Dave『Psychodrama』



 デイヴと名乗るラッパーは、サウス・ロンドンのストーリタムで育った。ストームジーを敬愛する一方で、ラナ・デル・レイ、ピンク・フロイド、ハンス・ジマーの作品も好むなど、幅広い音楽的嗜好を持つ20歳だ。『NARUTO』や『ドラゴンボール』といったアニメからも多大な影響を受けている。なんでも、2016年に発表したファーストEP「Six Paths」のジャケットは、『NARUTO』がモチーフだという。

 筆者がデイヴを知ったのは、2015年にアップされたフリースタイルの動画がきっかけだった。あどけなさが残る顔つきに、あらゆる事象の本質を心得ているかのような目。その姿を見て、瞬く間に惹かれてしまった。
 紡がれる言葉も鮮烈だった。〈俺は壊れた家庭から出てきたんじゃない システムが俺の家庭を壊した〉とラップしたのだ。そのフレーズに、ブロークン・ブリテンと呼ばれるイギリスの惨状へ向けた批判を見いだすのは容易かった。

 この才能に多くの人が注目するまで、そう時間はかからなかった。「Six Paths」リリースの頃には、UKラップファン以外にも存在が知られていた。このEPはタイトルが示すように、デイヴが想像した6つの道筋を表現した作品だ。裕福とは言えない生活のなかで、こうなるかもしれないという将来像をラップしている。ジョゼップ・グアルディオラ、ダニエル・クレイグ、ゲーム『鉄拳』の三島一八など、さまざまな固有名詞を駆使して、日常に潜むどす黒い誘惑や先が見えない不安といった事柄に想いを馳せる。トラップを基調としたビートにブルージーなギターを重ねるサウンドも、デイヴの多彩な音楽的背景が反映されていておもしろい。

 2017年のセカンドEP「Game Over」では、政治/社会問題への強い関心を示して話題になった。それを象徴するのが“Question Time”だ。この曲でデイヴは、グレンフェル・タワーの火災、ブレグジット、NHS(国民保健サービス)の予算削減など、さまざまな社会問題に向けた意見を7分近くにわたってラップした。淡々と言葉を紡ぐデイヴの姿が滲ませるのは、怒りを通り越した沈痛さだ。
 “My 19th Birthday”も素晴らしい。曲名通り、19歳の誕生日を迎えたことについて描かれたそれは、大勢に注目されても大きな変化がないことをラップしている。『グランド・セフト・オート』や『風雲!たけし城』を引用するユーモアは笑えるが、EMA(教育維持助成金)に言及するなど、やはり切実な想いが際立つ。
 作品全体のサウンドはミニマルで、ラップがより前面に出るプロダクションを施している。そこには表現者としての確固たる自信を得たデイヴの姿があり、そういう意味では飛躍作と言えるだろう。

 セカンドEP以降の活躍は多くの人が知るところだと思う。アヴェリーノやナインズといった多くのラッパーとコラボし、ダニエル・スターリッジのインスタにも登場するなど、他業界のセレブとも交流が活発になった。しかしもっとも大きなトピックといえば、2018年にリリースしたシングル“Funky Friday”の大ヒットだ。ゲストにフレドを迎えたそれは、初の全英シングル・チャート1位に輝いたのだ。この出来事は、期待の若手という立ち位置から、正真正銘のスターにデイヴが登りつめたことを示していた。

 そうした勢いを受けて、待望のデビュー・アルバム『Psychodrama』が投下された。タイトルからもわかるように、本作は同名の心理療法を元にしたコンセプト・アルバムだ。サイコドラマという心理療法は、演劇的な技法を用いるのが特徴で、積極的な自己表現を通して問題の解決を目指す。その際に観客も重要な存在として折り込まれるが、そう考えると音楽の在り方と重なる手法だと言える。音楽もまた、作品や送り手だけでなく、それを受け止める聴き手がいないと成立しないからだ。これらのことをふまえると、本作はデイヴのセラピー的な側面もあるのがわかる。オープニングを飾る“Psycho”のイントロで、心理療法士のセリフが流れることからもそれはあきらかだろう。いわば本作を作ること自体が、デイヴにとって救いなのだ。

