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アレルギーとは何か(3)、ポテサラ、人参のチリチリ、マフィン、チョコ

 ココまでのまとめ。「柑橘・ブドウ」はカユミが出る。柑橘は左足の腿、ブドウは右足の踝の少し下、「牛乳」は即座に下痢、ヨーグルトも悪い。バナナは大丈夫。玉ねぎ入りのポテサラはゴロゴロ言うが、下痢の少し手前で頑張ってくれる。
ウドンに天ぷらは悪かった。冷たくてダメだったのかもしれない。

1年前まではゴロゴロもカユカユも何もなかった。
とは言っても僕は果物を食べる人ではなかった。大きな変化はりんごを食べるようになり体重が減った体験である。

唐突に呼吸ができなくなる。これは不定期。体重が120kgだった時にも起こらなかった。今は100kgになった。4月の時点で85kg程度まで痩せていたので僅かな時間で15kg増えた。足の浮腫と腰回りのコラーゲンぽいベルト状の体重である。

顔の2箇所が痒い。食事をするとダラダラと汗が出て、収まると痒い。右左の目の下のハズレの吹き出物の場所である。ここ暫くは左腕の内側の吹き出物の部分である。
アレルギー的な体質ではなかったのが、飛んでもなく悪くなった。何を食べても平気な人間だったというのに酷く悪い。

酒と煙草を欲しくなくなった。これは驚いた。ビールも飲みたくない。脳が快楽物質を求めて依存が生まれるというのは違っているのではないかと思っている。身体の内に生きている「蟲」が求めているから嗜好は生まれる。

人の商売のじゃまをする気はないが、「脳の快楽物質を見つけて大喜びしている大学の先生方」には世界を解き苦しみを解決することは出来ない。


腿の吹出物は少し良い。左の腿の下から体液が漏れる。これは気持ち悪い。気がつくと床に体液が溜まっている。透明な血が出ているのだ。最初はびっくりしたが多分マユのオシッコではない(笑)。

透明な血である。
痛みも痒みもない。
腿の表面から体液がにじみ出る。
たゆまなく汗のように出る。
腿の上の方はきれいになりつつある。
8/24のひどかった時、痒くて血が出てきた。
22-23日もひどかった。

身体は食事と皮膚粘膜の面の関数である。

「政治的に正しい医学」は固定的な答えの出る単純な方程式である。一度アレルギーになったらもう一生治らないと言うのは、身体を工場でできた機械のように考えている。
身体というコロニーにどんな「蟲」が生きて代謝を繰り返すかによって異なった姿になる。母は僕を産んだ時に牡蠣を食べれなくなったが、亡くなる直前にはそんな事があったかなどということは忘れていた。
身体というコロニーは食物連鎖という長い道のりの終着ではないのだ。途中駅でしかない。輪廻転生という宗教的洞察こそが生命の姿を表しているのだ。

自然は、複雑系である。同じものを食べても直前直後に何があったかで答えは同じにはならない。
名医と迷医の違いは、身体という複雑系の「因果」をどこに見るかによるのであろう。娘がリレンザで殺されかかった時に医師は僕が前日の夜に起こったことを話した時に「リレンザには副作用はない」と言い放った。ブログに事の経緯を書いたのだが、コメント欄にインフルエンザ脳症だと書き込まれているのには驚いた。
さぞかし頭のよろしいお医者様であったであろうや。


今日は足が随分いい。

変わっていく身体の受け入れるものとダメなものを注意深く探していく。
単純に思い込んで決めつけてはならない。
今の僕の身体には、「果物」がとにかく悪いようである。

お昼ごはん。
娘のポテサラが美味しいのである。

冷凍の牛丼をレンジして食べた。
少ししたら、猛烈な下痢である。
多分、冷凍パックの牛丼であろう。味に違和感があった。
あんなに好きだったのになあ(笑)。

朝は、ポテサラを食べた。
ココでは何も起こらなかったので、昼のトラブルからポテサラは抜けることができる。
人参は素材から最低の調味料で妻が作ってくれた。美味しい。

人参のチリチリ、ポテサラ、マフィンにチーズを載せて焼く。
食パンにポテサラもいいな。
昼は玄米を食うことにしよう。
強烈であった。
やばい味である。
嗜好品はキャピタリストに富を与える。
娘と妻がドナッツを買ってきてくれた。
僕はハニーチェロが好きである。
糖質の塊であるが、勘弁していただくことにしている。
お盆だしな。
夜は味噌汁にかっぱ巻きといなり寿司。

2023/08/27


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。