Jorja Smith“Blue Lights”のニューMVが素晴らしい



 先日、サウス・ロンドンを拠点に活動するジョルジャ・スミスが、“Blue Lights”の新しいMVを公開しました。曲自体は2016年にリリースしたもので、同時にドリュー・コックスによるMVも作られましたが、今年6月に発表予定のファースト・アルバム『Lost&Found』からの先行MVとして新たに制作したようです。新ヴァージョンの監督はオリヴィア・ローズで、ジョルジャ・スミス、J・ハス、スケプタなどイギリスのアーティストを撮ってきたフォトグラファーとして知られています。

 “Blue Lights”の新しいMVは、端的に言って素晴らしい作品です。ジョルジャ・スミスの地元であるウォルソールで撮影された映像は、“Blue Lights”の歌詞と絶妙にシンクロする、物悲しい雰囲気を醸している。彼女は今回のMVについて、「ウォルソールとバーミンガムの男性陣のそれぞれの日常の生活をとらえたかった」と語っており、そうすることで世の中に溢れている偏見は正しくないということ、そしてその偏見は人を傷つけることを示したかったそうです。

 彼女の意図は、“Blue Lights”がどういう歌なのかをふまえるとより深く理解できると思うので、まずは歌の解説をしていきます。
 簡単に言うと“Blue Lights”は、パトカーのブルー・ライト(イギリスのパトランプは青)が迫ってきて、心がざわついている状況を歌っています。〈Not long ago you were miming to the "Shook Ones"...〉以降のくだりから察するに、何かしらの犯罪行為を思わせる場面も描かれますが、本当にそれがあったことなのか曖昧なまま曲は終わります。秀逸なのは、曖昧さをあえて残すことで心のざわつきが強調され、不安や戸惑いを演出していること。そうした演出によって“Blue Lights”は、《何かしらの犯罪行為の歌》ではなく、何かしらの犯罪行為があったのかもしれないという猜疑心、あるいは猜疑心を向けられたときの《不安や戸惑いについての歌》になり、より多くの人がコミットできる内容になっているからです。いわばブルー・ライトは、猜疑心をもたらす存在のメタファーとして使われている。この点だけを見ても、彼女が非常に高いストーリーテリング能力を持っているのがわかります。

 そうした歌詞の内容をふまえて、“Blue Lights”の新しいMVを観てみると、先に書いた彼女の意図がよりわかりやすく伝わってくる。特に注目してほしいのは、手を後ろに組んでいる黒人男性が登場するシーン。0:52あたりで見られるその姿に注目すると、手錠をかけられているのがわかります。彼は1:10頃のシーンにも出てきますが、手錠は外れている。しかし、手首が密接に絡まったまま体をくねらせるその姿は、見えない手錠がはめられたままのようにも感じます。そんな彼の姿が象徴するのは、偏見は人を傷つけることを示したかったというジョルジャ・スミスの想いです。おそらくあの黒人男性は、かつて偏見を向けられたことで、スティグマが刻まれてしまったのだと思います。手錠にしても、あれは彼にしか見えないものであって、それを強調するために、何事もなかったかのように途中から手錠が消えていたのではないか。そう考えると、くねる体はスティグマで雁字搦めになった心を表しているのかもしれません。さらに黒人男性ということもふまえると、そこに人種問題の要素を見いだすことも難しくない。ここで言う偏見の比喩になっているのがブルー・ライトであることは、長々と説明するまでもなくわかるでしょう。



 このような偏見に対する批判は、人種問題に留まりません。たとえば、0:16あたりで建物が映しだされますが、あれはタワー・ブロックというイギリスの公営賃貸住宅です。主に低所得者層が住むところで、2017年6月14日にウエスト・ロンドンで起こった、グレンフェル・タワー火災をきっかけに知った方もいるでしょうか。ちなみにジョルジャ・スミスは、火災で被災した人たちのために制作されたチャリティー・ソング、サイモン&ガーファンクル“Bridge Over Troubled Water”のカヴァーに参加しています。これらの背景を考慮すると、“Blue Lights”の新しいMVで描かれる世界は、イギリスの低所得者層から見たものだと思われます。くわえて重要なのは、そこで生きる人々が淡々と日常生活を送っているということ。オーウェン・ジョーンズが著書『チャヴ 弱者を敵視する社会』でも述べているように、イギリスでは低所得者層への蔑視や差別が広く議論されています。こうした社会問題も視野に入れていると考えれば、新しいMVは低所得者に対する蔑視や差別を暗に批判した内容と言えるでしょう。

 社会問題でいうと、出演者が全員男性なのも見逃せません。この点は、以前ブログで評したチャーリーXCX“Boys”のMVと同じく、《男らしさ/女らしさ》という性役割を揺さぶる効果があります。“Blue Lights”の新しいMVには、子守や家事など女性がやるべきとされていることをやっている男性も登場しますが、このあたりはとてもわかりやすい描写と言えるでしょう。MeTooやTime's Upといった平等を求める運動との共振を見いだすのも容易い。面白いのは、それらの描写を“Blue Lights”の歌詞と対比させていることです。“Blue Lights”には以下のような一節が出てきます。


