マユのご飯は鍋で作り皆で食べる。昨日から、ますます浮腫的である
マユのご飯は鍋で作り、家族で食べる。僕が担当していた時は、別々に作っていたのであるが、妻は一緒に作る。考えもしなかった。
僕が死んだらどうしようか(マユのご飯がドッグフードに戻るのか)と思いながら不憫であったのだが、安心である。
そして、生命にあふれる鍋は家族の健康を守る。
人を助けようと思わなければ自分も助けては貰えない。
しかし、困ったものである。床に落ちた洗濯ばさみを踏んで壊したようであった。
何かの因果の結果が今であるとするならば、それもまたいたしかたない。
食事の問題は相変わらずである。牛乳はダメになったようである。
それも致し方ない。
アイスは好きである。これもまた致し方ない。
コンビニの蕎麦をおねだりした。
夜は妻が帰ってくるのを待って食べた。
みんな貧乏が悪い。
2023/09/01
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。