丼である。

こちらの方の記事を読んで一気に思い出したのであった。

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牛丼に見るフードキャピタリズムの変遷

フードキャピタリズム(食事が破壊されたプロセス)の歴史を考える上で、「牛丼屋さん」の変遷は面白い。

1)グローバリズムの始まり(ミニマムグローバリズム)1980年代

新宿西口に「大黒屋」と言う牛丼屋さんがあった。焼き豆腐と糸こんにゃくが入っていて、大きな鍋でクツクツと煮ていた。鍋はには間仕切りがあって煮えすぎた肉はあげていたなあ。
焼き豆腐には味が染み込んでネギもクタクタのものから入れたばかりのものまであって、味ははすき焼きを彷彿とさせた。

食事を(料亭などの特別な場所ではなく)お店で売るという発明はそんなに昔のことではないのだ。都市化が進み、家庭というシェルターが失われたために起こった一連の変化と捉えるべきだろう。
池波正太郎さんがエッセイの中で『「今日はなにかごちそうを食べよう」と言うと昔は買い物かごを持って奥さんが材料を買いに行き、いつの間にかお化粧をしてお出かけするようになった』と書いていた家庭料理のご馳走とは高い材料を買って食べるすき焼きのことであろうか(笑)。僕の小さい頃はたいてい豚肉であった。

新宿の大黒屋も、恵比寿にももう1軒あった。生存領域が重ならない形での、「暖簾分け」の時代である。仕入れを共通にして、コスト削減をはかるゆるい店舗結合の時代である。店舗ごとの採算で従業員の旧呂も決まる。材料は店舗で調理されていた。故に、店によって味のばらつきがあった。つまり、店員の技量が必要だったのだ。グローバリズムの最大の敵は優秀な店員である。
やがて吉野家が出現する。牛肉のサプライチェンの始まりであった。
凡庸な素人にでも標準的な商品を作ることが出来ることが「フードキャピタリズム」には重要なのである。

この時期の特徴は、材料は共同で仕入れ、調理は各店舗であった。

この時期を僕は「ミニマム(最小の)グローバリズム」と呼んでいる。美味しい豆腐やさんに隣町からお客さんが来るようになっていく過程である。
このために、当然隣町の豆腐屋さんは倒産して、働いていたヒトはより大きな豆腐屋さんに統合される。ソニーや松下も腸内の商店であった時代があったのだ。

直営店とフランチャイズが混在し始めるのもこの時代である。当然キャピタリストにとってはフランチャイズは都合がいい。リスクを負うことが少ない。地主(店舗の所有者)にとっても集客力のあるコンテンツ’(食い物)は利を上げることが出来る。おまけにチンして出すだけならば従業員も安く雇える。文句言うやつは首にすればいい。

この時期は、「労働組合(僕の専門)」という人のつながりが破壊された時期とも重なる。


2)食事の工場生産と「政治的に正しい栄養学」の跋扈1995年〜

コンビニエンスストアが町中の冷蔵庫として機能し始める時期である。
給食では、個別の学校の給食室での調理から、センター給食制度が確立する。この時期は食事行政が大きく発展する。

冷凍技術、真空包装技術が恐ろしく発展する。これにより、店舗でのスキルが必要なくなっていくのである。同時に、多品目の提供が可能となる。後発の松屋がカレーや様々なオプションを販売することで一気に吉野家を抜くのである。
しかし、牛丼屋が豚丼うってどうする(笑)。

今では、レトルトに入った「吉野家マーク」の牛丼が売られている。
この時期は、アメリカからの狂牛病で材料が入らなくなり、フランチャイズを切り捨てているはずなのだが、はっきりとはわからない。
フードキャピタリズムにとっては、店舗は販売の窓口にしか過ぎない。

3)グローバリズムのますますのご発展、「安心安全」な食事と言う太鼓判!

貧乏人に、自分たちが食べないものを売り金持ちはますます金持ちになる。

僕は「格差の問題」と食の問題は全く同じ構造を持っていると考えている。

吉野家が悪なのではない。結構美味しいし、僕は大好きだ。しかし、毎日あれではあまり好ましい死に方はしないだろうと思う。

フードキャピタリズムはもう行き着く所まで行ったと思っていたが、世の中は元悪くなっって行っている。
僕が、今考えているお裾分けという考え方が世の中を変えるとは思えないが、80歳になったと気の僕にはまともな食べ物をいただきたい。



このCMよく覚えているなあ。美味しさに打ち震えたものである。

あんまり参考にしなかった吉野家の公式ページ


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。