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メディアや詐欺師はこの哀れな生き物から金を吸い取ろうとヨイショしておる。こいつの金が「空」に消えていくのを見るのは愉快であるが、僕の生活は苦しいままである。

こういう奴らは人に働かせて、ピンはねして金持ちになったのを自分の能力と勘違いしてる。

しかし、ハイエナがコイツのズルして集めた金を食いちぎっていくのを見るのは憂鬱である。
なによりも、本当は、「地道に働いている社員の給料」に向かうべきものが、皆吸い上げられて、女優の股間や宇宙に消えていっているのであるからね。


資本主義というのは私的財産を保証している。しかし、いくら金持ちになってもそこにはリミットがつけられていない。そして問題は、その金が誰かを底辺に押し込んで得られる金なのだということである。
そしてこれほどまでに格差が広がったのは、この50年で起こった社会の変化なのである。
この格差の根底に何があったのかを知ることは重要である。一回目のオリンピックと先日のオリンピックの間の差を考えると面白い


安定した社会は貪欲を戒める仕掛けを持っていた。それが、宗教であり、民主主義であり、共産主義であった(この両者は今や同じである)。
しかしながら、ヒトは狡猾である。多くの血が流されて、作り上げられた制度を自分の都合の良いように噛み砕く。
上手く骨を抜いて、「貪欲に対しての戒め」をすり抜けた。

この哀れな「前澤友作」はクソである。しかし、表に出ないでもっと金持ちである連中はいるのだ。目立って喜んでいるのは、そういう方々のお仲間になれないからである(笑)。

見事にお猿さん顔である。問題は猿回しが見えないのである。このエテ公以上に儲けている連中がいるのだ。コイツの会社を買ってもっと利益が出ている会社があるのだ。お客さんに還るべき利益が消えていくのである。だから、「ニートや一生働きいている奴隷たちは」朝から晩まで働きながら「まともなもの」も残らないのだ。そして断舎離させられる。
時給で自分を切り売りしている「パートタイムスレーブ」という階層が生まれている。バラバラにされ共に戦うこともできずに施設で管だらけになって死ぬのだ。このエテ公はお前たちもああなれるんだよという看板である。なれないのはお前が悪いんだよということである。これが貧困の自己責任だ。すべての人が心安らかに生きて死ねる社会ではなくなったのだ。社会全体のオメラス化であると言えよう。

本当のクレイジーリッチというのは使う金より入ってくる金のほうが多い方方を言う。まあ、いずれどいつも「髑髏シャレコウベ」ではあるが。うーんと辛い目に合うが良い。スズメバチとかね。

この格差こそが「テロ」が起こる原因である。こういう社会はテロで滅びる他ないのだ。

そして、今に始まったことでもないし、これで終わるわけでもない。金持ちに生まれなかった自分お不運を嘆くがよろし。
類似品に「小室哲哉」「MCハマー」などがあります。

メディアはみんなこの「バカ助」からにじみ出る金に群がるアブラムシのようである。僕が見たサイトの中で、このバカ助を批判(嫌いだと言っている)しているのは元木昌彦さんだけである(笑)。

問題は、私たちの社会はこういう連中で満ち溢れているということである。僕だって、宝くじあたったら、少しは贅沢をしたい。軽自動車ではない自動車を買いたい。若い女と結婚して、財産を餌に「ネットリ」と介護してもらいたい。小1時間してもらいたい。


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。