凛々しき孤高 〜 エコー・アンド・ザ・バニーメン 〜


 この記事は、共著で出版予定だった、とある本のために書いた原稿を元に加筆/修正したものです。ニュースにもなっていて、探せばわかってしまうので書名を明かすと、『POST PUNK 1978-1982 世界を拡張した5年間』でございます。
 この本で僕は、本の枢軸になるバンドの解説やコラムなどを執筆予定でした。モチベーションも高かったのですが、いくつか本文を書きあげていた段階で、発売中止となってしまいました。とはいえ、このまま原稿を眠らせるのはもったいないし、かといってポスト・パンクをネタにまた企画するのも気分じゃないということで、こうして公開した次第です。
 本稿の作成日を見ると、2015年1月でした。このときの年末年始はイギリスにいて、寝る前に1本というペースで書いていた記憶があります。基本的には、リーズの野外レイヴで騒いだり、2000年代のダンス・ミュージックを語るうえで欠かせないロンドンのクラブ、プラスティック・ピープルのクロージング・パーティーで愛に包まれたりと、遊んでいただけですが。それでも、音楽とシリアスに向き合ったり、その人の視点から作品について深く掘りさげた文章の需要が少なくなったことを憂慮していたので(今もしてますが)、そうした流れに対する反抗心は多分に込められたと思います。
 他にもいくつかまとまった原稿はあるので、折を見て公開できたらと考えています。ただ、仕事の合間にチェックして加筆/修正するってのも、けっこう大変なんです。なので次はいつになるのか、僕にもわかりません。明日かもしれないし、半年後かもしれない...。そのうえで待っていてくれる方がいるとしたら、望外の喜びでございます。そして本稿をキッカケに、エコー・アンド・ザ・バニーメンというバンドの音に触れてもらえたら、とても嬉しいです。記事の最後に、エコー・アンド・ザ・バニーメンのオススメ曲20選のセットリストを貼りました。Spotifyですが、こちらもご参考までにぜひ。


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 イギリスのリヴァプールで結成されたエコー・アンド・ザ・バニーメン(以下 : エコバニ)の全盛期といえば、イアン・マッカロク(ヴォーカル)、ウィル・サージェント(ギター)、レス・パティンソン(ベース)、ピート・デ・フレイタス(ドラム)の4人が揃っていた時期というのは、異論なしだと思う。彼らのことを知ったのは、筆者の両親によるゴリ押しがキッカケだった。実は筆者の両親、1984年のエコバニ初来日公演を観に行っており、そのことを今も自慢気に語ってくる。来日に伴い作られたパンフレット、そしてそのパンフレットに載っていた、どこか浮いた雰囲気を漂わせるメンバー4人が和室に座っている写真も繰りかえし見せられた。もちろんその際のBGMは、エコバニの全盛期に制作された『Crocodiles』(1980)、『Heaven Up Here』(1981)、『Porcupine』(1983)、『Ocean Rain』(1984)というアルバム群。これも勉強ということで、たまに実家へ出向いた時はその説法を聞いていたが、最近はLINEというコミュニケーションアプリを通じて、当時の想い出話を不意に話してくる。この際ハッキリ言っておくと、少々迷惑だ。筆者も暇が少ない社会人であることを忘れないでほしい。

 とはいえ、そんな説法を聞かされてきたおかげで、こうしてポスト・パンクに関する原稿でお金がもらえるようになったのも事実だ。そこには感謝しかない。おまけに、エコバニと同時期に活動したティアドロップ・エクスプローズ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、ピンク・ミリタリー、ワウ!、デッド・オア・アライヴの前身ナイトメア・イン・ワックスなど、リヴァプール出身の面白いバンドを知ることもできた。なかでも特にお気に入りなのは、ジェイン・カーシー率いるピンク・ミリタリーだ。スリル満点の鋭いギター・サウンドが際立ち、ダブ、ディスコ、ファンクなどが入り乱れる『Do Animals Believe In God ?』(1980)は、今でもレコード棚から引っぱりだして聴くほどの愛聴盤である。〝堕落する男〟を意味する「Degenerated Man」ではフェミニズム、「After Hiroshima」「War Games」では戦争をテーマにしたりと、メッセージ性が強い歌が収められているのも面白い。このあたりはパンクの影響を感じさせる。



