“不満”と“らしさ”と“切実さ” 〜 映画『メッセージ』〜



 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『メッセージ』を観て最初に感じたのは、“不満”だ。本作のストーリーは次のようなもの。ある日、世界各地に巨大な宇宙船が出現した。その船に乗る宇宙人と対話するため軍に雇われた言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は、宇宙人たちの言語を解読しようと奮闘するが、その裏では宇宙船への攻撃準備が着実に進んでいく...。いわば本作は、SF映画などでよく見られるファーストコンタクトものだ。
 テッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』を原作とする本作だが、この小説の特色であるフェルマーの原理といった幾何光学の要素などは見事に省かれている。映画という枠で幾何光学の複雑さを描く難しさは理解できるが、こうした決断が冒頭の前フリを単純なものにしてしまった印象は否めない。


 次に感じたのは、“らしい”だ。ヴィルヌーヴといえば、風景に荘厳な雰囲気をあたえることが多い。たとえば、ジェイク・ギレンホール主演の『複製された男』(2014)を思いだしてほしい。この映画でヴィルヌーヴは、高い建物がそびえ立つ都市の無機質な空気を映しだし、思わずそわそわしてしまう緊張感を観客にもたらした。それは本作でも同様で、宇宙船が不気味に佇む野原という構図は、私たちに緊張感をもたらす。このあたりはヴィルヌーヴの作家性といえる側面であり、文字通りの“らしさ”が出ている。


 ここまで書いてきた“不満”と“らしさ”を経て筆者が読み取ったのは、本作に込められた“切実さ”だ。先述したように、本作はルイーズと宇宙人の対話が基調となっている。それを前面に出すためとはいえ、幾何光学の要素を省いたことに不満があるのも先に書いた通りだ。ただ、なぜ対話を前面に出したのだろう?という観点から考えると、そこにはヴィルヌーヴの切実な想いが見えてくる。
 ヴィルヌーヴが生まれたカナダのケベック州は、カナダにある都市で唯一フランス語だけを公用語としながらも、さまざまな国から移り住んできた人たちで構成される多文化な場所としても知られている。また、この多文化性を形成するまでに、多くの出来事に見舞われたのもケベックの特徴だ。有名なところでは、福祉国家的性質が強い現在のケベックを生むキッカケになった、1960年代の“静かなる革命”だろう。一方で、1970年10月にはケベック解放戦線によるテロが起きるなど、暴力にも晒された。


 このようなケベックの歴史がヴィルヌーヴの背景にあり、その背景が対話という本作の特徴に繋がったのではないか。対話に無理解なウェバー大佐(フォレスト・ウィテカー)には言語の解析が遅いと叱責され、さらには軍の武力行使というプレッシャーを受けながらも、ルイーズは対話に務め宇宙人の言語を理解しようとする。このことが私たちに教えてくれるのは、話し合えばわかるという生易しいものではない。暴力や排斥の意志がすぐ隣にあるなかで対話を選ぶということは、覚悟が伴うのだと示している。そこにはどうしても、ケベックの歴史を重ねてしまう。
 しかし重要なのは、それでも対話を選んだルイーズの決意だ。そしてこの決意は未来のヴィジョンを見ることに繋がる。それが何なのかは劇場で観てほしいという決まり文句で処理するとして、そのうえで言えるのは、ヴィルヌーヴにそうした映画を作ろうと思わせる世界に私たちは生きているということだ。言うなれば本作は、そんな世界を少しでも良い方向に傾けるための方法が込められた、私たちへのメッセージである。となれば、そう思わせる世界の問題はなんだ?と考えなければいけないが、ここでは書かない。日々飛び交う膨大な数のニュースに答えはあるし、それを自ら動いて見つけてほしいというのも、本作のメッセージだからだ。とはいえ、見つける方法はすでに示されている。ルイーズを見ればわかるはずだ。

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