デイヴ・シャペルとアジズ・アンサリ、知性を捨てないコメディアンの矜持



 去年11月、デイヴ・シャペルがアメリカNBCの『サタデー・ナイト・ライヴ』に初出演した。ポップ・カルチャー好きの中には、この出来事に狂喜乱舞した者も少なくないだろう。なにしろ、突如『シャペルズ・ショウ』から降板してから約10年の間、シャペルはスポットライトから離れていたのだから。
 シャペルは、1990年代からコメディアンとしての活動を始めた。そのシニカルなブラック・ユーモアは多くの注目を集め、映画『200本のたばこ』(1999)に出演するなど、役者の仕事もこなすようになる。だが、筆者にとってシャペルは、2000年代を代表するコメディー番組『シャペルズ・ショウ』の人である。この番組でのシャペルは文字通りやりたい放題だった。自分が黒人だと知らないままKKK(※1)に入ってしまった盲目の黒人というキャラクターや、ニガー家という白人一家も登場する。ニガーは黒人の蔑称だが、そんな言葉を名字に持つ白人たちというだけで、おかしくてしょうがない。このように、シャペルのレパートリーには人種差別をネタにしたものが多い。


 そんなシャペルが、『サタデー・ナイト・ライヴ』で、しかもドナルド・トランプがアメリカ大統領選で勝利した直後に何を語るのか? それはそれは大変な注目を集めた。結論から言うと、批判的なニュアンスでトランプに言及しながらも、分断するアメリカを諌める融和的姿勢を打ちだした(※2)。『サタデー・ナイト・ライヴ』は、もう1人の候補者ヒラリー・クリントンを持ち上げ、しかも白人偏向の姿勢が強い。そうした番組でシャペルは、黒人の視点からトランプ勝利という結果について語った。あまりにも華々しいそのカムバックに、筆者の心は打ち震えた。


 そしてシャペルは、またひとつ新たな動きを見せてくれた。ネットフリックスのオリジナル作品『デイヴ・シャペル』というシリーズを作りあげたのだ。オープニング・ナレーションにモーガン・フリーマンを迎えたこの作品でシャペルは、スタンダップ・コメディーというストレート勝負で私たちを沸かせてくれる。沈黙を上手く活かした話術は貫禄で満ちあふれ、持ち前のブラック・ユーモアも健在だ。「ブラウン事件判決(※3)は50年代 俺が渋滞で “ニガー” と怒鳴られたのは先週の水曜」など、ひとつのフレーズにさまざまな暗喩を込めるセンスも素晴らしい。さらに、ゲイをネタにするときも、「ゲイの気持ちは分かるよ 怒るのも無理はない 黒人として彼らを応援している でも言っとくが焦っちゃダメだぞ 時間が必要な問題だ 法が変わっても周りの目は同じ」といった、心遣いを忘れない。シャペルは毒舌を得意とするが、それは物事を理解し、そのうえで考えることができる知性を持つからこそ可能な芸当だ。また、“白人” “黒人” “ゲイ” といった大枠で揶揄しないのもシャペルの特徴だ。たとえば、ゲイの人に嫌悪感を示すときも、それはその人がゲイだからではなく、その人自身が嫌いだから嫌悪感を示す。このあたりの “人” で判断する姿勢は、差別という一線を越えないための矜持を感じさせる。



 こうしたシャペルの矜持に触れて、筆者の頭に1人の男が浮かんだ。それは、コメディアンのアジズ・アンサリである。現在34歳のアンサリが注目を集めたキッカケは、アメリカのケーブル・テレビ局HBOが主催したコメディー・フェスティバルで賞を得たことだ。偶然にも、シャペルがスポット・ライトと距離を置いたタイミングで、アンサリは頭角を現した。
 インド系アメリカ人のアンサリは、アメリカに住むマイノリティーの中でもさらにマイノリティーといえる立場だ(※4)。だからか、シャペルと比べてハッキリとトランプを批判していたりもする(※5)。今年1月、トランプの就任式翌日に『サタデー・ナイト・ライヴ』でスピーチしたときも(※6)、トランプを支持した人たちにもさまざまな考えがあるはずと、シャペルと同様に分断を危惧しつつ、トランプに批判的なウィメンズ・マーチを支持すべきだと述べている。


 しかし、これまたシャペルと同様に、アンサリにも一線を越えないための矜持がある。アンサリは、ドラマ『マスター・オブ・ゼロ』では製作総指揮と主演を務めるなど、マルチな才能の持ち主でもある。このドラマは現在シーズン1まで作られており、シーズン2が今年発表される予定の人気作品でもあるが、そんな作品の中でアンサリは矜持を披露してくれる。それはシーズン1の第4話「インド人・オン・TV」で見られる。ある日、アンサリ演じるデフを差別的に扱った男が死んだ。それを受けて、デフの友人は「差別野郎が死んで俺たちの時代だ」とハイタッチを求めるのだが、それに対しデフは次のような言葉を返す。


「人が死んだんだ。ハイタッチはしない」


 このシーンからは、ある基準に沿って人の扱い方を変える差別者にはならないというアンサリの知性がうかがえる(※7)。


 シャペルとアンサリは、共にアメリカ国民でありながら立場は違う。ゆえにスタンダップ・コメディーで披露する話も毛色は異なり、それぞれの目を通して見る “世界” も同じではない。だが、多様性を尊び、色鮮やかな風景を望んでいるところは共通するように感じる。そんな2人のユーモアには、日常をカラフルに彩る可能性と希望が詰まっている。




※1 : クー・クラックス・クランという白人至上主義団体のこと。

※2 : そのときの様子は『サタデー・ナイト・ライヴ』のフェイスブックで確認できます。https://www.facebook.com/snl/videos/10154648585621303/

※3 : アメリカ合衆国最高裁判所が1954年におこなった裁判のこと。公民権運動の足掛かりになったことでも知られている。

※4 : American Community Surveyによる国勢調査『2010 census』を参照。https://www.census.gov/2010census/

※5 : NYタイムズの記事『Aziz Ansari : Why Trump Makes Me Scared for My Family』(2016年6月24日)を参照。https://www.nytimes.com/2016/06/26/opinion/sunday/aziz-ansari-why-trump-makes-me-scared-for-my-family.html

※6 : そのときの様子は『サタデー・ナイト・ライヴ』のフェイスブックで確認できます。https://www.facebook.com/snl/videos/10154881142446303/

※7 : 筆者がリアルサウンド映画部に寄稿した『マスター・オブ・ゼロ』評(2016年4月12日)を参照。http://realsound.jp/movie/2016/04/post-1426.html

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