市民が命を失い、絶望しながら得た権利をコロナは一気に奪い去った。
妻が、ワクチンを打たないとパート先の人に肩身が狭いという。
ワクチンの接種の最初において国はメーカーを免責する約束をした。コロナでバタバタ人が死んでいるように喧伝して、市民が求めているからと言って、メーカーの製造責任は問わないと決定したのだ。
因果関係を認めなければそれはなかったことになる。そして因果関係を認定するのは、ワクチンを打たせたがっているメーカーの金で生活している大学のセンセイ様だ。
ワクチンを「打つ打たない」でいがみ合いをさせるために「集団免疫」などという妄言を作り出した。
「分割して統治せよ(Divide and rule)」というのはコミュニティ運用の伝統的な技法である。教室で先生は、生意気な子供はいじめさせて、兄弟を親は監視しあわせる。別に国家に特有の作為ではない。だから厄介なのだ。
まるでコロナの感染がワクチンを打たない僕のような人間が起こしているように理屈をすり替えている。
けどね、互いに慈しみ合う心も僕らは持っている。病に苦しんでいる人たちを助けようと必死な臨床の医師や看護婦を尊敬する。そして医療を金儲けの道具として、崩壊の危機だと喧伝する経営者やその言っていることに乗っかる政治家のバカさ加減には呆れ果てる。
ワクチンパスポートの次は、シールでも貼らせるかね。自警団に石投させるかね。本当にコロナは戦争だ。五人組作って町内会で非国民をあぶり出す。戦争は国民の命を燃やし大企業が大儲けする。
医療に殺されない権利は何よりも大事だ。
私達は、公害訴訟や薬害で多くの犠牲を生みながら、長く裁判で戦い、メーカーの製造責任を問う判決を勝ち取ってきたのだ。
「薬害、公害」と言う行政・企業の経済活動の結果に「多額の賠償」を課すのは、開発を慎重に行うためだ。薬は発売させると数日でとんでもない金額が売り上げられる。だから、薬害があると知っていても発売する。
国は国民に「守る事を委託されている」はずなのに、その大事な責務を忘れている。専門家に「パンデミック」と脅かされて、大喜びである。
いまや、医学部系の大学の予算は製薬会社が握り、メディアは広告宣伝費がなければ成り立たない。そんな中で、隈本邦彦先生は大学の教授でありながら、私たちの味方だ(笑)。僕の娘がリレンザで死ぬところだった時(後述)に、色々と調べて、先生のことを知った。
先生のYou Tubeを見ると分かるが、恐ろしく明確にコロナの問題点を指摘している。特に、「副作用(副反応と言っていらっしゃるが、薬害と言いたいところだろう)」に関しての説明はわかりやすく、問題点がはっきりしている。実例として現実に起こったことをお話いただいているが、恐ろしい。
参議院の記録であるが、どこまで行政に伝わっているのだろうか。
コロナワクチンの副作用はこれから分かってくるだろう。
ニュースではコロナ感染の副作用で「だるさ」が多いからワクチンを打てと必死である。子供が死んだと大騒ぎして打たせようとしている。このワクチンは子供に対しての治験(副作用が有るかないかの慎重なテスト)が行われていない。
ゼロリスクなど求めていない
医者や製薬会社は、薬害の話になると「ゼロリスクを求める馬鹿」と言う目で見る。それは逆である。ゼロリスクで無いことを知っているから、もし起こった時は正当に保証するべきだと言っているのだ。
100万回に一回ならばそれが起こった人を救済するコストを含めておけばいい。接種後、1週間で亡くなった若い方は1000人を超えている。そしていずれも関係ないと厚生省はお墨付きを与えている。
あんたらは誰の味方なのだ?
そして、大学行っている息子がワクチンを接種して昨日は発熱した。死なないでよかった。
コロナ罹患した後の問題を研究するならば、ワクチンの副作用を探せ。発熱と死亡の間にはグラディエーションの様に症状のつながりがある。
熱が出るのは効いている証拠だなどと、よく言えたものだ。良薬は口に苦く、痛い注射ほど効果があるというなどという妄言である。昨今の分子標的型の医療においては、致命的な作用を起こしている証拠である。
医学が私達を助けていた時代ではなくなった。
先日なくなった僕の母のひとつ下の弟は64歳で風邪で病院に入院し、肺炎でなくなった。院内感染が大きく取り上げられる頃であった。僕の従兄弟の女の子は幼稚園の頃、盲腸の手術でなくなった。「人の行う医療」が完全でないことは分かる。思いもよらぬ事故も起こるだろう。しかし、私達は諦めなかった。家族が失われることは辛いことなのだ。20年前まで、医学は、私たちの味方であったのだ。
予防医学という錬金術は健康な「人間の恐怖」を餌にして医者に富を与える。検査値という何ら健康とは関係のない指標をアウトカム(効果)としているのだ。頓服程度のものならいいものが、このワクチンは人を殺す。
生活習慣病は僕のフィールドである(笑)。1997年以降予防医学は私達を殺しているのだ。そして「臨床と経営」が分離して、高度医療は「不死の命」という餌を使って金持ちを釣る。お前ら勝手にやっていてくれればいいのだがこっちまで迷惑する。
もはや、医学は金儲けの投資でしか無い。そして薬害訴訟というリスクが問題であったのだ。今回は相当いいことをしてくれた。
mRNAワクチンは身体の中でその地との細胞を破壊する。筋肉細胞でとどまっていればいいが、それがとどまらないから、身体の至る所で壊す。副作用も、一定のものとはならない。
医療行為は「もし」が存在しない。「もし打たなかったならば」コロナになって死んでいるところだった。と言われればそうですかというほかない。星占いを信じるならばラッキーカラー程度の話であるが、これは命に関わることなのだ。
遺伝子への影響はこれから長い時間をかけて分かってくるだろう。
もはや、国も専門家も信用など出来ない。
100年の時を経て田中正造翁の悲しそうな目が心に痛い
彼の目には、何が写っているだろうか。大学の初年度に彼の伝記を読んだことを思い出す。
薬害裁判において、問われるのは、副作用をメーカーが認識していたかである。認識していながら、販売したらそれは犯罪である。認可した国の責任も問われる。
しかし今回は、メーカーは免責される。当然、国も免責される。そもそも責任自身がない。
これから、何らかの形で裁判が行われるであろう。もし、何もなかった事にされたのならば、そのときは「カムカムタリバン」である。こんな国はテロで滅びるほかない。
もうこの国は金持ちのための草刈場である。
しかし、今回のコロナワクチンでは、メーカーは免責されたのだ。同様に国に国民が願う「守ってもらいたい」という「委託」を見事に裏切ってくれた。
忘れてはならない。予防医学というのは、健康な人から未来を奪う。ワクチンはその際たるっ例だ。少し調べるとそこらじゅうで子宮頸がんワクチンをうちましょうという言説を見ることができる。
恐ろしいことである。
隈本邦彦先生の事
このお話も素晴らしい。
僕は、食事にこそ医師のいらないピンコロ人生の秘訣があると思う。
医者なんぞに行ったら病気にされてしまう。検査値の異常を矯するよく効く薬は私たちの未来を辛いものにする。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。