1980年代前半のリヴァプールとエコバニ


 1980年代前半のリヴァプールは、エコバニやティアドロップ・エクスプローズが、〝ネオ・サイケデリア〟と形容された幽玄かつメロディアスなサウンドで支持を得ていたこともあり、どうしてもネオ・サイケデリアの部分だけに焦点が当てられがちだ。しかし、当時のリヴァプールで鳴っていた音楽を探っていくと、さまざまなジャンルが交雑し、必ずしもネオ・サイケデリア一色ではなかったことがわかる。それはエコバニの音楽も同様で、彼らの音楽はネオ・サイケデリアの一言で括れるほど単純ではない。とりわけ『Heaven Up Here』以降は、アフロ・ファンク・ビート、ディスコ、果てはシャンソン歌手で作詞/作曲家のジャック・ブレルまで、たくさんの要素を取りいれてきた。そんなエコバニは筆者にとって、ネオ・サイケデリアの旗頭というより、1980年代前半のリヴァプールでうごめいていた新たなポップ・ミュージックの可能性を象徴するバンドである。ついでに、この時期のリヴァプールの音楽シーンに関係する者たちの主なトピックを挙げておこう。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドがSM行為を描いた「Relax」(1983)という大ヒット・シングルで音楽シーンに躍り出て、デッド・オア・アライヴは「You Spin Me Round」(1984)で世界中を踊らせた。さらに、全盛期のエコバニをマネージメントしていたビル・ドラモンドは、ジミ・コーティーと組んだKLFで「3 A.M. Eternal」(1991)を全英シングル・チャート1位に送り込んでいる(※1)。これらの事実は、出来すぎた運命という他ないだろう。

 当然エコバニも、その運命に乗りかけた。『Crocodiles』は全英アルバム・チャートのトップ20に入り、『Heaven Up Here』は10位、続く『Porcupine』は2位に入った(※2)。この時のエコバニは確実に、イアンがインタヴューで何度も言及するほど敵愾心を持ち、かつ同時期に活動していたU2やシンプル・マインズよりも勢いのあるカッコいいバンドであった。1983年にはロイヤル・アルバート・ホールでストリングス隊を率いてのライヴもおこない、観客たちを熱狂の渦に陥れた。筆者も映像を観たことあるが、バンドの輝かしい未来を祝福するかのような観客たちの熱量、そして何より、バンドの充実した雰囲気がひしひしと伝わってきたのを今でも鮮明に覚えている。血気盛んな当時のエコバニは、膨らみつづけるエネルギーと音楽性の成熟を絶妙なバランスのうえで成り立たせていた。



エコバニが選んだ道と、その結果


 しかし、世の中は常に移ろ気なものだ。『Ocean Rain』がリリースされた1984年のイギリスは、ポスト・パンクの盛りあがりが冷めはじめた時期でもある(ゆえに音楽評論家のサイモン・レイノルズは、ポスト・パンク期の音楽について記した著書に『Rip It Up and Start Again : Postpunk 1978 - 1984』と名付けた)。そうした状況のなか、U2やシンプル・マインズはアメリカに目を向けた。理由をあけすけに言えば、もっと売れたかったからだ。そのため両バンドは、スケールのデカいサウンド・プロダクションを目指し、実現させたが、同時に多くのイギリス産ロックに共通する、メランコリックで繊細なサウンドは後退していった。こうした選択には答えなどなく、それぞれのバンドが選んだ道という他ない。U2とシンプル・マインズは、アメリカのマーケットを目指した。それだけのことである。


 エコバニが選んだ道は、アメリカではなくヨーロッパだった。彼らは『Ocean Rain』を制作するため、パリのスタジオ・デ・ダームとスタジオ・ダヴーへ出向いた。そこでは、『Ocean Rain』のオーケストラル・アレンジメント、ピアノ、チェロを務めたアダム・ピーターズも、ストリングス・パートを練っていた。このアルバムの面白さであるひねりが効いたストリングスは、クラシック音楽の教育を受けていたアダム・ピーターズの貢献が大きい。東洋の音階を参考にしたという「Thorn Of Crowns」など、チャレンジングな曲も生まれた。ところが、イアンはパリでレコーディングした自分のヴォーカル・パートが気に入らず、その部分はリヴァプールにあるアマゾン・スタジオで録りなおした。『Porcupine』のレコーディングでも使用し、ザ・スミス『Meat Is Murder』(1985)、ニュー・オーダー『Brotherhood』(1986)、ティーンエイジ・ファンクラブ『Bandwagonesque』(1991)といった、イギリスのポップ・ミュージック史に残る作品が作られた場所の力を借りたのだ。
 ミックスは、フー・ファイターズやピクシーズのプロデュースでも知られるギル・ノートン、そしてエコバニである(クレジットは、バンド名をもじった〝GIL NORTON & THE BUNNYMEN〟となっている)。さらにジャケット写真は、前3作から引きつづきブライアン・グリフィンが担当している。ティアドロップ・エクスプローズやデペッシュ・モードのアルバム・ジャケットも撮影したことがある才人だ。さあ、準備は整った。あとはジャケットのように、4人で舟を前進させるだけだ。

 ところが、『Ocean Rain』は全英アルバム・チャート初登場の4位がピークで、その後はゆっくり下降していった。少なくとも商業的には期待値を下回ってしまった。イアンはたびたび、『Ocean Rain』が一番のお気に入りであることを公言しているが、送り手と聴き手の気持ちは必ずしも合致しない。甘美なストリングスや、緊張感とは無縁の心地よい音粒が印象的なサウンドスケープは、スリル、焦燥、性急が滲む前3作を歓迎した者たちにとって、少なくない困惑を抱かせるものだったのだろう。ちなみにシンプル・マインズも、1984年に〝Rain〟なアルバム『Sparkle In The Rain』を発表している。こちらはユーリズミックス『Touch』、マイケル・ジャクソン『Thriller』を退けて全英初登場1位に輝いた(※3)。
 『Ocean Rain』リリース後のエコバニは、しばらくの活動休止を宣言した。そしてビル・ドラモンドは、エコバニの専属マネージャーという椅子から腰を上げ、その場をあとにした。


