ビヨンセとオカシオ=コルテスが示す“イメージ”の変化



 あらゆる情報が手に入る現在において、“虚飾”に怒る人はどれくらいいるのだろう? 多くのメディアで綺麗な写真をインスタグラムにアップするためのコツが紹介される一方で、そのインスタグラムでは世界中のスーパースターが加工済みの写真を次々とアップする。それでも大勢が“いいね!”をつけ、スターへの愛情を絶やさない。そうした状況を見ると、“イメージ”は作られるものと知ったうえで、それを人々は楽しむようになったのではないか?と思えてしまう。

 『HOMECOMING』を観たあと、その雑感は確信に近づいた。ネットフリックスで配信されたこの映画は、伝説となったビヨンセのコーチェラライヴに迫るドキュメンタリーだ。ライヴ映像だけでなく、コンセプトや演出に込められた想いをビヨンセ自ら語るなど、裏側も見せていく。ルーツである黒人文化への敬意を多分に取りいれ、女性たちの連帯も促すパワフルなパフォーマンスは、永遠に色褪せないだろうと思わせるほど素晴らしい。
 興味深いのは、このパワフルさと対比させるように、素顔をさらけ出すところだ。疲労を滲ませる顔や華麗とは言えない練習風景といったシーンが盛りこまれている。ビヨンセといえば、徹底したメディアコントロールによって、強い女性像を打ちだしてきた。そのイメージとのギャップがあるという意味で、それらのシーンは少なからず衝撃的だ。しかし、そのせいでビヨンセの人気が落ちたかといえば、NOだろう。『HOMECOMING』配信に伴いリリースされたライヴ・アルバム『HOMECOMING: The Live Album』は、ピッチフォークがベスト・ニュー・ミュージックをあたえるなど、称賛の声が目立つ。



 イメージとのギャップといえば、『レボリューション 米国議会に挑んだ女性たち』も興味をそそられた。アレクサンドリア・オカシオ=コルテスなど、2018年のアメリカ中間選挙に挑んだ4人の女性を追ったドキュメンタリー映画だ。草の根運動に込められた想いの切実さに、思わず目から一粒のナニカを流してしまった。貧困、差別、社会福祉など、4人が立ちあがるに至った背景はさまざまだ。とはいえ、困っている庶民のために戦うところは共通しており、だからこそオカシオ=コルテスは多くの想いを背負っているのがわかる。それを示すため、敗れた候補者をしっかり描いてるのも秀逸だ。
 この映画も、選挙に挑む4人の裏側を積極的に見せていく。ビラをなかなか手に取ってもらえなかったり、投票のお願いに対する素っ気ない態度など、華やかとは言えないシーンが多い。もっとドラマティックな形で、オカシオ=コルテスが大物議員に勝利するまでの道のりを描くこともできたはずだ。しかし、『レボリューション 米国議会に挑んだ女性たち』は、大仰な見せ方をしない。選挙におけるイメージ戦略の大切さを示したりと、現実的な描写が際立つ。だが、これがオカシオ=コルテスのダメージになることはないだろう。インスタグラムで議員活動を頻繁に公開するなど、もともと彼女は裏側を見せていく人なのだから。

 いま挙げた2作品は、徹底したメディアコントロールによるイメージ作りに対し、「作りものじゃないか」と批判する意味がなくなったことを示唆している。イメージが作りものだったとしても、そのイメージを作りあげる理由や想いが心に響くものであれば、人々は共鳴するのだ。そのような時代では、いままで以上に“綺麗事”が重要になってくるかもしれない。



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