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【英語でデザイン】デザインシンキングは、包括的デザインの真逆ではないか?

(すみません。インフルでダウンしてました。が、長いので本文行きます。)
当連載の楽しみ方
・あくまでもこれは英文記事の引用と考察です
デザインの英語での議論を通して、デザイン&英語の双方の学習興味を刺激する
ブラウザを二つ並べて原文とこの考察をみてみる
詳細翻訳は自分でして、デザインと英語に勉強にしてみる。
毎週金曜アップぐらいを目標にします
 ※筆者の英語力はミドル級←

今回の記事『Design thinking is the opposite of inclusive design』

記事は、こちら
難易度2: ☆☆★★★
※google翻訳にぶち込む、または、わからないの全部翻訳するなど力技でいける範囲
※英語使いは2分で読めるとのこと


まずタイトルには二つの重要単語
があります。

デザインシンキング(Design Thinking)
経営層にデザインの考え方を導入することで、イノヴェーションを加速させるような発想。世界の経営者を魅了
し続けている。

◆インクルーシブ(包括的)デザイン(Inclusive Design)
日本でいうユニバーサルデザインより少し広義(?)で、障がいを持つ方だけでなく性別、国籍、宗教、文化などもフォローすることを目的としたデザイン
です。

【あらすじ】
デザインシンキングは、デザインが経営に滑り込むための言葉として機能したが、同時に真に意味があると思われる包括的デザインの実験の場も失われることになる危惧がある。また、デザイナーはユーザーを向くと言いながら結局ペインなど定義を決めているのはデザイナーであり、人の上にデザイナーの特権を作った。その弱点を埋めるためのinterpretive engagementなるものを提唱したい
※包括的デザインってあんまり聞いたことないですが、熱いんですかね?
※interpretive engagementなるものは、新しいみたいでちょっとよくわらないです。

【引用と考察①】
design thinking only serves to uphold the status quo
(訳してみてね)
—-
考察
日本では、現在、デザインシンキングを祖とするようなデザイン経営という言葉があったりしますが、そのほとんどはデザインの数字的貢献、またはその爆発力、イノベーション力への期待です。しかしそうではないのでは?と論じています
これは、多くの日本のデザイナー、経営にとっては驚きではないでしょうか?なぜなら期待と真逆のことを言っているからです。


【引用と考察②】
designer is supposed to listen to users and understand their perspective, it is still the designer who is deciding what elements of the users’ experience are relevant.
(訳してみてね)
—-
考察
結局決めてるのはデザイナーだろと言われれば、そうなのですが、その議論自体がちょっと徳が高すぎる話に聞こえますね。
実際、学術の場や専門の場の先端では街よりも何個も話題が先に進んでおり、その実用化までは何段階もいります。まずは責任を取れるデザイナーが自分のビジネスにおいて、ユーザーに関連する項目を決めるなら、他の人がどうこう言えることでもないかなとも思います。
そして、メソッドには絶対に思考・実行した実例が必要で、それが十分でない段階で、あれだこれだといっても机から出ることが難しくなる一方かなと思います。


【考察・感想まとめ】
私の持っている疑問と一致するところは、『デザインシンキングの排他性』というところでした。
私は、優れたデザインスキームであるなら万人が簡単に使用でき、その成果もクリアにされているべきと思っています
日々新しい単語・手法が出てきて、これが素晴らしい、これが本物だというのはまあいいのですが、問題はその新しい手法が実際に機能するかを試すとなるとどうしても多くの事例が入ります。
デザインシンキングには歴史があるので、本当に優れているのであれば、使う会社や誰もがその成果を知っていてもおかしくなかったわけです。

この記事と共感しかねるのは、デザイナーがユーザーのペインを決めることや経営に入り込むための特権であるというところでした。
まあ、それはどの業界にもあるし、結局責任を取ってる人間がそうするというのであれば、学術系がとやかくいうことでもないのでは?という認識でした。

読み物として短かったし、単語は刺激的(笑)なので、面白かったですね。

ということでまた次回
:)