エコバニ失速、美しき孤高


 そろそろ、エコバニという時代を終焉に導いた作品について書こう。1987年リリースの『Echo & The Bunnymen』である。『Ocean Rain』の次作にあたるこのアルバムは、3年と4ヶ月を費やして作られた。その間に残された主な作品は、シングル「Bring On The Dancing Horses」(1985)と、ベスト・アルバム『Songs To Learn & Sing』(1985)くらいだ。1985年7月におこなわれたグラストンベリー・フェスティバルに出演したことも大きなトピックだろうか。こうした道程を経て生まれた『Echo & The Bunnymen』は、端的に言うと佳作でしかなかった。ザ・ドアーズのレイ・マンザレクが参加し、ドイツはケルンにあるコニー・プランクのスタジオでレコーディングしたという興味深い作品だったが、イギリスの音楽シーンを牽引していた頃の輝きはなく、ポスト・パンクのポの字も見られない。長年エコバニを愛聴してきたリアルタイムのファンからすれば、複雑な感情を抱かせる内容だったはずだ。同年にリリースされた、U2の『The Joshua Tree』が全英・全米アルバムチャート1位を獲得したことも含めて(※4)。

 とはいえ、耳馴染みのよい曲が揃った良質なポップ・アルバムであるのも確かだ。特に「The Game」や「Lips Like Sugar」などは、時代の趨勢にとらわれない魅力的なメロディーをまとっている。イアンの詩的な言葉選びも光り、あまりに作り込まれたサウンド・プロダクションを除けば、さしたる不満は感じない。
 『Echo & The Bunnymen』リリース後、ツアーへ突入したエコバニだったが、1988年にイアンが脱退。1989年にはピートがオートバイ事故でこの世を去り、残されたウィルとレスは、新たなメンバーとエコバニ名義で制作した『Reverberation』(1990)という見るも無惨なアルバムを発表するなど、いくばくかの混乱に見舞われた。しかし現在は、イアンとウィルのふたりが中心となって、エコバニは活動を続けている。イアンがタバコを片手にマイク前で高やかに歌い、その横でウィルがうつむきながらギターを奏でるという光景は健在だ。

 エコバニが世界的なビッグ・バンドになれなかったのは、あまりにも繊細で、意地っ張りで、おまけに賢かったからではないか。ゆえに周りが見えすぎて、どうしても鈍感になれなかったのかもしれない。だからこそ彼らは、ファンやマスコミも含めた周囲が求める役割を捨て去り、我を貫き通した。『Echo & The Bunnymen』のオープニングを飾る「The Game」で、イアンはこう歌っている。


〈誇り高き拒絶を誇れ 君の同意など僕は必要としていない〉〈万人に受け入れられるわけじゃない 人それぞれ好き嫌いがあるものさ〉


 イアンはボノ(※5)みたいに、昆虫のようなデカいサングラスをかけて世界平和を叫ぶことはできなかった。しかし、それは些細な違いでしかない。重要なのは、音楽が滅びない限り、永遠に語り継がれるであろう作品をエコバニが残したという事実、ただそれだけだ。



※1 : イギリスの音楽セールス調査会社The Official Charts Companyによる、1991年2月2日付の全英アルバム・チャートを参照。http://www.officialcharts.com/charts/singles-chart/19910127/7501/

※2 : イギリスの音楽セールス調査会社The Official Charts Companyのデータを参照。http://www.officialcharts.com/artist/18479/echo-and-the-bunnymen/

※3 : イギリスの音楽セールス調査会社The Official Charts Companyによる、1984年2月18日付の全英アルバム・チャートを参照。http://www.officialcharts.com/charts/albums-chart/19840212/7502/

※4 : 全英はイギリスの音楽セールス調査会社The Official Charts Companyによる1987年3月21日付のアルバム・チャート http://www.officialcharts.com/charts/albums-chart/19870315/7502/、 全米は1987年4月25日付のビルボード200を参照。http://www.billboard.com/charts/billboard-200/1987-04-25

※5 : ご存知U2のヴォーカル。

エコー・アンド・ザ・バニーメンのオススメ曲20選のプレイリスト : https://open.spotify.com/user/22ervjtd5o7nsmhesud5225vi/playlist/1pW38OAHLpVBzKxj78tSZx

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近藤 真弥

ポップ・カルチャーが大好きなフリーライター/編集。批評スタイルは「群れずに是々非々」。主な仕事のまとめ : http://masayakondo.strikingly.com/ 連絡先 : acidhouse19880727@gmail.com

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コメント2件

当時、エコバニ~スミスの解散を経てワンダースタッフの解散を期に電子音楽方向に聴く音楽の舵を切った私でしたが。。そのきっかけを作ったのはTHE KLFでした。
偶然じゃなかったんだなぁ。。って事をこの記事は教えてくれました。
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。僕は両親(特に母)がエコバニ好きで、その影響から今も愛聴しているという感じです。
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