誰かの居場所になれる音楽 〜 CHAI「ほめごろシリーズ」〜



 日本の4人組バンドCHAI(チャイ)を聴いていると、自分の好きを貫くことの大切さが身に沁みる。たとえば、「ボーイズ・セコ・メン」のMV(※1)を観てほしい。ピンクのつなぎ服にカラーコーンという組み合わせの衣装はDEVOを想起させ、色とりどりの小道具は彼女たちのこだわりを感じさせる。「ヴィレヴァンの」のMV(※2)を観ても思うが、彼女たちは“どう見せるか?”という点を大事にしている。ただ、カッコよく見せたいとか安易にウケ狙いで行くのではなく、自分たちが面白いと思ったものを前面に出しているのがポイントだ。もしオシャレに思われたいだけなら、カラーコーンを被ったりはしない。いずれにせよ、こうした点に惹かれ彼女たちの音楽を愛聴している。自分たちなりの信念や感性という根っこがちゃんとあるバンドは、いつの時代も希少だ。


 そんな彼女たちのセカンドEP「ほめごろシリーズ」が先月リリースされた。本稿を書くまでに何度聴いたことか!とここに書いてしまうほど何度も聴いている。まず耳を惹かれるのは、彼女たちの新たな代表曲になるであろう「sayonara complex」だ。ブロンディーの「Heart Of Glass」に通じる、ニュー・ウェイヴの視点から解釈したメロウなディスコ・サウンドに乗せて歌われるのは、女性にかわいさだけを求める風潮への疑問とも言える言葉だ。〈飾らない素顔の そういう私を認めてよ〉〈かわいいだけのわたしじゃつまらない〉といった一節からは、“かわいい”だけじゃないという彼女たちの本音がうかがえる。とはいえ、自ら「NEOかわいいバンド」と称してるように、かわいさそのものを否定してはいない。かわいさ“だけ”を求める、あるいはかわいさしか認めない人たちに批判的なのだと思う。そして、〈Thank you my complex〉というコンプレックスを肯定する秀逸な一節。往年の糸井重里にも捻りだせないであろうこの名フレーズは、多くの人たちを勇気づけ、コンプレックスやそれがもたらす辛さを乗り越えたうえでの優しさが滲む。曲自体は心地よいコーラス・ワークが際立つ軽快なポップ・ソングで、私たちを楽しませてくれるものだ。しかしその楽しさの奥深くには、楽しいだけじゃない多くの感情が込められている。この奥深さは女性のみならず、偏見やイメージのせいで嫌な思いをした者なら誰だって心に響くだろう。


 「クールクールビジョン」も筆者のお気に入りだ。この曲はパンキッシュなCHAIの側面が出ており、非常に毒色が強い。それは怒りと言ってもいいが、その怒りをキャッチーなポップ・ソングに仕上げてしまうセンスがとても秀逸だ。怒りを楽しむ、と言ったら変かもしれないが、世間的にはポジティヴとされない感情を楽しさや昂揚感に繋げている。強いて言えば、イアン・カーティスの自殺をダンサブルなエレ・ポップにしたニュー・オーダーの「Blue Monday」的な方法論、といったところか。しかしサウンドは2000年代のポップ・ミュージックを連想させる。イントロでけたたましく鳴るサイレン、ノイジーなシンセ、騒々しいドラムといった音が生む性急なグルーヴには、チックス・オン・スピードを中心としたエレクトロクラッシュ、CSSやクラクソンズなどのニュー・レイヴ、あるいはザ・ラプチャーやLCDサウンドシステムが旗頭だったディスコ・パンクを見いだしてしまう。


 このような多彩さは、ヒップホップに挑んだ「ヴィレヴァンの」という曲も生みだしている。この曲が面白いのは、ハードコア・パンクを通過したようなヒップホップが鳴っている点だ。それは『Licensed To Ill』期のビースティー・ボーイズとも共振可能で、このあたりの音楽もできるのか!と驚かせてくれる。歌詞ではストレートにヴィレヴァン愛を前面に出していて、他の曲と比べてコミカル度が高い。


 彼女たちの音楽はさまざまなジャンルが折り重なっているが、同時に幾多の複雑な感情も折り重なっている。だからこそ楽しい歌にしても、その楽しい気持ちに至るまでの想いがサウンドに表れる。この想い自体は楽しいものばかりではなく、怒りや哀しみもある。ただ、そうした哀しみや怒りに浸らず、最終的には前向きな気持ちを示すところが彼女たちの素晴らしさだ。自己憐憫な音楽がはびこる日本において、彼女たちの音楽は痛烈なオルタナティヴとして機能するだろう。それは、CHAIというバンドが誰かの居場所になれることを意味している。



※1 : MVです。


※2 : MVです。


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