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「昆布巻」大好き、僕の昆布巻きが好き。

そろそろ、鮭のカマが店に並びだしている。この辺では、鮭は大変好まれる魚だ。皮から骨までみな食べられる。街中の魚屋さんには新巻鮭が吊るされたものである。もうこの風景は見ることはない。

この10年でものすごく変わった。多くの豆腐屋さんや魚屋さんが消えていった。魚国さんはまだやっているが、私達の食事はますます貧しくなっていく。

鮭のカマは美味しいのだが小さいので食べにくい。数年前までは昔ながらの作り方で作った昆布巻きが売っていたものだ。
今でもスーパーで売ってはいるが、食べたい味ではない。

スーパーで売っている昆布巻きは「でかくて、柔らかくて、味は良い」のだが、美味しくないのだ。昆布を上手に巻いて高温で熱して、美味しい出し汁につけた物なのであろう。
作るプロセスに「大量生産の工程」と「収益重視」が入り込むと食事の中の「生命(立体構造を維持したタンパク・脂質)が破壊される。
これが「まずさ」の秘密である(笑)。

不味いだけならまあ仕方がないが、そういう食事が「病因のない症状だけの病」を生んでいると僕は考えている。
僕の昆布巻きと売られている昆布巻きは成分的には違いはない。皿の上の材料も変わりない。しかし、決定的に違うのは「手間」である。
僕の昆布巻きは、4時間沸騰しない温度で煮るのである。
4−5年前までは地元の乾物屋さんで作っていたものだが、今はもうそのお店でも作るのをやめた。手に入らないならば自分で作るほかない。

午前中に魚の上手なスーパーに行って「鮭のカマ(200円)」と「巻昆布(350円×2)」を買ってきた。

巻きやすいように細かくきっていく。
巻昆布は鍋で水に浸して伸ばす。水はしてないでおいて煮付ける。
白子(鮭の精巣)も売っていたので買った。今日は焼きびたしにした。甘露煮も良いのだが、妻は好まない。
売り物でないから、形にはこだわらない。巻いている内に上手になっていく。
適当に味をつけて、煮る。鍋の中に何が入っているかではなく、どう作られたかが問題である。

昆布巻というと、「ヨウ素」や「カルシウム」が豊富だと訳知り顔で解説される。しかし、昆布が海の中でどうやって「ヨウ素」や「カルシウム」を濃縮したのだろうか?
昆布という生命は「細胞の膜タンパク」を通じて選択透過を行っている。
細胞膜に埋め込まれて細胞に「生命の要素を濃縮させるタンパク・脂質」こそが重要なのだ。
「タンパク・脂質の立体構造」は近年の最大の研究課題である。狂牛病からこちら、分子的な構成ではなく、立体構造にこそ重要な意味が有ると考えられている。

ミネラルは「それ単体」では吸収が悪いと言われ、キーレートされてサプリメントとして売られるが、その商品ではミネラルの不足は解消されない。
ミネラルが家を作る材料だとしたら「腕のいい大工」がいないのである。

膠原病やら難病、リュウマチに骨変形生活習慣病という薬で治る検査値の異常、やがて来る致命的な臓器の不全、管で繋がれて生きる死ぬまでの長い時間。僕はまっぴらである。

恐ろしく美味い。

私達が苦しむ身体の状態は「食事」が当たり前に表現されいるだけのものなのだ。治療(治ることなく、侵襲する)などしても仕方がない。

タンパク質は「熱」であっという間に破壊される。
立体構造が熱で破壊されてしまったタンパク質は「規格の狂ったネジ」のように身体にガタガタにする。
グルテンフリーなどというが、グルテンが壊しているのではない。食事でがたがたになった所にグルテンが挟まっているのだ。救急車が事故を起こさない、事故の現場で見られるからと言って原因ではない。コルステロールに対しての評価を思い出せばいい。

食事を「分子のレベルまで分解して吸収する」と考えている方々は愚か者である。昔、読んだ高名な医学の専門家の文章の内に「分子のレベル、もうすこし形のあるレベル」というような表現があった。アレルギーの症状は分子のレベルまで分解されていては困るからだろう。
何というご都合主義(笑)。
身体というコロニーは多種の細胞生命が集まったものなのである。
サンゴ礁をイメージすればいい。常に生きている細胞生命が流れ入り込みダンスする場所なのだ。

脳と言う操縦席に精神が座っている機械ではない。

これから数日で食べていく。贅沢な食事である。

随分昔に作っていた。干瓢で巻いて体裁を考えている(笑)。今は遠くに住んでいる息子と作っていた。

こちらはニシンで巻いておった。父に食べてもらおうと作ったが、今日ほど上手く出来なかった。

#昆布巻

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。