穏やかな風景に潜む、光と闇 〜 映画『最後の追跡』〜



 先日、J・D・ヴァンス『Hillbilly Elegy』の邦訳版を読んだ(※1)。去年出版された本書は、現アメリカ大統領のトランプを支持する白人労働者層の内実が書かれた本として、大きな注目を集めた。
 著者のヴァンスは、イェール大学のロースクールを修了し、今はベンチャー企業の社長を務めている。いわゆるアメリカのエリート層によく見られる遍歴だ。しかし、そうした輝かしい遍歴とは裏腹に、ヴァンスの出自はハードである。オハイオ州南部で生まれ育ったヴァンスは、ドラッグ、貧困、暴力など、さまざまな問題が目の前にあり、そのことが自身の生活にも大きく影響をあたえたと述べている(※2)。オハイオ州南部といえば、“ラストベルト” と言われる工業地帯としても知られている。貧しい労働者階級が多く集まり、アメリカが抱える社会問題の縮図とも言える場所だ。つまり、ヴァンスの出自はエリート層ではない。そうしたヴァンスの言葉だからこそ、『Hillbilly Elegy』は多くの人に衝撃をあたえた。ヴァンスの眼差しが捉えている風景は、まぎれもなく地べたなのである。


 そんな地べたの風景は、デヴィッド・マッケンジー監督の最新作『最後の追跡』でも描かれている。本作の物語は、トビー(クリス・パイン)とタナー(ベン・フォスター)のハワード兄弟を中心にして進む。舞台はテキサスの田舎町。そこに住むハワード兄弟は、亡くなった母親が銀行に担保で差しだした農場を守るため、銀行強盗を重ねる。この犯行計画はトビーによって練られ、そこには農場に埋蔵された石油を守り、離婚して離ればなれになった息子になんとか良い暮らしをしてほしいというトビーの願いが込められている。ハッキリ語られるわけではないが、ハワード兄弟のやり取りなどを介して、2人は幼い頃から貧困や暴力に悩まされてきたのだと観客は理解していく。タナーが父親を射殺したのも、暴力的な言動にうんざりしていたからだ。ゆえにトビーは、衝動的かつ無計画なタナーに辟易しつつも、見放せないでいる。それはトビーから見て、タナーが父親を射殺した理由は理解できるものだからだ。そしてタナーから見ても、貧困の連鎖を断ち切るために手段を選ばないトビーの気持ちは理解できるものだった。暴力という呪いから逃れるため、自ら拳銃の引き金を引いたのだから。そうした2人が協力するのは、当然だと言える。
 2人は時に罵りあい、険悪な雰囲気を何度も生みだすが、互いに愛情を持っている。だからこそ、ガソリンスタンドでタナーが若者に絡まれたとき、その若者をトビーはボコボコにした。そしてタナーは、養育費の支払いに悩むトビーを見かね1人で強盗し、さらにテキサス・レンジャーのマーカス(ジェフ・ブリッジス)をはじめとする追っ手からトビーを守るため、文字通り命を懸ける。この関係性、まるでオアシスというバンドの某兄弟みたいだが、とにかくハワード兄弟は複雑な絆で結ばれている。


 ハワード兄弟の行動には、そうせざるをえない状況に追い込まれた悲哀がある。このことを本作は、看板という手段を用いて伝える。その看板には、イラク戦争やサブプライム問題など、今のアメリカに関する暗喩的な言葉が綴られている。また、防犯設備が整っていない銀行や、トビーを庇うウエイトレスといった形でも、本作は今のアメリカを暗に示している。もっとストレートなところでいえば、マーカスの相棒アルバート(ジル・バーミンガム)が言うセリフだろうか。それは、椅子に座りながらマーカスと会話するシーンで発せられる。


「150年前 ここは俺の先祖の土地でした (中略) それを奪った者たちから また別の者が奪う 今度は軍隊ではなく “あの連中”が奪うんです」


 そう言ってアルバートは銀行を指差す。このシーンは、“人種”というアメリカを語るうえでは欠かせない要素だけでなく、“階級” の問題も滲ませている。しかもそれが、先住民の血を引くアルバートによって示されることで、よりシリアスに響く。本作がアメリカの複雑さと誠実に向き合っていることを表す意味でも、非常に重要なシーンだ。こうした負の側面を強調するかのように、町の風景を美しく撮っている点も見逃せない。軽快なカントリー・ソングをバックに、広大で穏やかな風景を本作は映していく。だが、そうした風景の中で生きる人々の想いや生活は、決して穏やかではない。このようなコントラストを通して、本作はアメリカの二面性を的確に表現している。


 去年は『Hillbilly Elegy』や『最後の追跡』など、アメリカの二面性に迫る動きが注目された。これはおそらく、トランプ現象が予想以上に広がり、終いにはトランプが大統領に選ばれてしまったことも関係している。この動きには、トランプが支持された背景を分析し、あわよくばトランプを表舞台から速やかに引きずり下ろそう...なんて思惑も少なからずあるかもしれないが、現実を受け止めて行動するのは健全だと思う。
 一方で、そのトランプを引きずり下ろしても、トランプ支持者たちの不満がすぐさま解消されるわけではないと主張する者もいる。それは、ジョージ・メイソン大学で教職に就くジャスティン・ゲストだ。ゲストは去年、『The New Minority』を上梓したことで注目された。この本でゲストは、トランプ現象も含めた、多くの国で猛威を振るう排外主義や反移民の潮流を包括的に分析している。ゲストの主張を簡単にまとめると、排外主義や反移民の潮流を支える者たちの中には、良質な労働環境や潤沢な所得を失った者が少なくないというものだ。そういった者たちの多くは、差別や偏見はいけないと自覚している。それでも、自らの生活を考えたうえで、その潮流を苦渋と共に仕方なく支える。そんな人たちの心情が記された『The New Minority』に、筆者はハワード兄弟の葛藤と似たナニカを見いだしてしまう。


 筆者は、差別や偏見に断固反対する立場だ。トランプやマリーヌ・ル・ペンといった、排外志向の強い者にも嫌悪感を抱く。しかし、そんな筆者と同じ考えを持つ者こそ、『最後の追跡』が突きつける光景から目を背けてはいけない。ハワード兄弟の葛藤は、ここ日本の状況にも通じるのだから。




※1 : 邦題は『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』です。https://www.amazon.co.jp/dp/B06XKKBS28/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1


※2 : ヴァンスがTEDでおこなったスピーチ『アメリカの「忘れられた労働者階級」の葛藤』を参照。https://www.ted.com/talks/j_d_vance_america_s_forgotten_working_class?language=ja

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