Gun crime into your right ear Drugs and violence into your left Default white headphones flooding the auditory Subconscious waves you accept You're sitting on the 4 back home "Where you at, G? Answer your phone!" Pause the poison to answer his message Your boy sounds rushed, fears for his adolescence


 ざっくり説明すると、右耳では銃犯罪、左耳ではドラッグと暴力のことが歌われた(あるいはラップしている)音楽を白いヘッドフォンで聴いている思春期の男の子に言及しています。イギリスでこういう音楽といえば、やはりグライムでしょう。“Blue Lights”は、グライムを代表するラッパーのひとり、ディジー・ラスカルの“Sirens”を引用していますが、このことからもグライムが深く影響しているのは明らかです。
 日本では、いまだにローカルなシーンだと思われがちなグライムですが、イギリスでは若者たちに及ぼす影響について庶民院でディスカッションが交わされるほど、大きな注目を集めています。主な議題はグライムにまつわる偏見、人種差別、暴力といったもの。グライムのせいで犯罪が起きているとか、典型的なステレオタイプが問題視されているのです。これも社会問題と言えますが、暴力的な音楽を聴いている男の子が登場する歌をバックに、素朴な日常生活を送る男性たちにフォーカスした映像が流れる構図は、人は多面的であり、単一のレッテルで語れるほど単純じゃないという両義性を示す意図もあるでしょう。もちろんこれはグライムに関することのみならず、世界的に問題となっているさまざまな出来事に当てはまる暗喩なのは言うまでもありません。



 また、“Blue Lights”の新しいMVには、ジョルジャ・スミスと関わりのあるアーティストがカメオ出演しています。“On My Mind”でコラボしたプレディターをはじめ、ベンジャミン・ゼファニア、ジェイケイ、デスポ、ミスト、そしてザ・ストリーツことマイク・スキナーまで、多くの面々が顔を出している。なかでも筆者が目を引かれたのは、ザ・ストリーツです。彼は2000年代のUKラップを代表するアーティストのひとりで、2004年リリースの大傑作『A Grand Don't Come For Free』はイギリスだけでなく、世界中の音楽ファンから賞賛されました。そのザ・ストリーツのファースト・アルバムは、2002年の『Original Pirate Material』という作品です。このアルバムはハードな日常生活を送る人たちの機微や感情を抉りだす言葉で溢れており、『A Grand Don't Come For Free』に匹敵するクオリティーを誇っています。そんな『Original Pirate Material』のジャケットには、ラット・ブリース・ルクセンブルクが撮影した、ケストレル・ハウスというロンドンにあるタワー・ブロックの写真が使われています。
 このような背景を知ると、“Blue Lights”の新しいMVにおけるタワー・ブロックの意味が浮かびあがってくる。つまり“Blue Lights”は、ザ・ストリーツが紡いできた庶民の生活に渦巻く想いや困難を受け継ぐ歌でもあるのです。こうした側面は歌だけを聴いても十分わかりますが、それをより鮮明にできたのは、“Blue Lights”という歌の多層性を見抜いたオリヴィア・ローズの慧眼があればこそでしょう。

 “Blue Lights”の新しいMVは、たくさんの意味合いが込められたダブル・ミーニングな作品です。そのうえで言うと筆者は、庶民の生活に想いを馳せるジョルジャ・スミスの視線に感動しました。それを可能にする巧みな言葉選びや観察眼といったスキルはもちろんのこと、このスキルを支える暖かい眼差しに心を揺さぶられたのです。しかしそれは、静謐な絶望を呼び寄せるものでもあります。“Blue Lights”のような歌が訴求力を持ってしまうほど、世の中はまだまだ厳しいということだからです。かつてザ・ストリーツは、『A Grand Don't Come For Free』のラスト“Empty Cans”で、〈この先はつらい日々が始まる でもこうなるはずじゃなかった季節は終わった だからこれが本当の始まりなんだ〉とラップしました。でも哀しいことに、〈こうなるはずじゃなかった季節〉は終わっていません。多くの人々が憎しみを隠さなくなり、経済格差、貧困、差別といったさまざまな問題が至るところに遍在している。それでも、“Blue Lights”のような素晴らしい歌を愛聴する人たちはたくさんいます。この光景に想いを巡らせつつ、新しいMVを観ていると、筆者の目から一粒の涙がこぼれました。

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近藤 真弥

ポップ・カルチャーが大好きなフリーライター/編集。批評スタイルは「群れずに是々非々」。主な仕事のまとめ : http://masayakondo.strikingly.com/ 連絡先 : acidhouse19880727@gmail.com

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