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「演劇の役者を描く」劇団大人の麦茶「いやですだめですいけません」ポスター制作を終えて

(画像 はじめにフチをトリミングするか迷った)
今回の大人の麦茶「いやですだめですいけません」はこの劇団でぼくが描かせて頂いたポスター第3号だ。話は遡ること2014年、イラストレーターとして、いや、剣道家としても親同然の存在(勝手に慕っているだけだけど)だった安西水丸先生が亡くなった。ぼくは苦手だった人間の絵を描くことに決めた。一人や二人ではボロが出るから沢山描いていこうと思い、大好きな大衆酒場、喫茶店、新宿ゴールデン街や二丁目というディープな場所も描いていった。ぼくの絵は受け入れられないだろうと半ば諦めていた公募に応募すると、群衆画は立て続けに入選した。
人の顔を次々と描いていく中で気づいたことがある。好きそうだと思ったら嫌な雰囲気だったり、いいと思って行ってみたら嫌いな奴らしかいない、そんな場所で印象を受けた人が、個性的なキャラクターという形で自分の絵を光らせてくれたということだった。ぼくはそのときに、他の誰でもない自分の目(視点=まなざし)を持った。嫌な奴らを描きまくる。描いたら愛らしくなり、仲間になっていく。入選したある公募の審査員は、寺山修司さんと組んで宣伝美術を担当した宇野亜喜良さんだった。演劇のポスターも描いてみたいと思った。そんなとき、大人の麦茶、塩田泰造さんが声をかけてくれた。

「大人の麦茶」では、似顔絵を描くことになっている。話は出来上がっていない、作り始めのときにプロットを聞いて、役者の写真を見たり、色々調べてから書く。新宿の退廃的なビルの中で呑んでいたら、ある映画監督やプロデューサーがいて、それが塩田さんの昔の知り合いだったりして、若かりし頃の印象を聞いたりした。そこにいた面識ない役者、後にぼくが大好きなドラマに出てきたり。ああなんてちぐはぐな知り合う順序なんだ、とか。色んな話が絡み合って、どう整理しようかなんて、なんだか探偵みたいな気分になる。塩田さんはぼくの絵から連想してくれることもあるそうだ。描いたときとは全く別人の役に変わっていることもある。
まず役者達とにらめっこの後、話を想像して空想で演じてみたりする。むろん身体は動かさない。ペンを握ったまま、10秒くらいのものだ。やりなおしたりしながら一人一人描いたらあとは実際に幕が上がるのを楽しみに待つだけ。 以下は観劇後に描いた似顔絵と、ぼくの勝手な感想。

佐藤大介さん、暗い話に光を当てていた。イラストレーションは人柄だと言った先生の言葉からすると、好人物であることが演技にもひたすら出ている。嫌なことを顔に出さず、嫌がることを進んでやる奴だ。劇中では少しだけ明るさが消えるところもあって、リアルだと思った。大概いい人っていうのは本当は嫌な奴なんだけど、大ちゃんは違う。聞けば末弟なんだとか。あまりに好人物なので、これからはあまり我慢しすぎず思うがままに突き進み、悪役を演じて欲しいなんて考えてみてしまう。

並木秀介さん、なみちょうさんが演じる悪役が大好きだ。どことなく悪くなりきれないそんな空気が。今回は真面目で純粋な一面を演じられていて意外だった。ポスターを描くときに、なみちょうさんはいつも軸になってくれる。いつもどことなくいやみな奴、みたいな顔に描く。そんな風に描きやすい。本当に嫌いなタイプだと逆にかわいくなったりするけど、憎たらしさを受け止める度量がある。影のあるディープな一面を描いて絵になる人。

水島麻理奈さんとは2度目のお仕事。圧倒的にパワーが増していた。源はなんだろう、食い気か、恋か、見抜けず未熟だった。次はもっとパンチを込めて描く。この絵は観劇後だから雰囲気出ています。同席した歌人枡野浩一氏が「一番もてている役じゃないか」と。さすが観劇のプロは見る角度が違う。枡野さんは女子みたいな見方ができる。ぼくもそうなりたい。麻理奈さんから光が出ていた。

宮原将護氏。氏と呼びたくなるオーラ。表面にほとばしる優しさには、なんか隠しているんじゃないかと思うことがあって、武道家のぼくは世が世なら背中は向けないだろう。ふとした瞬間なのだけど。そういう掴み所のない謎めいた男である。いや、もちろんそうでなくてはならないのだけど。カードをまだまだ何枚か隠し持っていそう。ぼくもそうなりたいんだけれど。すぐに持ち駒を出してしまう。

ヨージさん。無口な職人肌の人。絵になる人。描き手としてはありがたい、すでに強烈なキャラクターがあるから。本当は出演しないのだけど、生演奏回が数回。そんなことをしたら舞台を全部食ってしまいそう。サングラスでほとばしるオーラを抑えて何とか。いや、この絵だけで充分だ。かっこよかったとだけ言えばいい。

