気づきすぎたふたりが見せる、切実な反抗 〜 ドラマ『このサイテーな世界の終わり』 〜



 今年もネットフリックスは、私たちを楽しませてくれそうです。今月5日に配信されたドラマ、『このサイテーな世界の終わり』が非常に面白かった。チャールズ・フォースマンのコミックが原作であるこのドラマは、去年10月にイギリスのチャンネル4でいち早く放送され、それ以外の国はネットフリックスを通して観れるという形式。

 本作の中心人物は、殺人願望を持つ自称サイコパスのジェイムス(アレックス・ロウザー)と、複雑な家庭環境に悩むアリッサ(ジェシカ・バーデン)の男女ふたり。ある日ふたりは、クソみたいな現実から逃れるため、家出してドライヴをする。その道中で様々なトラブルに巻き込まれ、右往左往する様が本作の物語を進めるエンジンだ。ジャンルでいえばロード・ムーヴィーで、内容は『地獄の逃避行』や『トゥルー・ロマンス』を想起させますが、筆者は刺々しい青春物語として楽しみました。

 なかでも微笑ましいのが、ふたりの関係性。一応ジェイムスは、アリッサを殺すために彼女と付き合っているという体だけれど、アリッサと過ごす時間にまんざらでもない心地よさを感じる描写があったりと、かなり初々しい。一方のアリッサも、大人びた価値観や衝動的な行動でジェイムスを振りまわしながらも、幼稚な言動を隠さない。いわばふたりは、大人になる一歩手前の状態と言えますが、その状態だからこそ生じる“心の揺らぎ”に思わずニンマリしてしまう。社会に適応しているつもりでも、やはりどこか不満や居心地の悪さを抱いている人であるほど、ふたりの立ち居振る舞いに心が揺さぶられるでしょう。

 その不満や居心地の悪さにハッキリ抵抗しているのも、ふたりの魅力です。すべての行動がどこか幼く、モラトリアムをこじらせているだけに見えるかもしれないけれど、直情的な言動で抵抗するふたりの姿を嘲笑うことなど、筆者にはできない。不満や居心地の悪さを黙認することで大人を装う人と、たとえ幼いと見られても世界の矛盾やおかしさを正直に体現する人、はたしてどちらが多くの人に励ましをあたえられるか?と考えるとなおさらだ。黙認は現状維持に過ぎず、変化をもたらせないのだから。ふたりは曲がりなりにも黙認を良しとせず、なんとか現実を変えようとする。その姿は切実な想いを漂わせています。

 そんなふたりを強いて形容すれば、“気づきすぎる人”かもしれません。ほとんどの人が無視する、それでいて心を蝕んでしまう感情の機微に、ふたりは敏感に反応してしまう。これが生きづらさをもたらし、家出してドライヴという行動に繋がってしまうのですが、そこにはふたりなりの論理性がうかがえる。そう考えるとふたりは、特別だと思いたいだけの少年少女なんかではなく、まっとうに世界と向きあう知性を持った人間と言える。少なくとも筆者には、そう見えました。だからこそ信じたい。最終話のラストで鳴り響く銃声が、ようやく希望を見つけたふたりに捧げられた祝福の号砲であると。

サポートよろしくお願いいたします。