ドラマ『相棒 season17』元日スペシャル「ディーバ」


注 : 放送済みです


 筆者にとって太田愛は、『ウルトラマンティガ』などの特撮系作品をきっかけに飛躍した脚本家という認識だ。もちろん、小説やエッセイでも辣腕を振るうのは承知済み。なかでも2017年の小説『天上の葦』は、ジャーナリズムが機能していない現在のメディアに対する辛辣な眼差しを感じる作品で、いまも愛読している。
 とはいえ、心躍ることが多いのは、やはり脚本の仕事なのだ。『相棒』シリーズを筆頭に、地上波のテレビドラマという少なくない制約を課せられる場において、太田は素晴らしい脚本を生みだしてきた。時には鮮やかな伏線の回収で、時には痛烈なメッセージ性で、あるいはその両方を高いレベルで共立させたりと、さまざまな方法で視聴者を驚かせてくれる。

 それは『相棒 season17』の元日スペシャル、「ディーバ」でも同様だ。物語は、110番通報が発信されたマンションに、右京(水谷豊)と亘(反町隆史)が駆けつけたところから大きく動きだす。2人は室内で倒れている槙(優希美青)を見つけた。彼女の息子が誘拐されたと知った槙の母親・貴巳(河井青葉)は、亡き夫の父親で衆議院議員の敦盛劉造(西岡德馬)の元へ向かう。警察は誘拐の線で捜査をするが、告発文を読まされたシャンソン歌手の神崎瞳子(大地真央)も事件に巻きこまれるなど、さまざまな思惑が複雑に絡みあっていく。

 事件の黒幕を暴いていくなかで、太田脚本の特徴である社会風刺が顔を覗かせる。たとえば、神崎が空港で記者に囲まれるオープニングでは、政治に無関心な日本国民のみならず、問題を起こしても裁かれない政治家たちにも向けたと思われるセリフが飛びだす。他にも、槙の息子に関するエピソードはMeToo運動が巻きおこる現在とも繋がるなど、これまで以上にストレートな描写が目立つ。それは「ディーバ」の放送までに起きた印象的な事件を振りかえるようでもあり、そういう意味では同時代的と言えるだろう。素晴らしいのは、匂わせるだけではないところ。ラストシーン、『花の里』で右京が〈新しい年が明るい年になることを祈って〉と乾杯するのは、太田の偽らざる気持ちを示しているのでは?と思ったのは筆者だけじゃないはずだ。

 ドラマとしてのクオリティーも優れている。特に目を引いたのは、血筋にこだわる敦盛の価値観に対する神崎の在り方だ。神崎の信条は、〈私は法には従わない。弱き者の嘆きに従う〉というもの。すでにドラマを観た人はご存知のように、そこに嘘はない。血の繋がりがない者たちとも家族的な関係を築き、手を差し伸べるなど、弱きを助ける姿が際立つ。その姿によって、〈法には従わない〉という信条を語らせる手法は実に鮮やか。説明的なセリフではなく、物語での立ち位置や行動によって語らせる、まさにドラマでしかできないやり方だ。

 神崎を見て、筆者は太田のとあるエッセイを連想した。『小説現代』2013年2月号に掲載された、「鬼たちのこと」である。タイトル通り、このエッセイのテーマは“鬼”だ。人であるがゆえに鬼とならざるをえない哀しさなど、“鬼”という存在を興味深い視点から読み解いている。
 こうした視点からすると、神崎もまた“鬼”と言えるだろう。弱き者の嘆きに従う“人”であったがゆえに、法には従わない“鬼”となってしまった。そんな怒り混じりの哀愁を滲ませる「ディーバ」は、太田の作家性が発揮された秀作だ。

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