浅田光さん。いつも同じでいつも違うという演技の人。舞台の上では名前の通り始めは浅く入り次第に深くなるように華やぐような。描くたびに毎回違う絵、違う顔になる。このお仕事では初回から一緒で3回目。同期というか。一年に一度お会いするたびに何かが変わってる。一年で何があったのだろう。やはり色恋なのだろう。

なるせこおさん。実は西荻窪ではかつて絵の展示のことでニアミスしていた。お会いしていないのだが電話のやりとりがあった。大ベテランの方なのに、なんとも愉快で、若々しく、優しくて友人のように接してくれる人。写真よりかっこよくて素敵だったなあ。決して技術を誇るでも語るでもないのに表情がいつのまにか豹変するという間を持っている。凄みを感じました。今度西荻窪の稽古場におじゃましますね。

岩田有弘さん。この方はいつも変わらない、役の側からやって来るような印象の人です。透明ベンツ、事務用椅子しかないのがおかしかったのと、絶妙な音響との呼吸で実際にベンツが見えるような。一人二役、これもおかしくて、でも違和感なく充分見れました。成田さんどうなっていったのか、まだ先が知りたい。舞台上から真っ向勝負を仕掛けているのに、いつも肩の力が抜けているなあ。決闘をするなら、こういう人に助っ人を頼むだろう。

五十嵐和弘さん。関ヶ原の合戦でも響きわたりそうな声。舞台の軸になっていたのは想像通り。憎たらしそうに描きました。いつものなみちょうさんのポジションかな。イラストレーションとしてはこの上なくありがたいキャラクターでしたが、多分劇団から見ても同じ。今回の舞台の影の主役かも。この人本当に悪い人なのかな、そうであって欲しい。いやきっとそうだ。

塩田泰造さん。お疲れ様でした。なんだか今回はまた違った おとむぎ さんでしたね。色々な意味で。感動しました。 しかし大変でしたね。塩田さん、似顔絵とはいえ毎回役者並に目立ってますよ。

今川宇宙さん。イラストレーションも描く人ということだし、古い友人のH田がファンだというから上手いこと描けるかちょっとだけ緊張しました。アカペラで歌う声もいい。彼女は目の前で実際に絵を沢山描いていたのだけれど「絵を描きたい人」というよりは「絵を描くべき人」。作った演技ではなく、地力を感じる佇まいで舞台に奥行きを与えている印象でした。ルックスとは裏腹にスパッと斬られそうな、いつまでも老けない水戸黄門の女忍者みたいな役者になるんじゃないだろうか。

池田稔さん。枡野浩一氏の短歌コンテストでは隠し飛び道具の文才を発揮。今回はさまざまなアクシデントにより座長として新境地を開かれたようです。ポスター上居てくれるととても安心できる人。舞台の上ではなおさらなんだろうな。個人的にはこの人の声とか話し方が好きなんだよなあ。こういう割烹の親父の役なんか、本当に美味そうに見えるんです。劇中に出てくる「ねぎま鍋」あんまり興味のない食べ物だったんだけど、打ち上げで出てきたらびっくりするほど美味かった。トロなのかなあ。煮えてるのにコラーゲンが凄い。下北にねぎま鍋食べに行こうかな。

神保有輝美さん。よく学生時代、安西水丸師にニヤリとされながら「目黒は女知らないからな」と言われた。それは亡くなる少し前の2012年にも。だからぼくは13年間くらいは言われ続けて来た。そして今、まだ「女知らない」なあ。「分かっていない」という意味です。つまり神保さんは色んな角度から見るともっと描けたのだなあ、と。そういう深みのある演技でした。ただかわいいだけじゃない。やっぱり女性は怖い。塩田さんは「女を知ってる」んだなあ。個人的には、意地悪で泣き叫びながら刺したりするような役も見てみたい。

演劇の舞台って、ある時期に毎日のように顔を合わせて稽古して、千秋楽が終わると二度と会わないこともある、一期一会の世界なんだろうな、としみじみします。イラストレーションなんか、実は一度も会わないことの方が多い。孤独に一方的に観察者となって、お客さんの反応もわからない、そんな仕事です。だから舞台の方々が少し羨ましいけれど、いやいや自分は立て籠もって描いていようと思う。たまにこういう新鮮な空気の人達と触れ合いながら。絵を描く仕事をしながらようやく見つけた描き方は、こういう似顔絵なんかのときも、「呼吸で描く」というのが一番いいと思う。あれこれいじらず、はじめに浮かんだ印象を受け入れて描く。多少似ていなくたっていい。自分自身が演じきれていれば。今回は三度失敗した。まだまだ未熟、精進あるのみ。

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