近藤誠さんがお亡くなりになった。ピンコロの素晴らしい人生の終わり方。
そろそろ、同年代の友人もガンになったという話を聞くようになった。少し年上の方々は相当がガン治療で苦しんでいるとよく聞く。
ガンは「生活習慣病」と言えるのではないかと思い出したのは2017年当時であろうか。
僕の定義では、「生活習慣病と呼ばれる」の一部である。生活(食事)の内に原因があり現れ方は人それぞれに違った現れ方をする。
そして、その将来にやってくる「病因」のない症状だけの「病」が始まるのだ。その症状が致命的な臓器組織の場合は寿命だと考えたほうがいい。
そうでないならば何とも無いように人生は進む。
これが「がんもどき理論」である。
確かに、彼らの言うことは正しいかもしれない。しかし、問題は患者や家族の「意思」を尊重しないことである。
確かに治療を始める前に「やるかやらないか」の選択はさせる。しかし、その治療がうまくいった場合のみの情報だけが強調されて伝えられる。
一部には副作用があるとは言われるだろうが、どんない苦しいかは治療を始めなければわからない。
5年以内に「死ぬ」のと「治療」どちらがいいかとき聞かれたら治療を選ばないためにはよほどの決心がいる。
僕の知り合いの方の夫さんは発病して治療、数年後に再発したが、結局二回目の治療はしなかった。どうしていらっしゃるだろうか。
TVやメディアでは、有名人の例が引かれる。マスコミというのは金もらって詐欺の片棒をかつぐ。
本当だと信じ込ませるのが詐欺の入り口。
騙されたほうが悪いと感じて、諦める。ガン治療ではもう遅いのだが。
近藤先生に感謝
僕は2015年に眼科医に失明を宣告された。あのときに、クソくらえと思い食事で人生をもう一回生きようと思えたのは近藤先生のおかげである。
言葉にならないくらい感謝している。
医療はメディカルキャピタリスト(製薬会社・病院経営者)に富を与え、臨床の医師・看護師、そして患者と家族に終わり無い苦痛を与える。
近藤誠さんは「ガン治療が富を生むという時代」のはじまりに違う道を選んだ。
旺盛な著作でがん治療の問題を提示続けた。大きく読者からの反響はあった。そして近藤先生も変わり続けていった。
一番の問題は患者が権威の言うことを丸呑みにすることだと先生も気がついていた。
「近藤誠」の言うことも信じてはならないという。素晴らしいお話である。
「患者」の気づきこそが重要なのである。自分自身の問題として病と向き合うことこそが重要である。
薬や治療に関して徹底的に学び、信じる事が出来るか考えることにしている。
がん検診と健康診断は「症状」が出る前に治療を始める。
妻の父はガンで亡くなった事をいつも思い出す。サメの軟骨やら、聞いたことのないサプリ、愚かだと笑ってはならない、家族は必死である。
ガンで家族を失った人は辛い。しかし、治療も辛いのである。選ぶのは、家族の気持ちである。
永遠の命など無い。何処かであちらに行かねばならない。ピンコロに人生の終わりが迎える食事とはなにかを考えている。
いずれ僕も家族とは分かれる時が来る。
母はコタツで寝たまま行けた。
父は僕が愚かだったから、何度も病院に連れて行って衰弱して死んだ。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。