 紡がれる言葉は、お世辞にも明るいとはいえない。たとえば、リード曲にもなった“Black”では社会的不平等をラップしている。黒人というだけでこうむる不公平や、黒人でも色の濃さで扱いに差があることが主題だ。これはバリー・ジェンキンス監督の映画『ムーンライト』(2016)に通じる視点であり、そういう意味でもタイムリーな曲かもしれない。矢継ぎ早に言葉を発射するラップも冴えわたり、デイヴの表現力はさらなる進化を果たしたと告げる名曲だ。

 “Lesley”も心をわしづかみにされる。男と虐待的な関係にある女性を描いたそれは、そこから抜けだせない人たちの叫びをデイヴが代わりに伝えているようにも聞こえる。気になるのは、この曲の女性はデイヴの母親とも解釈できることだ。かつてi-Dのインタヴューでデイヴは、父親の話を避けている。理由は母親にとってデリケートな話題だからというものだが、このやりとりはデイヴと父親の関係の複雑さを匂わせている。インタヴューによれば、いま父親は不在だそうだ。なぜ不在なのかをデイヴが語らないため断定するのは難しいが、セラピー的なところもある本作の内容を考えると、“Lesley”は母親と父親の関係性を寓話的に描いたのでは?と思えてならない。
 もちろん社会的な背景も無関係ではないだろう。2018年にONS(国家統計局)が発表した『イングランドおよびウェールズでの家庭内暴力』によると、男性よりも女性のほうが圧倒的に被害を受けるケースが多いという。さらにその暴力は、表沙汰になりづらいそうだ。この統計が構造的な男女格差を雄弁に語るものなのは言うまでもない。こうした背景を知ると、“Lesley”は“Question Time”に比肩する社会的な曲であることに気づく。

 本作は構造も興味深い。膨大な数の音楽が毎日のようにリリースされる現在において、作品に収録された曲をすべて耳に届ける難易度は高い。たまたま聴いた曲のイントロが気に入らなければ、すぐさま次の作品に興味が移ってしまう。気になる作品が次々と届き、それを簡単に聴ける聴環境も整っているのだから、そうなるのは半ば必然だろう。
 しかし本作は、そんな聴環境なんて知らないと言わんばかりの顔をしている。全収録曲が2分以下の作品も珍しくないなか、“Purpie Heart”以外はすべて3分以上あり、“Lesley”はノンビートの11分という大曲だ。そこには妥協を許さない表現者としての矜持と、やりたいことをやっても多くの人が受けいれてくれるという誇り高き確信を見いだせる。ハンス・ジマーも顔負けのドラマティックなストリングスを鳴らす場面もあったりと、挑戦的な姿勢も際立つ。もともとデイヴは、独学でピアノを習得するなど楽器演奏の才能も高いが、そうしたサウンド面での探究心も本作の聴きどころだ。

 『Psychodrama』は、サウンド、メッセージ、コンセプトなど、あらゆる面で称賛に値する輝きを放っている。苦難が絶えない人生をラップしながら、それを受けいれて前進しようとする泥臭さも沁みる。
 先に引用したi-Dのインタヴューでデイヴは、2人の兄と自身を関連づけて語られることの戸惑いが滲む発言をしている。兄貴たちを愛してはいるが、2人がやってきたことは自分を表すものではないと言ったのだ。しかし本作のラスト“Drama”には、終身刑で刑務所にいるデイヴの兄・クリスが登場する。刑務所からの電話を録音し、それを曲の冒頭で使用しているのだ。クリスの話が終わると、デイヴがラップを始めるという構成は、兄弟の会話を思わせる。だからなのか、吐きだされる言葉は他の曲以上にパーソナルだ。怒り、哀しみ、混乱など多くの感情が行きかう。そう書くと陰鬱な曲に思われるかもしれないが、よく聴いてみると確かな一歩を踏みだす前向きさもうかがえる。次のような一節があることからも、それは明白だ。

〈I'm presenting you the future. I don't fear my past〉

 未来に足を踏みいれたデイヴが、愚直なエモーションをあらわにする感動的な瞬間である。その姿に多くの人が励まされ、まとわりつく闇を振りはらうことができるだろう。ハードな世情を表象するだけの諦念的なラッパーも多いUKラップだが、そこに本作は一縷の希望を灯してくれた。デイヴの音楽は、絶望する暇もないほどもがき苦しんでいる人たちの味方だ。



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