ポスト・パンクの意匠が際立つ問題作 〜 Arcade Fire『Everything Now』〜



 アーケイド・ファイアは、5作目となるアルバム『Everything Now』のプロモーションで、かなり凝ったことをした。Everything Now Coという架空の企業をでっちあげ、Everythingnow.comなるサイトも作ってしまったのだ。このサイトは、本作に関する情報を公開する目的で作られたそうだが、その情報を伝えるためのポップアップが無造作に設置されており、お世辞にもリスナーに優しいサイトとは言えない。さらに彼らは、EverythingNowCoというツイッターアカウントを作り、嘘か誠か判然としないさまざまなタイアップ商品の情報を流している。これらのプロモーションは、フェイク・ニュースやポスト・トゥルースといった言葉が注目され、情報過多ゆえに本当と嘘の区別がつかなくなっている現代社会を風刺した、本作のコンセプトと連動しているのは言うまでもないだろう。

 もちろん、本作に込められた歌も、現代社会に対する批判精神で満ちている。〈すべてを今〉と歌われる表題曲は、過剰な消費主義を皮肉る内容と解釈できる歌だし、〈神様 僕を有名にしてください〉という一節が印象的な「Creature Comfort」は、“いいね”や“再生回数”を中毒的に求める人たちであふれる現在を反映している。彼ら自身、批評面のみならず商業面でも成功を収めたバンドであるが、そうした状況に放り込まれて混乱している様を描いたのが本作だ。

 そうした混乱は、多彩さという形でサウンド面にも表れている。ザ・ノーランズに通じる軽快なバブルガム・ディスコの表題曲、前作『Reflektor』のディスコ・パンクな作風を受け継いだ「Signs Of Life」、レゲエをフィーチャーした「Chemistry」、EBMを彷彿させる無機質なビートに大仰なヴォーカルとコーラスが乗る「Creature Comfort」など、曲調は見事にバラバラだ。
 とはいえ、この多彩さは前作の方向性を発展させたものであり、驚きの変化!というわけではない。サード・アルバム『The Suburbs』までの彼らは、アメリカのルーツ音楽を掘りさげるなど、“アメリカ”の色が濃かった。しかし、ハイチの文化に影響を受けた前作『Reflektor』では、“アメリカ”とはかけ離れたエスニックなサウンドを志向した。そんな前作の延長線上に本作のサウンドはある。

 こうして書いてみると、本作に新しさや革新性を求めるのは、少々無理筋なのがわかる。もともと彼らは、新しさや革新性で勝負するバンドではない。作品ごとに時代と向き合い、そのなかで獲得した批評性を武器に活動してきたバンドである。
 先に書いた架空の企業という手法も、決して目新しいものではない。たとえば、セックス・ピストルズを脱退した直後にジョン・ライドンは、PiL(Public Image Ltd)という“会社(Ltd)”を立ちあげている。このコンセプトは、反体制的なパンクの象徴だったセックス・ピストルズで歌っていたジョンだからこそ、可能な皮肉だ。さらに「Public Image」の7インチでは、タブロイド新聞を模したスリーヴが用いられるなど、マルチメディア的な表現においてもPiLは先駆者だった。音楽だけでなく、ヴィジュアルやプロモーションなども含めたすべてが、PiLの表現なのだ。こうしたPiLの姿勢は、本作にそのまま当てはまる。言ってしまえば、本作とそれにまつわる諸要素は、ポスト・パンクの影響を多分に感じさせる。

 このように書いていけば、本作は何ひとつ新しさがない駄作である、と貶めることも可能だ。実際、本作は新しさを前面に出していない。サウンドも、プロモーションも、架空の企業も、過去のアーティストたちが築きあげてきた遺産の表面をすくい取ったものだと言える。だが、それこそが彼らの狙いだとしたら、どうだろう? たいして吟味もせず、ただ反射的に情報を受け取り、拡散してしまう多くの人々の“浅さ”を表現しているとしたら...。筆者は諸手を挙げて絶賛するだろう。

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