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マユのご飯は鍋で作り皆で食べる。昨日から、ますます浮腫的である

マユのご飯は鍋で作り、家族で食べる。僕が担当していた時は、別々に作っていたのであるが、妻は一緒に作る。考えもしなかった。

今では、すっかりマユのご飯は妻が作る。


僕が死んだらどうしようか(マユのご飯がドッグフードに戻るのか)と思いながら不憫であったのだが、安心である。
そして、生命にあふれる鍋は家族の健康を守る。
人を助けようと思わなければ自分も助けては貰えない。


指がバッチリ切れていた。床に血がたれて追った

しかし、困ったものである。床に落ちた洗濯ばさみを踏んで壊したようであった。

何かの因果の結果が今であるとするならば、それもまたいたしかたない。


久しぶりに卵を焼いた。

食事の問題は相変わらずである。牛乳はダメになったようである。
それも致し方ない。

スプーン1つ食べて満足である。
年を取ったものだ。

アイスは好きである。これもまた致し方ない。


コンビニの蕎麦をおねだりした。
夜は妻が帰ってくるのを待って食べた。

汁は娘が作ってくれた。カボチャが美味しい。
顆粒だしを入れなくなっってくれたので嬉しい。

素材の美味しさは素材からしか見つけられない。
コンビニのカレーパンってドウシテ旨いのだろうか
コンビニの蕎麦は汁が美味しい。
昔は、麺をほぐす液体がついていたものであるがなあ。
入れ物も、チョッと飾り気があった。
要らぬコストは掛けぬが一番なのであろう。
独占は世界を単純化する。

みんな貧乏が悪い。

2023/09/01

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。