美とは人間の性である 〜 映画『ネオン・デーモン』〜



 ショーウィンドウに飾られた女性の肖像を見つめる、リチャード・ウォンリー。これは、フリッツ・ラング監督の映画『飾窓の女』(1944)で見られるシーンだ。このシーンの後、肖像のモデルであるアリスと出逢うウォンリーだが、のちに降りかかる災難を考えると、“もし肖像に魅せられなければ...”と思わなくもない。とはいえ、欲望する自らの理想を1枚の肖像に投影したことで、多くの人たちの人生を変えてしまったと考えれば、興味深いのも確かだ。ひとつの欲望が檻から解放され、まるでウイルスのように広がり、人々を巻きこんでいく。ウォンリーとアリスのみならず、クロードやハイトなど、『飾窓の女』に出てくる者たちは欲望という極めて抽象的な存在に翻弄された、いわば犠牲者なのかもしれない。


 ニコラス・ウィンディング・レフン監督の最新作『ネオン・デーモン』にも、欲望に翻弄され、身を滅ぼしていく者たちが登場する。その者たちが欲望するのは、ズバリ “美しさ” だ。美こそ最上の価値であり、それ以外の価値観はゴミでしかない。そうした者たちの欲望を描いたのが本作だ。
 欲望による悪魔の囁きはオープニングから始まっている。それは、血塗られたジェシー(エル・ファニング)を見つめるディーン(カール・グルスマン)の目つきからもわかるはずだ。あの目つきに宿っているのは、美しさを欲望する不気味な狂気である。美だけを見ているという意味では純粋な、しかしだからこそ恐ろしい目つき。その後の甘美な悪夢を予感させるには十分すぎる。


 また、そんな欲望を描くためのアイディアも秀逸だ。屍姦やカニバリズムなど、なかにはグロテスクなものもあるが、特筆したいのはナルシシズムを用いた演出だ。それを堪能できるのが、ジェシーとジェシーのキス・シーン。こう書くと頭にクエスチョン・マークを浮かべてしまうかもしれないが、文字通りジェシーとジェシーがキスをする。最高の美が自分の中にあるとわかった瞬間の恍惚と全能感を見事に表現したこのシーンは、全身の性感帯をゾクゾクさせるほど官能的だ。
 光と色の使い方も見逃せない。極力自然光を排した人工的な色使いは、作品に妖艶な雰囲気を添えている。この禍々しい雰囲気に潜むドラッギーな快楽にハマったら最後、抜けだすのは相当難しい。


 人間にとって重要な価値観を表す言葉に、“真善美”というものがある。そのなかでも真理と善悪は、社会や生活と密接に関わっている。たとえば法律、思想、モラルといった、この世を規定する多くのことは、真理や善悪について考えたうえでもたらされたものだ。一方で美しさは、あまり密接ではないように思える。美しい家、美しい部屋、美しい服は、あれば越したことはない。だが、生活をするうえで必要不可欠かといえば、そうでもない。それは、音楽や映画などに代表される芸術美でも変わらない。芸術なんてなくてもいいと考える者だって、少なくないだろう。
 それでも私たちは、さまざまな美を生みだしてきた。生みだされた美に感動し、人生が変わるほどの影響を受けた者も多い。でなければ、『ネオン・デーモン』という作品を目にすることもなかったはずだ。本作は、美しさも真理や善悪と同じくらい欠かせないもので、人間の性なのだと教えてくれる。教え方は少々過激だが。

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