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コロナ対策って、金になるから続けている。医療への信頼は崩壊している:パブリックの研究

医療崩壊と言うが、もう十分医療の「信頼」は崩壊している。PCR検査って一回2万円だから検査機関の良い売上げである。いずれコロナ税か消費税の値上げであろう。「パブリック」という巧妙な仕組みは広く薄く取り、金持ちをもっと金持ちにして、役人は合法的な収賄(「コロナボーナス」のでた業界はどこか考えれば分かる)を行う。

「陰謀論」というのは行政が正しいという権威に逆らう事

行政は医療の権威の言いなりに公共衛生を政策する。それは仕方がないが、明らかにおかしい権威にすがりつくのは「庶民(政策で利益を得ない人)」の理解を得ることが出来ない。

コロナ対策をいくら厳しくやっても効果がないというのは、守らないからではなく、そんな対策に意味がないからだ。酒を飲むのが悪いことだというピューリタン的な思い込みほど唾棄すべき物はない。令和の禁酒法はその他の薬物(覚醒剤等)を流行らせ、自殺を蔓延させている。飲み屋で酒のんでうさ晴らすのが禁止されたら部屋で一人で覚せい剤打つ他ない。問題は依存症とならねば生きてはいけないような社会が悪い。そしてそんな社会で儲ける連中がいる。

コロナ対策の裏側にはコロナが空気感染しないという前提で「エアゾル感染」などという謎の感染経路を思いついたところから始まっている。クルーズ船の一大イベント、タレントが亡くなったときの大げさな遺骨の搬送。あの頃に比べたら何たる気の緩みか。あの頃の専門家のミスリードが「ただの風邪」を「エボラ級の感染症」へとアップグレードしたのだ。

コロナは普通の風邪と同じ様に「治療方法」はないが、症状が出て重篤化して死亡する確率は低い。何よりも「病原」が何らかの致死的な物質を代謝しているのではない。コロナの重篤化は、難病や膠原病と同じく「自己免疫疾患」なのだ。

コロナはエボラや炭疽菌、O157といった人の代謝系を破壊する毒素を算出してはいないのだ。おそらくウイルスは細胞間の目線ジャーとしての意味があるのだ。昨今のウイルス学は細胞を単位として進化(適応)するためのメッセンジャーとウイルスを意味付けている。

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マスクが感染を止めるわけがない

マスク政策もこの感染に対しての対策としては意味がない。僕もマスクするが、リンチに合わないようにしているだけだ。しかし、アイツラが「コロナにはチョンマゲとお歯黒が効果ある」とか言い出さないだけ良かった。

一番の感染経路はセックスであろう。まずラブホテルを営業制限しないといけない。高級ホテルもまたしかり、不要不急のセックスは夫婦間でも禁止。

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自宅での死は私たちの末路なのだ

医療崩壊とか、「老人の自宅での死」を嬉々として煽るが、そもそも、「自宅というのが一人で孤独に居る場所」になってしまったことが問題なのである。

1980年代にサラリーマンという働き方が主流を占めるようになった。それ以前は、家庭が企業であり農家であった。介護も医療も教育も全て家庭というシェルターで完結していたのだ。

しかし、「核家族=女性の開放」という近視眼的な価値観の変化が大きな問題を生んだのだ。そして問題はそれに直面したときにしか見えてこない。「お一人様」などと「すかしたこと」言っていることの出来るのはお金持ちの方々だけである。

いずれにしても結婚していようが、どちらかが先に死ぬ。子供がいようがいまいが、一緒に住んで介護してくれることはない。施設に入って孤独に死ぬ他ないのだ。

今の問題は、施設に入るほどと知っていない独り身の老人が自室で苦しむという局面である。これだけ風邪が仕方あるまい。

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医療は家庭というシェルターの劣悪なコピーでしかない。

風邪を引いたら、別室でゆっくり休んで家族が見守っていた。温かいお粥を作って数日休んでいたものだ。医者と言っても近所に住んでいるおじさんで、せいぜい「頓服」程度の処方と痛いけど来ているかどうかもわからない注射ぐらいのものであったのだ。

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そして簡単に人は死んでいた時代である。しかし、信頼はされていた。なぜならば、先生はお隣さんで、家族とともに生きていたからだ。生まれたときから僕も診てくれた先生がいた。先生は僕を家族のように愛して、いたのだ。そこには信頼があった。

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外車に乗り、豪邸からクリニックに通う医師の時代

やがて、医療は金のなる木になっていく。ロビー活動でレセプトを自由に操り、『予防医学・早期治療・高度医療・臓器移植・不老不死』というフェイクな政策が金を集める。

よく効く薬はますます製薬会社を富ませ、医師は、薬の供給窓口と成り下がってしまう。

これから、医師は大変な商売になる。彼らの富の元は老人の年金とパブリックな「健康」という価値である。しかし、生活習慣病や難病・膠原病を見れば分かるが、彼らの対策は破壊的だ。検査値の異常を「病」とアオリ終ることのない投薬となる。「経管栄養・胃ろう・輸液」で管だらけにして、何度も身体にメスを入れて同じ様な手術を繰り返す。金があれば、臓器をとったり加えたりと大喜びだ。最後はミイラのようになった屍に「頑張った」と褒めてくれる。

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幸せな母の死、父を苦しめて殺した僕の後悔

母は、眠ったままに亡くなった。心不全の最初のアタックだったと思う。調べてみると、心不全は最初の発作があってから何度も同じ様な手術を繰り返して一年以内に死ぬという。これは、心臓を無理に補修して苦しめているということだ。母は組成されなくて幸せだったのだ。

もう父の分も必要なくなった。

僕は父を何度も病院に連れて行って苦しめた。父さん許して下さい。今でも辛い。

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尊厳死の宣言書

確か、この頃母はコロリ観音にお参りに行ったりしていたと思う。何かのMOOKで見つけた書式だったと思う。

残るは僕の分だ。妻にも書くように言ったが、署名前の原本がない(笑)。ネットに有るだろうなあ。みんな書いておくように。

健康診断は受けないように、早期発見と早期治療はいらぬ苦痛をプレゼントしてくれる。そんな人生が嫌なら、「幸運な病のレシピ」で生きるとよろし。

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医者はもっと文学を読んだ方が良い。自分がどう年老いていくのか想像が出来ないのだ。

毎食、素材から食事を作るがよろし。きっとピンピンコロリの人生がやてくる。

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母の一番上の姉はストレプトマイシン(結核の特効薬)が使われ始める直前に亡くなった。母の母は肋骨カリエス(結核菌が肋骨に巣をつくる)で長く入院した。母は小さい弟たちの面倒を見るために尋常小学校が最終学歴である。

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上左端結核でなくなった一番上の姉、上右端が母、下段右の祖母が亡くなった日に一番上の姉が自殺した。猫を抱くのはシベリアで抑留中に亡くなった長男。恐ろしく近い過去でありながら、遠い。

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賢治は結核でなくなった。賢治の最後の瞬間のことを中学の教科書で読んだ。賢治の母が体を拭いていた時に血を吐いてなくなったと聞く。家族は、その家庭というシェルターの内に死と向き合って生きていたのだ。行政は家族を「教育・介護・医療・政治」という形でコピーするが、それは劣悪であり僕らを苦しめる。医者なんぞ行ったら病気にされてしまう。

宮沢賢治の遺稿「眼にて言ふ」

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの嫩芽わかめと毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがつて湧くやうに
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
 
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄こんぱくなかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
 
わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです

「教祖の文学」坂口安吾より

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。