Slowthai『Nothing Great About Britain』


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 ノーサンプトン出身のスロウタイは、バルバドスとアイルランドをルーツに持つ24歳のラッパー。3歳のとき父親が失踪し、以降は母子家庭という環境で育った。かつてはザ・ブッシュと呼ばれる地元の公営住宅団地に住むなど、いわゆる労働者階級を出自としている。

 そんなスロウタイのエピソードは実にさまざまだ。筋ジストロフィーで弟を亡くすという悲しい出来事から、働いていたお店のお金を友人たちにあげてクビになるといったものまで、24歳にしてはいろいろありすぎる人生である。とはいえ、クビになったおかげで音楽活動を本格化させたのだから、筆者も含めた世界中の音楽ファンはクビにした者に感謝すべきだろう。

 2016年の自主制作シングル“Jiggle”を皮切りに、スロウタイは着実に知名度を高めていった。これにインディー・レーベルのBone Sodaが目をつけ、2017年に契約の話を持ちかけたのだ。同年11月にはEP「I Wish I Knew ノノ」をリリースした。グライムを下地にしつつ、“IDGAF”や“Polar Bear”ではノイジーなインダストリアル・サウンドを鳴らすなど、ロックの要素も色濃い内容だ。GRM DailyやTRENCHといったメディアにも取りあげられ、少なくない反響を得た。

 2018年に入っても、スロウタイの勢いは増す一方だった。EPの「RUNT」など多くの作品をリリースし、メディアを賑わせた。そのなかでも特に惹かれたのは“Ladies”だ。裸のスロウタイに絡まれる無表情な女性が登場するMVも秀逸なこの曲は、男性性の愚かさをテーマにしている。それまではマッチョなイメージも強かっただけに、正直意外な一面だった。その後も、麻薬の売人になる道しかなかった者を描いた"Drug Dealer"、差別に繋がるステレオタイプへの疑問を綴った“Rainbow”といった、メッセージ性が強い曲を立てつづけにリリース。緊縮財政やブレグジットなど混迷を深めるイギリスの状況と合わせるように、スロウタイもシリアスなユーモアを濃くしていった。

 デビュー・アルバムとなる『Nothing Great About Britain』にも、そのシリアスなユーモアは引き継がれている。まずはジャケットだ。公営住宅団地の前で十字架に括りつけられたスロウタイと、それを眺める団地の住人たち。さながら、イギリスの人たちの目を覚まそうとするスロウタイが処刑されるようにも見える。
 もちろんこれは筆者の解釈でしかない。だが、本作を聴くと的外れじゃないのでは?と思えてくる。ディジー・ラスカル、シド・ヴィシャス、さらには遊☆戯☆王も飛びだす固有名詞の嵐で彩られた歌詞は、イギリスの文化に対する愛であふれているのだ。“Toaster”や“Peace Of Mind”ではUKガラージのビートを前面に出したりと、やはりイギリス色が濃い。自伝的な言葉を紡ぐ“Northampton's Child”も、多くの庶民に課せられる痛みを個人的な視点から描きつつ、母親への愛情で満ちている。このことからもわかるように、スロウタイは自らの人生や生きてきた場所を恥じていない。むしろ、その人生を支えてくれた人たちの連帯や文化をリスペクトしている。そういう意味では本作は、愛国的とも言えるだろう。

 とはいえ、その姿勢が排斥といった差別的言動に繋がることはない。それは本作の収録曲“Inglorious”のMVを観ればわかるはずだ。このMVは、スロウタイが裁きを受けるところから始まる。その後水攻めなどの拷問がおこなわれ、ルドヴィコ療法を受ける(これはおそらく、映画『時計じかけのオレンジ』からの引用だ)。クリップでまぶたを見開いた状態に固定されたスロウタイは、イギリスへの忠誠心を植えつけるための映像を強制的に見せられる。ブレグジット推進派のナイジェル・ファラージを思わせる者も登場するそれは、「GREAT BRITAIN」というフレーズを何度も繰りかえす内容だ。
 ルドヴィコ療法が終わると、スロウタイは赤い服の集団を率いて、行動を起こす。ルドヴィコ療法を取り仕切っていた男を捕まえ、処刑したのだ。これはルドヴィコ療法が効いていなかったというより、「GREAT BRITAIN」を実現するための処刑だろう。つまり、ファラージ(を思わせる者)が出てくる映像を見せるような者を排除することで、イギリスへの忠誠心を示した。スロウタイにとって、分断を促す者たちこそ、「GREAT BRITAIN」を壊す元凶なのだ。それを過激な皮肉で、しかしユーモアたっぷりに“Inglorious”のMVは描いている。

 『Nothing Great About Britain』を聴いて、筆者は今月イギリスに行ったときの出来事を思いだした。それは買い物をしているときに起こった。拙い英語で注文すると、店員が筆者のヘタの発音をバカにし、差別的な言葉を投げてきたのだ。しかし、すぐさま隣にいた店長らしき人が謝り、店員を叱ってくれた。その後店長と世間話をするなかで、彼女は筆者にこう語ってくれた。

「さっきは本当にごめんなさい。私は移民で、あなたがされてきたようなことをたくさん受けてきたから、人前でも黙ってられなかった」

 イギリスに行けば、日本人である筆者はマイノリティーだ。ゆえに差別を受けることも多々ある。それでも、会ったこともない人のために怒り、励ましてくれる人が身近にいるのもイギリスなのだ。もちろん過度に理想化をするつもりはない。とはいえ、恣意的なエリートにさんざん傷つけられても、庶民で支えあう姿勢は死んでいないのだなと、感動した。さすが、アナイリン・ベヴァンみたいな政治家を輩出する国、といったところか。

 こうして誰かに手を差し伸べることの優しさを、スロウタイは守ろうとしている。



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